愚劣極まりない結果で終わった2024年東京都知事選、クルド人ターゲットの差別攻撃にネトウヨのみならず野党も関与して酷い有様の日本、関東、東京。都知事は変わらず、関東大震災における朝鮮人虐殺にかかる式典へのメッセージをあえて送らない知事が再選され多くの抗議や疑問の声があがるもより多くの無関心や同意にかき消される、すでにディストピアなこの社会。
ユートピアを求めるほどの天真爛漫さはない、もちろんそんなつもりはないが、あまりにささやかすぎる韓国への帰国事業。日本が在日コリアンを追い払うために積極的に支援した北朝鮮への帰国運動やいまだに私には謎の滑稽行動であるよど号ハイジャックなどいろいろなことを想起させる。
ディストピア。知識人やメディアが煽動して扇動して先導して作る、大衆の雰囲気。太一がシンくんに言う、世界とは大衆のこと、世界の意志とは大衆の意志、最終の敵はいつだって大衆、それには絶対に勝てない。勝とうと思ってはだめだ、と。
そして太一よりも強い意志をもつ葵が言う通り、わたしも弱い、ずるい、大衆の一部だ。
流れを変えるための事件を身を挺して実行してなお、行動してもしなくても、私は大衆の一部であることを抗えない。
ユニークなキャラクターたち、とくにアメリカ育ちのシン君が面白くい。それぞれの登場人物を主人公に各章が書かれているが、それぞれのスピンオフというかその人生を深掘る小説が書かれたら面白そうだ。
今、ディストピア的な悪い流れに乗る世界においてもはや敬愛するバージニアウルフを梨花がコスモポリタンかいと揶揄したが、コスモポリタンにすらなれない世界性、I have no country I want no country と心から欲してもなお、自分はどこかに帰属する、させられている大衆の紛れもない一員であるのだ。