感想1
本書を読んでいてパッと思ったことを挙げます。
◎子供に共感してあげる
例えば子共が「今日保育園に行きたくない」と言った時→その気持ちを受け止めることが大事。次に保育園に行かせるように仕向ける。
僕の場合だと、気持ちを受け止めることをせずに、「なんで行きたくないの?」と聞いて、それから保育園に行かせるように促します。これはこれで良いと思っていたのですが、子供の気持ちを受け止めることをしていなかったので反省。
◎失敗を重ねる意味・重要性
練習して上達する、体得する、苦手意識(分野)を克服するのが練習なのに、出来る(あるいは得意な)事しかやらない。この姿勢というのは、押し並べて、解決しなければならない喫緊の課題です。社会に出れば、出来ない事や苦手な事でもやらなければならない事態にも遭遇します。それらから逃げてばかりいては、可能性の幅が狭くなってしまいます。
ですから、僕は『出来ないから練習するんだ。今は上手く出来なくても、練習することで必ず上達するんだから、頑張ってやってみよう!』と自身に発破をかけるんですが、そうやって、苦手なものに対する姿勢をよりポジティブな方向にもっていくようにしています。
出来ない事、苦手な分野に挑戦していく姿勢というのは、自身を鼓舞しないと、なかなか出来ないんですよね。でも、自身の可能性を伸ばす、成長していく、現状としてまだ自分は発展途上にあると考えれば、こういう"生きる力"を涵養していくのは大切な事だと思うんです。端的に言えば、『効力感の醸成』です。
出来ることしかやらない。これはの理想の形だと思います。最近の社会は至る分野で細分化されているので、ゼネラリストの地位は低くなっていますが、まずは全方位の能力を伸ばす努力が必要だと思います。そして、その中で、自分の得手のものを伸ばしてスペシャリストとして活躍する。
◎中途半端はダメ
◎認知的不協和
認知的不協和とは、人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。 人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。有名な例として、イソップ物語のキツネとすっぱい葡萄の逸話が知られる。
フェスティンガーによる認知的不協和の仮説
不協和の存在は、その不協和を低減させるか除去するために、なんらかの圧力を起こす。
つまり、複数(通常は二つ)の要素の間に不協和が存在する場合、一方の要素を変化させることによって不協和な状態を低減または除去することができる。
不協和を低減させる圧力の強弱は、不協和の大きさの関数である。
つまり、認知的不協和の度合いが大きければ、不協和を低減させる圧力はその度合いに応じて大きくなる。
(ウィキペディアより引用)
自分はこう思う、しかし、一般には受け入れられない。また、自分はこうしたくないが、社会的にこうしないといけない。
そういうのは認知的不協和なのかなと思います。
(例:テスト勉強を頑張ったのに点数が良くなかった。この不協和を解消するために、「それは運が悪かった」と考えることで不協和を解消する)
◎関心の細分化による情報の非共有化がコミュニケーション力の低下か?
本書でもコミュニケーション力の低下の原因やコミュニケーションスキルの向上方法を述べています。
僕は、コミュニケーション力の低下の原因は、端的に言って「細分化」にあると思います。
趣味が多様になっている。仕事の幅が広い。交流する人の物理的距離の拡大等、選択肢が増えたことによって特定の分野に偏ってしまうのは仕方ないことだと思います。
それで、会話が共有できない。また、前提にある知識が共有できないため、会話が続かない。
一昔前など、付き合う人は特定の一部だったり、移動距離が少なかったりして、同じような人としかコミュニケーションを取ることがなかったように感じます。
今やインターネットの台頭・普及により、また規制緩和等による働き方の多様化により、個々人のバックグラウンドが違い過ぎるものになっているのでは、と思います。
◎自分の居場所があると安定する
最終的に帰る場所、帰ってくる場所はたいてい家族だと思いますが、そこでの居場所が確保できていれば、ある程度の自己肯定感は保てるのではないかと思います。
それは物理的な意味ではなくて、心が安らぐとか、落ち着けるとか、見栄を張らなくて良い、といった精神的な安寧をもたらす場所です。
社会環境が激変する今日では、居場所の提供が家族だけではありません。具体的にどんな居場所があるのかと言われればパッと出てこないですが、そういったものが増えていくことが望ましいことだと思います。
◎マズローの自己実現理論
自己実現理論とは、アメリカ合衆国の心理学者・アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。又、これは、「マズローの欲求段階説」とも称される。
マズローは、人間の基本的欲求を低次から
生理的欲求
安全の欲求
所属と愛の欲求
承認の欲求
自己実現の欲求
の5段階に分類した。このことから「階層説」とも呼ばれる。また、「生理的欲求」から「承認の欲求」までの4階層に動機付けられた欲求を「欠乏欲求」とする。生理的欲求を除き、これらの欲求が満たされないとき、人は不安や緊張を感じる。「自己実現の欲求」に動機付けられた欲求を「成長欲求」としている。
人間は満たされない欲求があると、それを充足しようと行動(欲求満足化行動)するとした。その上で、欲求には優先度があり、低次の欲求が充足されると、より高次の欲求へと段階的に移行するものとした。例えば、ある人が高次の欲求の段階にいたとしても、例えば病気になるなどして低次の欲求が満たされなくなると、一時的に段階を降りてその欲求の回復に向かい、その欲求が満たされると、再び元に居た欲求の段階に戻る。このように、段階は一方通行ではなく、双方向に行き来するものである。また、最高次の自己実現欲求のみ、一度充足したとしてもより強く充足させようと志向し、行動するとした。
(ウィキペディアより引用)
◎義務
ある問題や行動に対して、積極的に関わっていこうとするのではなく、「失敗してはいけない」「無難に収めなくてはならない」というような消極的な姿勢だと、その能力は向上しにくいのではないか。
感想2
前著『感じない子ども こころを扱えない大人』を読んで衝撃を受けました。ちょうどそれを読んでいた時に、欲しかった言葉が載っていたからです。
前著から10年。内容は前著とだいたい同じですが、効力感を養う方法(タイトルに即して言えば自分に○をつける方法)を分かりやすく解説しています。
著者の主張は子育てハッピーアドバイスと似ているので、そちらも参照しても良いと思います。
参考文献や引用、統計データ等は極めて少なく、信憑性を問われれば疑問が残りますが、総じて僕は著者の主張に全面的に賛同します。