作品一覧

  • 凩の時
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    「冬の時代」を告げる凩(こがらし)が吹きすさぶ。大逆事件が迫る。――日露戦争後の明治41年、東京赤坂の陸軍歩兵第一連隊から兵卒37名が脱営した事件を軸に、軍国化の足を速めた大日本帝国と苦難の時を迎える社会主義運動の姿を、豊富な資料をもとに再構成する。史伝体と物語体の巧みな併用によって今日によみがえらせた歴史長編。1985年、第12回大仏次郎賞受賞作。
  • 御前会議 昭和天皇十五回の聖断
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    1巻836円 (税込)
    一九四一年十二月八日、日本はハワイ真珠湾の奇襲攻撃で対米英戦争を開始し、日本の対米英宣戦で第二次ヨーロッパ大戦は世界大戦に展開する。そして九一年は日米開戦の“満五十周年”にあたる。本書では、昭和天皇御前会議の十五回の「聖断」と、最高戦争指導を、日中戦争開始後の、昭和十三年の大本営設置から、同二十年のポツダム宣言受諾まで検討する。また御前会議の設置を余儀なくした、統帥命令の大本営令制定をも考察する。
  • バルチック艦隊 日本海海戦までの航跡
    3.3
    内陸の帝国ロシアはバルト海のムルマンスク以外軍港に恵まれなかった。しかも極北の不凍港へは長い鉄道が必要だった。帝国はバルチック艦隊創設とともにシベリア政略を推進、極東への展開を目論むが新興海軍国日本との争いになる。日露戦争である。要衝旅順を確保すべくバルチック艦隊は長い遠征の末、待ち構えていた日本海軍と激突し潰滅する。だがこの日本海海戦は、その後の日本海軍に虚構に満ちた海戦伝説を生むことになる。
  • 航西日記 パリ万国博見聞録 現代語訳
    値引きあり
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    1巻440円 (税込)
    1867(慶応3)年、パリ万国博覧会が開催された。日本が初めて参加した国際博覧会であり、幕府は徳川慶喜の弟である昭武を公使として派遣した。使節団には幕臣となっていた渋沢栄一が随行。帰国後、渋沢は、外国奉行支配調役として同行した杉村譲(愛蔵)とともに、全6巻の詳細な渡欧記録をまとめ、1871年(明治4)に刊行した。 この記録には、フランスの繁栄を誇ったパリ万国博での見聞のほか、ナポレオン3世やイタリアのヴィットリオ・エマヌエレ2世、オランダ国王ウィレム3世ら欧州要人たちと徳川昭武の謁見、産業革命のただなかにあったイギリスの工業化や、政治・経済のシステムへの驚きなどが、生々しく描写されている。 従来、この日記は、渋沢の単著として扱われてきたが、近年の研究により、旅の前半を幕臣として同行し、後に明治政府の官僚となった杉村譲の日記と渋沢の日記から編纂・執筆されたものであることがわかってきた。こうした旧幕臣の体験と知識が、その後の近代化に大きく生かされたのである。 文庫化にあたっては、『世界ノンフィクション全集14』(筑摩書房、1962年)所収の大江志乃夫現代語訳を原本とし、「付録」として、一行の帰国の事情と帰国後の動向を記した、渋沢栄一談/小貫修一郎編著『渋沢栄一自叙伝』(渋沢翁頌徳会、1937年刊)の13章1節から4節までを収録した。

ユーザーレビュー

  • バルチック艦隊 日本海海戦までの航跡

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    歴史を読み解いていくのは大変面白いです。
    そこには様々な意見の相違や
    うまくいかなくなる原因、それがたくさん隠されているから。

    この本で取り上げられているのはロシアの艦隊なのですが
    どうしてこの国が日露戦争でこうも負けてしまったのか
    の解説がなされていますが…もう負け要素しかないんですよね。
    対策できる感すら圧倒的不足で急遽調達という
    もうフラグが立ってしまっているような有様…

    日本は秘密兵器もあり勝ちました。
    だけれどもこの終章をご覧いただければ日本もまた
    このあとに同じ轍を踏んだのです。
    しかも戦争を止める側にいた人でさえ誤謬を犯すありさま。

    日露戦争同様、その後の日本の運命もまた

    0
    2020年02月02日
  • バルチック艦隊 日本海海戦までの航跡

    Posted by ブクログ

    内陸の帝国ロシアは、北極海のムルマンスク以外軍港に恵まれなかった。しかも極北の不凍港へは長い鉄道が必要だった。帝国はバルチック艦隊創設とともにシベリア政略を推進、極東への展開を目論むが新興海軍国日本との争いとなる。日露戦争である。要衝旅順を確保すべくバルチック艦隊は長い遠征の末、待ち構えていた日本海軍と衝突し壊滅する。だがこの日本海海戦は、その後の日本海軍に虚構に満ちた海戦伝説を生むことになる。(1999年刊)
    ・序章 世界最北の不凍港
    ・Ⅰ章 北のヴェネチアに君臨したツァーリ
    ・Ⅱ章 ロシア海軍戦略とシベリア政略
    ・Ⅲ章 日露戦争と日本海海戦
    ・終章 相手の敗因から学ばなかった日本海軍
    ・あ

    0
    2015年05月19日
  • バルチック艦隊 日本海海戦までの航跡

    Posted by ブクログ

    日露戦争を軸に、これに至るまでのロシアの海軍力及び不凍軍港の成り立ちが詳細にかたられておりかなり興味深い。
    しかし、いかんせん海軍力の話に関してはかなり専門的で、単語の羅列になっている個所も多く、ついてゆき難い。数字の大きさがどの程度のものなのか実感を持って受け入れにくく、ロシア海軍と日本海軍の力の差もいまひとつパッと理解できなかった。
    また、肝心の日露戦争時に採られた作戦についても文章だけでの理解はなかなか難しく、図などを用いてほしかったところ。全体としては面白い題材だっただけに少し残念。

    0
    2012年02月14日
  • バルチック艦隊 日本海海戦までの航跡

    Posted by ブクログ

    バルチック艦隊とは、日露戦争(1904-1905)における日本海海戦で日本海軍(司令官:東郷平八郎)に敗れたロシアの艦隊のことをさします。
    ロシアは、気候が寒く港が凍ってしまうが故に「不凍港」を求めて南下政策を展開していきます。(結果は他の列強諸国の干渉により失敗)
    そんな中、バルチック艦隊は日露戦争時にバルト海沿岸のリバウからアフリカ喜望峰を通って、(1902年の日英同盟によりイギリス管轄のスエズ運河が使えない)半年かけて日本海にやってくるも日本海海戦で壊滅してしまいます。
    この本は、ロシアのバルチック艦隊の登場の過程などロシアを中心に書かれていて、日本に関してはあまり書かれていません。後者

    0
    2009年10月04日

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