人類の誕生以降の歴史とともに、とても多くの情報が整理されていて、議論の展開も丁寧。宗教の起源は狩猟採集時代の祝祭や儀礼にあること、軍事と祭祀が占有された時に国家が生まれたこと、儀礼を簡略化し、教義を中心として、個をターゲットとしたことで、民族や国家の枠を超えた世界宗教が生まれたことが説明されている。
著者は、ホモ・エレクトスの段階で、狩猟の成果を持ち帰って集団が全員で分配と共食をしていたとすれば、大きな獲物を得た際に歓喜の光景が繰り返されてきたと推測する。集団であることが生存のための必須条件であったホモ族にとって、集団の結束を高め、集団であることの歓びを体感させる祝祭的行動は、彼らの存在の根幹にあったと考られる。
祝祭は、今日の狩猟採集民の下で観察されるだけでなく、世界中の多くの宗教が核心においている。宗教の基底、最も深い部分にあるのは、言語化以前の非合理的な経験、畏怖と魅惑を引き起こす非合理的な経験であると、多くの宗教研究者が言明しており、デュルケームは「聖」と呼んだ。
集合することに積極的な価値を与えるために、儀礼や祝祭において、歌、ダンス、音楽、絵画、身体装飾、仮面、食事、アルコール、性交など、人間の五感を刺激する象徴や定型化された行動を総動員することによって、参加者に至福の感情と共にあることの喜びを生み出すことができるようになった。
ホモ・サピエンスの誕生とともに、死者の存続や生命原理の観念が付け加えられた。
世界各地の狩猟採集の宗教で最も出現頻度が多いのは、アニミズム、シャーマニズムと死後の生の観念。アニミズムとは、人間と動物をはじめとする周囲の世界の中にあるものたちとの間の一体感や、生命に対する親和と畏怖。トーテミズムとは、人間がその元になった動物や植物と今なお緊密な関係を保ち続けていると考え、動物や植物の名前を自分たちの集団(氏族)の名前とし、毎年儀礼を行って、その再生と繁殖を祈願するもの。
現存する狩猟採集民の宗教の中心にあるのは様々な儀礼。とりわけ、イニシエーション儀礼は集団の中に一連の差異を導入し、男女、子供と成人、年長者と年少者といった文化的差異を導入し、集団の秩序をもたらした。
先祖祭祀は、その土地を開いた先祖と現在する人間との関係が土地や墓の形で物質化されることで、先祖への感謝と負債が先祖祭祀として制度化されたと推測できる。また、豊作、自然の運行、家の建築、妊娠、出産、健康、旅行、火除けといった活動に関して儀礼が行われるようになった結果、神々の種類が増え、その機能も多様化していった。
アフリカの無国家社会では、祭祀を司る首長は地域の主要な儀礼を主宰し、供犠を執行することで宇宙の進行に直接関与し、雨をはじめとする自然の出来事をコントロールでき、豊作や牧畜の成功を実現すると信じられている。社会の争いごとを調停することで平和をもたらす存在だが、戦争には加わらず、武器を手にしてはならないなど、軍事と暴力からは徹底的に遠ざけられている。常人にはない卓越した能力を持つとされる反面、様々な禁止に従わされており、行動の自由はほとんどない。自然をコントロールするために作られた儀礼の体系に一体化させられた存在である。就任式において一種の死を経験するのはそのためであり、その役職に純化した存在として蘇る。日本の古代の天皇も、儀礼を司る神聖な存在に他ならなかった。
武力を掌握した有力者がその儀礼的地位を占有した時に、国家ないしその萌芽形態が建設されたケースがみられる。
仏教とキリスト教は、人類が作り出した最初の世界宗教で、どちらも既存の宗教の儀礼主義を批判した改革運動として始まった。儀礼を簡略化したことによって、教義を中心とし、さまざまな思想を取り込むことが可能な新しい宗教のあり方が生まれた。親族や地域集団といった組織に立脚し、豊作や不作、疫病といった集団の次元の苦難に関与するのではなく、個をターゲットとして、死や病、老いといった個人的な苦しみに関与したため、民族や国家の枠を超えて広がっていくことが可能になった。
イスラームは、儀礼と聖職者の仲介を排し、教義を重視し、すべての信者が直接に神と向き合い、自己を委ねる宗教だった。合理主義的性格を強く打ち出した宗教であったからこそ、中世ヨーロッパで無視されていた古代ギリシャの知的成果を積極的に取り入れ、その翻訳出版に力を注いだ。すべてのムスリムは平等の資格でウンマ(共同体)に参加することができたから、それを国民国家の先駆形態とみなすこともできる。
ルターとカルヴァンによる宗教改革によって、ドイツではカトリックを合わせた三派が並立し互いに競合することで、独自の政治的・文化的な効果が生み出された。各君主は自らの領土内の聖職者の任命権を得たほか、領邦内の教会と信者を指導させることによって、連邦国家体制の中に組み込まれた。これによって、従来の領主と臣下、教会と信者といった人間のつながりに根ざしていた国家は、固有の領土と制度を持ち、ひとつの信仰によって結ばれる近代国家へ再編成された。3つの教派が競合する体制は1618年に30年戦争へと転じ、1648年のウェストファリア講和条約によって、各王家がカトリックの権威の下で結婚政策を通じて獲得した広大な領地を治める中世的な帝国はここに終焉した。
日本では、国家が政治も宗教も支配していた律令体制が平安後期に崩壊し、僧侶による民衆教化の禁止が解かれたことで、現生の幸福を願う人々の要望に応える形で鎌倉新仏教が発展していった。