おもろいのはおもろいんだけどとにかく長い。
そしてムズい。不眠症の方は是非お試しを。
訳者あとがきからパクります(堂々)
「第一部は人類の歴史解明になぜDNA解析が威力を発揮するのかを説明、第二部では古代の集団による大規模な移動や混ざり合いで今日の世界各地の集団が今の姿になったことを明らかにしていく、第三部ではDNA解析の社会的個人的意味、従来の定説を覆す圧倒的な威力に触れる。」とあります。
なんのことや分からんですよねぇ。
私なりの解釈としては「人類なんて皆んな雑種なんだし人種とか◯◯人はどうとか訳の分からんこと言うな!でもまぁそれぞれ差はあるにはあるけどあんま気にすんな。要は個人個人。人それぞれ。」って感じですかねぇ。
とはいえ所々引っかかるポイントがありました。
以下書いていきます。
(あまりにも長すぎて読んだ側から内容忘れてますけど)
第一部(126ページまで)
有名な「みなさーん、ネアンデルタール人のDNAちょっと入ってるよー(アフリカの人除く)」の話からデニソワ人とか。第二部第三部に比べるとかなり読むのが辛い。眠いなんてもんじゃないです。
なんかめっちゃ混ざってる(雑種)、しかも今の見た目だけでは逆の遺伝子共有率の高さがあったりする(人種なんてねぇ)って感じですかね。
で。私がここで好きな項目は44ページの「子孫にどれくらいDNAを遺せるか」のとこ。
この話題はつい数年前に友人としたばかり。
「たった500年でも遡ったら先祖の数がとんでもないことになんだけど、近親婚を入れたとしても人類皆兄弟だし俺も天皇陛下と縁続きってことでいいかな?」みたいな会話。
友人には「好きにしろ」の一言で終わらされたのですが(会話とは)ここではその時私が思ったことをさらっと否定してくれてる。
つまり「卵子ができるときの染色体組み換えは45、精子は26、1世代につき71。つまりあなたのゲノムに寄与するDNA本数は両親から伝わった118。(46(両親からの染色体)+1 (ミトコンドリア)+71(組み換え))10代遡れば受け継いだDNA鎖は757、先祖の数は1024。24代前ならDNA1751、先祖16777261。
要は先祖の大多数からDNAを一切受け継いでいない。」とある。
えー。じゃあ私は天皇家とも将軍家とも華族とも関係ないってこと?奴隷のまま?(知ってた)
まぁY遺伝子とかミトコンドリアとかは別なんでしょうけども、男女入り混じって遡るんだとすればそれすらも使えず。
先祖がどうこうってのは記録としては有効かもですがあんま意味ないってことですね。
まぁそりゃそうだ。
第二部(322ページまで)
ここからおもろくなりますが、長すぎムズすぎで詳細はほとんど覚えていません。
ただ(第三部でも吠えてますが)著者は「人種」という枠組みとそれに伴うステレオタイプの偏見にイラついてる様子で、ここでは人種なんてもんは生物学的純粋基本単位なんかじゃ到底有り得ないし、今我々が目にするものは最近現れた区分だし、その起源は繰り返し行われた交雑と移住によるものだし、昔そこにいた人達の子孫がそのまま今の人な訳ないし、今までもこれからも交雑し続けるし。みたいな?
ヨーロッパ、インド、アメリカ先住民、東アジア、アフリカの祖先、起源をDNAを頼りに探っていくんですがまぁ思わぬところで関係が濃かったりしてね。おもろいです。覚えてないけど。
例のチンギスハンのY遺伝子はここだったかな(読み返す気力なし)てかチンギスハンの時にいつも思い出すんですが、似たようなことって日本でもないんですかね。昔って天皇家はお妾さんがたくさんいたんですよね?んでほとんど坊主にしてませんでしたっけ。一休さんみたく。しかもその坊主も全然坊主じゃなくて子供ばんばん作ったりで。
とすると日本にも思ってるよりも同じY遺伝子の男がそこそこいるんじゃないかなぁ。私が知らないだけで友人や近所の人が実は皇位継承順位15027位とかだったりしますかね。てかやっぱ俺も繋がってんじゃない?
第三部(400ページまで)
この最後の80ページだけでよくね?というくらい私好みのもの。いくつか書きます。
著者は「教育上の到達度」「修学年数」という単語を用いているが要は生まれつきの賢さ(遺伝的変異はあるか)ついて述べた箇所について。
遺伝的変異を持つ人が12年の教育期間を高い確率で完了する、とするとこの遺伝的変異が賢さの直接的な鍵だと思うでしょ?でもそうじゃないの。そういう遺伝的変異って第一子を産む年齢を引き上げるから修学年数に対する効果強力なの。だって子供持つのが遅ければ教育受けやすくなんじゃん?こういう間接的影響を通じてこれらの変異が効果を及ぼしてる可能性もあるからさーとしてますが。それってさぁ。同じことでしょ?
間接的も何も生まれつき勉強出来るから子供産むのが遅くなっちゃうんだよ。
「個人をそのグループの想定上のステレオタイプで判断することが人種差別主義の本当の罪」
ここでは黒人だから音楽の才能がある、ユダヤ人だから頭がいいなどは疑いの余地なく人を傷つけるとしている。そだね。あとアフリカ人が足が速いだろうってことだけでアフリカ人のみリレーに選出したらダメだよね、全員タイム測るべきだよねって例えもわかりやすい。うん。
てか最初のやつってさぁ、歌やダンスが下手な黒人、頭の悪いユダヤ人は存在意義がないって言ってるもんね。我々東アジアはよく頭の良さを褒められますが(ほとんどの場合嫌味ですが)、言われるたびにコレ思う。あと東アジア人「だから」賢いんだよねぇみたいな。ね。
ただ欧米のフィギュア選手は東アジア選手のことを本気でそう思ってはいるかもね。だって東アジア人は足首の柔軟性突進してんでしょ。そりゃジャンプ着氷出来るでしょ的な。はい差別。
ただね、毎度同じ話繰り返して申し訳ないですが、人種差別の本当の罪は「白人」と「一神教」だよ。なんだよ白と有色って。なんだよ俺んとこのだけが唯一の神で他の神は認めないって。そんな寛容ゼロ、排他的なグループがどう考えても最も罪深いだろうよ。せめてコピー用紙並みの肌の白さになってから白人って名乗って欲しいし、せめて内臓が透けて見えるくらい無色透明になってから俺たちのことを有色人種って呼んで欲しいです。
アイデンティティを探す人達の話もおもろい。我々のような島国、かつ見た目一緒、かつ同じ言語、かつ1億以上人口とかだと自分が他のみんなと一緒と信じ込めるので「まぁ俺もお前もずっと日本人だろ多少朝鮮や中国混ざってるけどなハハハ」って感じで無頓着でいられるんですよね。あとは本文中にもあるように混ざってることこそがアイデンティティだと思える人達(ブラジルの方々とか)とかもいちいち気にしないでしょうか。
でも陸続きの国々だったり何代か前の移民だったりましてや奴隷船で貨物以下の扱いで無理矢理連れてこられた子孫とかだとね。そりゃ出自に拘るよ。
ところがアメリカにおけるアフリカ系も徹底した混ざり合いによって全然均一化してるとな。(ニューオリンズはフランス奴隷商人、ボルチモア、チャールストンなどは別地点から積み込んだ英国奴隷商人だったにも関わらず)
ともあれ、貴方も私も雑種。純血なんて人はいない。まずこれを唱えてから国籍だの人種だのというおもちゃで遊べばいいのにね。
著者がどういうつもりで書いてるのか分からないが、最後の最後に自身が(DNA採取のため)古代人の骨をすり潰すことに倫理的疑念が生じたことを母親の兄弟(おじさん)のラビに相談する。相談されたおじはしばらく考える時間が欲しいといったあと戻ってきた。彼は先例や他のラビの判断がない場合にする助言をしてくれた。と。
曰く「人間の墓は全て神聖なものだが、理解を深めたり人々の間の障壁を取り除いたりするのに役立つ可能性がある場合にかぎって墓をあばくことも許されるだろう。」とのこと。こっから半ページほどで綺麗にまとめて長い長い本は終わるんだけどこれってどうなの。
別にいいんだけどね。いいんだけど。いいんだけどさ。著者はせっかく一流の科学者なんだから他のラビ20人に同じ質問をしてみる気にはならなかったのかな。
先例がなく他のラビの判断もなかった、つまりこのおじさんの判断しかないわけで、しかも一発目で自分の欲しい答えが出たからってそれで安心すんの?しかも「神聖」なものに対して「例外規定」が簡単に設けられることを?神聖って俺が思うよりもハードル低いのかしら。
別にいいんだけどね。マジで。いいんだけど。
ここでいう墓ってのは他の宗教は入ってたりするのか、また、葬られている人によって許されなかったりするのかな。宗派の偉い人の墓は科学の進歩がかかっていたとしても許されないと判断されるのでは?
別にいいんだけど。
まぁ私の頭が極端に悪い上に無学無知センスゼロなので、ここまで長く様々なデータを使って読んできた挙句に一宗教家の個人の考えで締めくくられるとイラっとするだけです。
ありもしない人種(実際は全員雑種)なんかに拘り過ぎることのデメリットをここまでながーく書いてきて、宗教の拘りによって自身のジレンマを解消(昇華?)されちゃうと「おいおい」ってなっちゃうかも。
ここまで各人種のDNA、言語、文化などが交雑してることを調べ上げたのならば、著者の頭の中には宗教の交雑もよぎってると思うんですよね。
(よぎってるどころか頭の真ん中に鎮座して悩ませているかも。まるでアフリカ系アメリカ人がDNAに縋って自身のルーツを探るように。)
宗教も言語や文化の一部、それが言い過ぎならば兄弟?二卵性双子?とかでしょうから、現在の宗教が純血なわけないしましてや世界で最も優れているわけもなく。純血でない限り(他の神の影響を受けてるんだから)一神教とかもねぇ。多神教の中で自分が好きなの選んだだけ、順位つけただけでしょうに。(外野からすると、ユダヤ教やイスラム教の方々はそれでもかなり基本ルールに則っていらっしゃるとは見えますが、キリスト教は。。。天使に悪魔に挙げ句の果てには聖人とかまで出てくる。唯一神とは。)でも他の一神教、もちろんそれ以外の仏教にしろ何にしろ、信仰されてる方は無意識に気づいているのでは。キリスト教があれほどのあからさまな矛盾を抱えながらも世界中の多くの信者が信仰を続けているということは、中の人には全く見えないということで。それはつまり、自分も何かの中にいれば同じように見えてない可能性があるのでは。的な。勿論私も無神論者の中にいて何か大きな矛盾に盲目なんですよね。それが何か分からないけれど。
人の振り見て我が振り直せ。
人種なんてない!人種による能力差なんてない!人種差異よりも個体差の方がでかい!(そりゃ当たり前。人種平均では身長も体重もさほど開かないけど同人種の個体差の方が差がでかい)ってのはやはり暴論。ある程度のグループ差はある。だからといってそれはステレオタイプの人種能力差を認めることにはならない って186センチ92キロ金髪青目白人男性の立場で言ってみたかったですが、これなかなか通らないでしょうね。
私は個人的にしゃぶしゃぶとか天麩羅、すき焼きなんかを日本料理として外人に紹介する時に胸がチクっとなるんです。ただの程度問題ではあるんですがあまりにも歴史が浅いしそんな「ここにしかないオリジナルです」みたいな顔するにはついさっきすぎない?みたいな。他国においても韓国が唐辛子料理を、イタリアがトマト料理を「我が国が世界に誇る伝統のー」みたいに言われると「あらまぁ、中南米の方々がどう思うかしら」となる。
で。も。ね。
チョコレートはベルギーとか平気で言っちゃうし、最近は「日本食といえばラーメン」とかも普通に聞く。
人間がとかく大袈裟なラベリングが大好き(中毒、てかそれしか出来ない)ならば、ステレオタイプな人種の概念はなくならないどころか、それこそが人種なんだと再定義されそう。