広河隆一の作品一覧
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Posted by ブクログ
一体幾ら殺したら気が済むのだろうか。幾らミサイルを撃ち込めば気が済むのだろうか。日々流れるイスラエル軍による攻撃やガザに対する弾圧を見ていると、イスラエルという国の恐ろしさを感じるだけでなく、その相手方としてのパレスチナやイランの報復活動(これも正当化できない平和への挑戦に違いないが)を引き起こしている恨みの深さを感じざるを得ない。だがこれもニュース報道という捻じ曲げらた、そして表面的な情報源だけに頼った誤った感覚なのかもしれない。真実はとてもじゃないが複雑な歴史と実際のそこに暮らす人々や政治の思惑、宗教的な側面や経済的な面など、あらゆるものの中からしか見つける事はできず、遥か遠いアジアの端からは見えてこない。イスラエルを非難する声とガザを擁護する声、そしてイランが核開発をするに至った真意などは到底判らない。複雑に絡み合った要因が引き起こした事実は、何の罪もない一般市民の被害だけだ。どちらかが自業自得で、そして被害者であるのかすら、私には全てを知りようがないのである。だから苦しい。トランプ大統領やネタニヤフ首相、そしてイランのハメネイ氏などの顔が思い浮かぶ度に、誰か1人が血塗られた惨劇を生み出す犯人という事は無く、3人、いやそれ以外にも多くの人間の思惑が練り上げられて、巨大な中東情勢という引火寸前の爆弾を作っている実験場の様なシーンが目の前に広がってくる。考えすぎだろうか、いや考える事から逃げて仕舞えば、永久に謎は解けず頭痛から解放される事はない。だから、本書をその薬の一つとして自分に処方している。
本書はパレスチナを巡るイスラエルとパレスチナ人の戦いの歴史を学ぶことの出来る優れた一冊である。同じテーマの本は腐るほどあるが、どうやら私にとっては、第一類医薬品の様に効きが良いものであったことは間違いない。但しそれは、イスラエルに対する怒りが多少強かったからかもしれないが。だから万人ウケするとは思わない。ただ、パレスチナの地に降り立ったジャーナリストが見た事実の一部分である事も間違いない。
その内容はパレスチナの地に人が存在し始めた歴史から、そこが世界の注目する非人道的な殺戮の現場、そして宗教的な争い以上に土地を巡る争いとしての側面に光を当てて描かれている。土地はパレスチナの人々にとっては母の様な存在であり、1948年イスラエル建国以降、その母の命を奪われた子としての人間の抵抗を鮮やかに描いている。その色は真っ赤な鮮血であるのだが。本書はパレスチナに暮らした筆者が描いている事もあり、悪は完全にイスラエルだ。彼らは「民が居た土地」に自分たちの都合だけを振り翳して入職してきた侵略者として描かれる。確かにサイクス・ピコ協定やフサイン・マクマホン協定など、英仏、米国、ロシアなど大国の思惑にイスラエルが翻弄されてきたのは事実だし、現在のパレスチナ問題を作り出した真犯人はイスラエル自身ではない。また第二次大戦でナチスドイツに虐殺されたユダヤ人達に対する同情もある。だがこれまでの歴史の中で、自分達が味わった苦痛をそっくりそのまま、占領地の人々に味合わせている、味合わせてきたのは事実だ。長い世界史の中でユダヤ人が味わった屈辱や痛みを感じない人は居ないだろうが、それを他者に負わせる理論だけは、全く理解が出来ない。そしてイスラエルの若者達にまで教育という名の洗脳により、あたかも自分達が正しく、安全を求めた行動として正当化するような刷り込みを続けるイスラエルという国家の恐ろしさをまざまざと見せつけられていく。果たしてその責任が現在の指導者層だけにあるというのも間違いだ。もう既に彼らイスラエルに住むユダヤ人の意識などは変えようもないのであろう。だから読み続けるほど苦しく別の痛みが自分を襲って、頭痛などは吹き飛んでしまった。
自らが再び流れる民にならないように、そして二度とホロコーストの悲劇を繰り返さないために、彼らのロジックは最早、日本が大アジア主義を掲げてアジア各国を苦しめた際の大東亜共栄圏確立の理由よりも深く重く固いものであると確信する。だから、本書が描かれた2000年代初めから随分年月が経過した今も、終わりが見えるわけでも無く、継続されていく。親から子へそして孫世代になっても、大した状況の変化がない。寧ろ兵器の殺傷力も使い方も進化した現在の方が遥かに、平和からは真逆の方向に大きく進んでしまった。今日、アメリカの大型ステルス爆撃機がイランの地下施設を破壊可能なバンカーバスターを投下したようである。
また火がつくだろう。最終的にイランがトランプの望む無条件降伏をした所でら何も変わらないだろう。怒りが怒りを呼び、攻撃が復讐と更なる反撃を連れてくる。そして民衆の心の中に生まれた怨嗟が更に大きなうねりとなって、どこかでまた表面化する。決してイスラエルだけを非難する事はできないだろうが、解決策を探るためには双方の求める着地点を見出さなければならず、それは表面的な事象を見つめただけでは無理だから、だから本書を読む。
Posted by ブクログ
チェルノブイリ事故の直後から継続的に取材を続け、「チェルノブイリ子ども基金」の代表も務めた筆者が、福島第一原発事故から二ヶ月後の時点でまとめた1冊。第二章〜第六章は、絶版となった広川の著書『チェルノブイリの真実』(講談社)の一部を抜粋、加筆したもの。当時のソ連政府当局――とくに医療グループ――の対応が、2011年の東京の政府の言動や発想と似すぎていて、腹立たしくなる。広河の言う通り、かれらは「チェルノブイリ事故から、「都合の悪いことは隠す」ということしか学ばなかった」のだ。
チェルノブイリ事故の結果、ロシア・ウクライナ・ベラルーシで起きたことは、まず間違いなく南東北と北関東で起きるだろう。そこに住む人々全体を広く薄く被曝させようとする動きは、いままさに起きていることでもある。にもかかわらず、ここをモデルに〈観光する〉とは、いったいどういう神経をしているのか。
その場所に住まない人間であるかぎり、人間が他の場所を訪れることは、論理的にはすべて〈旅〉とならざるを得ない。しかし、〈旅〉と〈観光〉は、似ているようで根本的に違う点がある。〈観光〉は、あらかじめ決まったルートを、自分の主体性というフレームを動かさず、既存のイメージを確認し、上書きするだけだが、〈旅〉はそうではない。いまはそこに住んでいない人間であるという自覚のもと、にもかかわらず自らの身体を、そこでの出会いが自らの言動・行動・思考・発想を変化させていく契機となる可能性を開いておくこと。
消費者として、「ダーク」なイメージを享楽し、そこに〈カネを落として〉いくという発想は、金満社会のコンビニ世界で安逸に暮らしている人間の傲慢さのあらわれ以外ではない。それが「日本のポスト・モダン」(柄谷行人)の成れの果てだとすれば、あまりに寂しい。