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大学などの授業でも取り上げられるリベラルアーツ。だが、真のリベラルアーツとは、その歴史をひもとけば、授業で教えられる教養のようなものではなく、より深い「遊び」の精神であるという。本書は、リベラルアーツの本質を個人個人がどのように活かし、生きやすい未来へつなげていくべきか、その方針を提案する、まったく新しいリベラルアーツ本。
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Posted by ブクログ
人生の目的は何か? 私ごときでも時々そんなことを考えます。 今のところ、私自身が最も腹落ちする答えは、『人生とはヒマつぶしである』です。 この本は、人生とは遊び続けることである!!と訴えます。 遊び続けるために、リベラルアーツが必要だと。目からうろこ。
本書冒頭から触れていますが、「リベラルアーツ」とは何を意味する言葉なのか?まずは、言葉の意味から認識合わせをしています。 私自身「リベラルアーツ」とは、「教養」という意味で漠然と捉えていました。 本書で、言葉の由来、本来言葉生まれた時に定義されていた意味について学ぶことができます。 「リベラルアーツ...続きを読むを知る」「リベラルアーツを遊ぶ」「リベラルアーツを活かす」の三部構成になっております。 この構成で著者は、未来に向かって何を指針として生きていけばいいのかを提起しており、それは「遊び」続けることであるとしています。この遊び続けるために身につけるべきものがリベラルアーツであるとおっしゃります。遊ぶという言葉も、深く洞察された意味で本書で使われていますので、私がここに書く文章だけでは、ニュアンスを上手に伝えられておらず申し訳なく思っています。とはいえ、この薄い紹介文で興味をもった方がいてくれたら嬉しいなぁとも思っています。 興味を持った人は、ぜひ本書をご覧ください。新しい気づきが得られると思います。
諦めずに最後まで読んでほしい 最初の三分の一くらいまでは古典の引用が続くので毛嫌いして読み進めるのが億劫になる人もいると思いますが、真ん中くらいからは分かりやすくなるので、購入したのであればそこからでも読んだ方がいいです。 この本を読み始める前までは、リベラルアーツという言葉自体知りませんで...続きを読むした。「リベラル」とは「自由」という意味ですが、フリーダムとは違い、自分で能動的に手に入れる「自由」と訳すようです。 勤勉に働いているけれど、日常に幸せを感じられない方や自由になりたいと思っている方に是非おすすめです。
【要旨】 「リベラルアーツ」という言葉を聞いて、一般的には大学の「一般教養」や「リベラルアーツ学科」と言うように、「教育」と結び付けられることが多い。しかし、著者は言う。リベラルアーツに教科書はない、と。 これからの時代は「答えのない時代」だと言われる。そのような時代を、生きるのに値する時代にして...続きを読むいくためには、知識偏重の教育ではなく、分野の枠に囚われず互いの領域をつないでいく力が必要だ。 それを養っていく力になるのがまさにリベラルアーツ。すなわち人生を「遊ぶ」こと。異なる文化に触れる、そして読書を通して時空を超えた旅をすること。そして、それにより自分自身の生きる世界の地図を描くことである。ただしその目的は設計図を定めて、可能性を狭めてしまうことではなく、身体ひとつでどこへでも行ける自分になることだ。 子供は、「知りたい!」という好奇心のままに遊ぶ。「遊び」の中から、自然と「学び」を得ていく。本来はこのように、「遊び」と「学び」の境界はない。そしてまた、そこに教科の境目など存在しない。そこに大人が勝手に境界を作ってしまっているのだ。いつまでも子供の持つ無邪気さを持ち続けていたい。 【心に残ったフレーズ】 知識という娯楽は飽きがこない。知るべきことは無限にあるから。楽しみと結びついた知識の働きは検索で代替できない。(「教養の書」戸田山和久著) 【感想】 我が娘が未就学児だった頃は、子供にはぜひ学びの楽しさを知ってほしくて、子供の興味の赴くままの活動を軸にした教育である、モンテッソーリ教育に大変興味を持った。時を経て、その娘も小学生。結局、モンテッソーリ教育とは縁がなく今に至る。娘は自我をより持つようになって、親として子供とぶつかることも多くなるにつれて、親にできることはあまりないのかな…と私の教育熱も下がりつつある。ただ、今回この本を読んで、大人が教えられることは決して多くないけれど、興味のあることをできるだけ多く経験させること、そしてうまく学びに導く(ファシリテートする)役割は持ち続けていかなくてはいけないと改めて思った。 そして、著者は「遊び」と「仕事」の境界を作らない、ということも言っている。つまり、自分のできることで、どのように役立てられるだろうと自由に考え、実践するということ。 「自分のできることで、どのように役立てられるだろう」と問うた時、「警察官」や「パイロット」と言うような、一言で簡潔に言い表せられるような、肩書きには必ずしもならないかもしれない。だが、それで良いのだと思う。大人は、子供が「何になりたいか」ではなく、「どのようなことで役立てられると思うか」、そういう問いかけをできるようになりたい。 そして、自分自身は、著者の言う「新世代」では、もはやないが、「旧世代」の人間の一人として、興味の赴くままに、いろいろな世界を覗き、世界を広げてゆく、そんな背中を「新世代」に見てもらえるようになりたい。
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