〈本から〉
「人間の心で行う思考は、人生の一切を創る」
「人間の健康も、運命も、心の一つの置きどころ」
「この世の中は、苦しいものでも悩ましいものでもない。この世は、本質的に楽しい、嬉しい、そして調和した美しい世界なのである」」
「いかなる場合にも、常に積極的な心構えを保持して、堂々と人生を活きる」
「蒔いた種のとおり花が咲く」
潜在意識の状態が実在意識の状態に同化してくるのである。
真剣に考えよう! 実際人間が日々便利に使っている言葉ほど、実在意識の態度を決定するうえに、直接な強烈な感化力をもつものはない。
結論が積極的断定で終わるように常に気をつけねばならない。
終始、楽観と歓喜、輝く希望と溌剌たる勇気と、平和に満ちた言葉でのみ活きよう。
「真」「善」「美」をもっとわかりやすくいえば、「真」とは「誠」である。「誠」とは一点の嘘偽りもないことが「誠」である。道筋が少しも乱れてないのが「誠」である。「善」地は「愛情」のことである。
「美」とは「調和」のことである。
何遍でもいうがl、健康が悪くなるのも、運命が悪くなるのも、もとは自分にあるのだ。
病は忘れることによって治る。
世の中は公平にできているんだから、心を積極的にしさえすれば、健康もよくなり、運命も立ち直るように出来ているのだ。だから、もっと自分の心をみがきなさい。
不健康なるものや不運命なるものは、宇宙霊の生命の中には絶対ない。(略)
だから、誠と愛と調和した気持ちと、安心と勇気とで、ますます宇宙霊との結び目を堅固にしよう。
天に口無し! 事実を持って教えたまう!
いくつになっても、いかなる場合も、自己向上を怠らないようにすること、これが自分の生命の本来の理想的な活きかたなのだ。
自己向上は、ただ単に自分の幸福だけのためにするんじゃない。自他の幸福のために住んだ、という広い意味を忘れてはいけない。
理解と自覚とはまったく違う。理解というのは、ただわかったというだけであり、自覚というのは、本当に自分の魂に受け入れたことなのである。
釈迦は、「信じざれば救う能わず、縁なき衆生は度し難し」といっている。
講師は「信は万事のもと」といっている。
心は常に「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山」、大山鳴動するといえども、心は常に微動だにしない、というようでなければいけない。自分のいのちを守る心は、しっかりとして、本当に静かに、秋の池の水のような、澄み切ったものでなければいけない。
本当の幸福とは、自分の心が感じている、平安の状態をいうのだ。いくら心身統一法を何十年やっても、幸福は向こうから飛び込んで来るのではない。自分の心が、幸福を呼ばなければ、幸福は来やしない。
一切の苦しみも、なおたのしとみなす強さを心にもたせよう。
「己れを守るのは、己れだ!」
一番戒むべきものは恐怖観念である。
人間は進化と向上という偉大な尊厳な宇宙法則を現実化するために、この世に生まれて来たのである。
勇気は常に勝利をもたらし、
恐怖は敗北を招く
この世の中には、滅多矢鱈に恐ろしいということはありはしない。怖しいと思っているのは、自分の心なのである。
日本人であることを忘れるな!
ああなったらいいなというものが、すでに成就してしまったときの気持ちや、姿を、心に描くのだ。
“想像“がやがては、“理想”という立派なものを、心の中に形造るということが真理なのだ。
ゲーテ
「文豪とは、想像力を他の人よりも豊富にもつ人のことである」
健康な体を作って、人の世のために、現実の貢献をしようというような、非常に階級の高いものでなければいけない。
思考=観念=想像=理想=成就
「実現する!実現する!」
と繰り返し自己自身にいう、すでに、その求むるところのものを、半ば以上、自分のものにしたのと同様の道筋に入ったのである。