正面から見た洋風の建物が並んだこの本の表紙は1世紀37号(1956年12月刊)のもの。色や形がそれぞれ違うのに気がついた。縦にのっぽな建物、横に広がった建物… この表紙画には人物がまったく描かれていない。だけど人の体温というか人の息づかいが感じられる。ここでふと思った。花森安治は建物だけを描きながら、それだけを描こうとしていない、花森が描いたのはそこに潜む人の生活だった、だからそう感じられるのだと。
ほかの表紙原画をみるためにページをめくる。1世紀1号(1948年9月刊)の表紙画からは、引き出しがついた木製の家具や椅子などが見える。だが家具のテーブル部には取っ手付き鍋の底に新聞紙を敷いて置いていたり、少し開いた木の扉の上辺にハンカチのような布が引っかかっていたり… 商店ならばこんな風なディスプレイはタブーだろう。でもuntidyというよりもtidyな印象を受け、気品すら感じられる。花森はわかっていた。何の変哲もないありふれた小物や家具を並べながらも、その配置に「人の手を加える」ことでこそ「生活感」を演出できるのだと。それと、表紙に雑誌名などを入れるために空けられた余白として、画面の3分の1くらいが部屋の壁を占める空間として描かれているのだが、単なる白といった単色ではない。この壁の色彩にこそ生活がにじんでいる。この壁を表紙に描いた花森のセンスにまず脱帽する。
花森は44号から表紙を絵画から写真に変える。私はここで気づいたが、絵画及び写真の表紙では人物がほとんど登場しない。ひょっとして、花森は生活を描くと言いながら人物を描くのが苦手だったのでは、と一瞬考えてしまった。だがそうではないとこの本の読者は78ページの女性の顔のアップの表紙で気づくことになる。静物や建物が写実的に描かれているのに比べ、彼が描く人物はデフォルメされ、花森安治印が押されたかのようなオリジナルの目の形、肌の色、顔の輪郭を持つ。
そしてこれも特記しておきたい。この本には花森の言葉も多く載っている。特別なことは何も言っていない。だが読み手へのおもねりが一切ないのは強く感じる。だから私は彼の私利私欲のないメッセージが素直に胸に入ってくる。
「美しいものは、いつも世でも
お金やヒマとは関係がない
みがかれた感覚と、
まいにちの暮しへの、しっかりした眼と、
そして絶えず努力する手だけが、
一番うつくしいものを、いつも作り上げる」(P11)
一方で、私は一点気になったところもあった。
「はじめに」のP7で書かれていること。1911年生まれの花森は、戦前の1941年にすでに30歳を迎えていた。このころ花森はつてで大政翼賛会の宣伝部に勤めたと書かれている。そして戦時中の有名な標語「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」に関して、のちに花森が作者に擬せられたことがあるとも書いてある。だが彼は「それについて一切、語ることはなかった」とある。
私は花森が戦意高揚に貢献したのではなどを気にかけているのではない。もしそうであったとしても、彼を断罪する資格を私は持たない。そうではなく、花森が戦後、暮しや生活を第一に考えて筋を貫いた背景は、戦前の“失敗からの反省”にあったのではと考える時、やはり人間は完ぺきではないのだ、過ちを犯したことがない人間なんて存在しないのだ、と改めて謙虚な気持ちに私はなれる。
失敗しない人間なんていない。だがそこから正しい道を自分で見つけ、それ以降は自分にそれを踏み外さないように律することができた人を、私は尊敬する。暮しの手帖編集スタッフをはじめ多くの人は花森の仕事を評して「厳しい人」と言う。しかしそれは自分が誤ったことがあると自覚できた人のみができる態度だろう。言うが易し、行うは難し。先の私の引用は、確かに目新しい言い回しがなければ、現代のSNSで見られるような強力な引きもない。しかし花森が自分の失敗を教訓に自分の足元にある「暮し」に徹底的にこだわった彼の足跡をこの本からたどることにより、<暮しと結びついた美しさがほんとうの美しさ>という花森の言葉を真に理解できるとともに、デザイナー、編集者だけではない花森安治という人間の魅力と奥深さをこの本から受け取れるだろう。
そしてそれが「暮しの手帖」という1冊を媒介に現代までつながっていることに対して、改めて雑誌という媒体が持つ力の強さを思い知らされることだろう。