パスカル、モンテーニュ
星の王子さまを訳してるフランス文学者の本だからかやたらとフランス賛美感が強い気がしたけど、哲学本と見せかけて、フランスの真髄が知れる面白い本だった。日本人は孤独を悪と言い切ってて、忌み嫌い過ぎているけど、孤独の良さも語ってる所が良かった。何かが上達する時とか深まる時って孤独な時間だもんね。孤独な時間を経て人に必要とされる人間になるって本当に素晴らしい事だと思う。
日本からフランスに来てみて特に感じたことは日本人は自分の力で考えないって部分なんだけど、これはフランスが哲学に特化した教育をしてるからなんだよね。外国に住むと日本が明確に見えてきて楽しい。
小島俊明
1934年岐阜県生まれ。詩人・俳人。早稲田大学文学部フランス文学科卒、同大学院文学修士。東京家政学院大学名誉教授。日本文藝家協会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)『ひとりで、考える 哲学する習慣を 岩波ジュニア新書』より
「紀元前の古代ギリシャの時代には、すべての学問を包括していた philosophy(哲学)は、「知を愛する」という意味で、ヨーロッパにおいては一般の人たちにまで普及しているのです。人生について、世界・宇宙について、自分の知力で、論理的に、日々考えることを忘れないことです。 学問の歴史をながめると、「哲学」という学問はまず理科系、文科系に分科しました。さらに系ごとに例えば物理学、化学、数学などとこまかく分科しつつ発展してきました。しかし、どの学問にも哲学は含まれているのです。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「かなり前のこと。 NHKのヨーロッパ総局長をしていた磯村尚徳さんの、ヨーロッパ・レポートというテレビ番組を見たことがあります。そのレポートのなかで、特に忘れられないで記憶に残っていることがあります。 それは、日本の外交官たちが、ほかの国の外交官たちと違って、揃いもそろってアタッシェケースを小脇に抱えて、個人としてではなく「群れて」あわただしく、右往左往している光景が目立ち、奇異に思われているというものでした。 個人が重んじられ、個人として行動するのがあたりまえのヨーロッパにあって、群れて行動する日本人。それも一般の人ならいざしらず、国を代表する外交官たちが、そういうぶざまな姿を見せたということは、さぞや見苦しかったに違いありません。 「群れる」という行動パターンは、日本人の悪しき習性で、ながく続いた軍国主義の特異な遺産だという人もいます。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「京都で、修学旅行生の行列に出会ったフランス人が、「日本では、いまだに軍隊教育がおこなわれている」と言った、という話を聞いたことがあります。個人主義の見本といわれる国の人の感想として、うなずかれます。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「 「正解がないからといって、考えないでいいことにはならないよね。どうしても、自分なりに納得できる答えがほしいな」 そうして出した答えがみな正しいのであれば、こんなにいいことはないではありませんか。自分で考え、答えを見つければいいのですから。 哲学することは、そこからはじまるのですね。 哲学するには、まず孤独になる必要があります。 日本人はずっと孤独を悪とみなし、群れることを善しとしてきました。「孤独死」という日本語がありますが、こういう、人の尊厳を傷つけ、侮辱する日本語は、早く日本社会から消えてほしいものです。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「そんなわけで、フランスのバカロレアには、分野ごとの試験に先立って、試験週間の初日に、すべての受験者に、哲学の試験が課せられているのです。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「日本人はともすると、「和をもって貴しとなす」というあの聖徳太子の「十七条憲法第一条」が身についていて、争いをさけ、自分の主義主張を控えがちでありますが、日本国憲法には、「個人の尊厳」というヨーロッパの長い歴史をへて勝ち取られた思想が、盛りこまれているのです。アメリカからの押しつけ憲法だとかいわれるのも、この辺によるのかもしれません。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「一人ひとりが違っていて当然。同じはありえません。それぞれの個性が尊く、侵すべからざるものだから、互いに尊重しあわなければなりません。これが、個人主義の基本理念です。 学校などで同じ好み、同じ感じ方でないと仲間はずれにすることがあれば、それはまちがっています。早く正さなければなりません。 自分と同じ考えだから友だちになるのではなく、むしろ自分とは違う感じ方、違う考え方だから、友だちになれるのです。そこで、刺激しあい、切磋琢磨(励ましあい競いあって向上)するから友情がはぐくまれるのではないでしょうか。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「パリで暮らしていた時のこと。喫茶店でこんな光景を見かけました。 コーヒーを飲みながら親しそうに歓談していた二人の若者が、突然けんもほろろな言い合いになり、両者共に譲らず、はために口喧嘩しているように見えたことがありました。 しかし、やがておさまり、仲良くいっしょに食事にでも行くように、席をたつのでした。これにはビックリです。 日本でなら、喧嘩わかれになるような場面だったのに。そうはならずに、友情がこわれないのを見て、これが個を尊重しあう姿勢なのだなと、つくづく感じ入ったのでした。 友だちだからといって、いつも意見が合うとはかぎりません。むしろ意見の違いが互いの考え方を認めあうことにつながり、友情がそこなわれることがないのです。 個人主義が確立している社会では、幼稚園の時からすでに、人真似ではなく、「自分の意見」を持つように指導されていて、先生から意見を求められた時、」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「個の自律が弱い日本の場合は、友だち関係がひとつの「群れ」を形成し、親分があらわれ、親分・子分の関係になりやすい。群れる行動はとかく「個人」を否定し、個性を殺さないかぎり、群れのなかでいじめられる、という構図になるように思われます。 個性を出すと、「出る杭は打たれる」と俗に言われるようなことが、昔から日本社会ではありました。しかし、少しずつながらも、グローバル化が進むこんにち、この習俗は捨て去らなければいけません。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「群れから離れ、ひとりになってよく考える。自分に非(不正や落ち度)があれば、反省し、非がないかぎり、とことん自分で自分を守る。自分を大事にすることを考え、自分を愛し続けるのです。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「第三章で『星の王子さま』について触れますが、その著者サン゠テグジュぺリは、幼い時にお父さんを亡くし、お母さんの里などに転居したりしました。学校も当然ながら、転校しました。そのおりに、友だちからいじめにあった逸話が、残っています。 それは、彼の高い鼻がやや上向きで、鼻の穴が見えるほどだったことと、ひとりで物思いにふけりがちな彼の習性にまつわるものでした。 フランス語で「物思いにふける・ぼんやりしている」ことを、「月にいる」「月に行ってる」といいます。それをもじって、「彼の鼻が月に行ってる」と、からかわれたのです。 彼は、子どものころから、物思いにふけり、想像の世界にひたることが好きで、詩を書いて、周囲の者に朗読してきかせたりもしました。ともあれ、彼は、内面でからかい(いじめ)をのりこえ、自分の個性を生かし、成長しつづけたのです。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「ぼくが中学生のころ、友だちのなかに、「人の悪口を絶対に言わない子」がいました。静かに、自分の住む世界をもっていて、気軽に群れたり、調子づいたりということがない、不思議な子でした。 今、その友人を思い出すにつけ、知恵のある、自分の生き方を早くから心得ていた、感心な子だったなと、つくづくそう思います。彼には、「自分が悪口を言われたら、どんな気持ちになるか」、それを想像することができ、わかっていたのだ、と思います。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「私が出会ったフランス人女性はみな、母親になることにも、赤ちゃんの健康についても、きわめて気楽にかまえていた。もちろん、神妙な気分になるし、心配するし、人生の大きな転換期を迎えるという意識はある。だけど、英米人とは発しているオーラが大きくちがう。英米人の女性は、あれこれと心配し、妊娠中からすでに自分を犠牲にすることで、母になる覚悟を示すのが一般的だ。しかし、母になるフランス人女性は、おだやかな雰囲気をかもしだし、楽しみを捨てないことを誇示している。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「 フランスには、「選んだ孤独は良い孤独」という言い伝えがあり、子どもから大人まで、広くゆきわたっています。イギリスのあのパーセルの歌『おお、孤独よ』と同じ風土です。 みなさんも、孤独を悪とみなすのはやめて、反対に必要不可欠とみなして、日常生活に取り入れていかなければなりません。 スポーツでも、団体競技はさておいて、個人競技では、孤独に徹して練習、鍛練を重ねてこそ、上達するのです。ボクシング、柔道、水泳、陸上競技、などなどすべて然りです。 日々「孤独に黙々と」練習に励み、勝利への道をあゆむのです。 学習においても、考えごとや読書においても、孤独に徹しないと、進歩が見られません。研究の分野にあっても、同じこと。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「日常の生活、生きることにおいても、苦しみ、悲しみ、喜びなどなど、すべて、かみしめるのは、孤独に生きる自分の胸のうちです。 その孤独を引き受けてこそ、他者とのまじわり、共感、友情の真実を知ることができるのです。また、孤独を引き受けることによって、「人生どう生きるべきか」を考える哲学が、「自分のもの」となるのです。 そのようにして、本当の孤独を知るもの同士の、こころのつながりが得られ、友情が育てられるのではないでしょうか。握手がこころからの強い握手になるのは、そしてまた、「連帯感」に浸れるのは、そういう時です。 孤独が豊かな孤独となるのは、そういう時です。 真の孤独のなかで生まれた芸術作品が、共感というつながりを生むのも、そういう時です。この件については、第三章でくわしく触れたいと思います。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「敵を知るには、どうすればよいか。 敵の長所と短所を見極めて、短所を突くのだといいます。それから「敵になる」、つまり、「敵の立場に立ってみる」。これが大事だというのです。敵の眼で自分を見つめ直すのです。 それは想像をたくましくすることです。想い描いてみることを、兵法に取り入れているのです。 今から三百年以上も前に宮本武蔵が、「想い描くこと」の重要性に気づいていたのです。 敵の立場に立って想い描けば、敵がこちらをどう見ているか、何を考えているか、敵のこころが読み取れるというのです。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「 ミシェル・ド・モンテーニュは、カトリーヌ・ド・メディシス(十六世紀フランス王・アンリ二世の妃で、王亡きあと三人の息子をつぎつぎに国王に擁立した王母)に見出されて、王室とかかわりを持ちながら、ボルドーの城館にこもって、『随想録(エセー)』の執筆に生涯をささげました(モンテーニュについて詳しくは次節参照)。 四百年も前に書かれた、その唯一の著書が、フランスばかりでなく世界の教養人の読む古典となって、読み継がれてきているのです。 彼が生きた時代はルネサンス後期でしたが、宗教戦争の乱世でした。歴代の国王とかかわりを持ちながら、時に仲裁の役を自発的に買ってでますが、できるだけ政争にまきこまれるのを避けて、ボルドーの城館にこもり、人間らしい生き方を求めて、遠き古代ギリシャや古代ローマの文人たちの古典を読みあさり、思索を深めたのでした。 そして書き継いだのが、膨大な『随想録』でした。そこには、非常にたくさんの、古代ギリシャ、ローマの文人たちからの引用が見られます。引用は彼の思想をかためるものでした。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「 最後に、モンテーニュが、日本人のように、自然を愛していた一面もあったことを、指摘したいと思います。 彼は、農民が好きでした。自然を相手に仕事をするからです。 自然はやさしく、賢明で、公正な案内者です。 すこし自然のなすままに、まかせておこうではないか。 人間の生活を、その自然の性状にふさわしく営むこと。モンテーニュ」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「モンテーニュはフランス人を創った人、といえるほどの人です。藤原定家が日本人の美意識を創った人といわれるように。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「パリの街角の紹介写真などで、カフェが写っていたりしますが、冬以外には、椅子が道路にはみだしていることに気づいたことがあるかと思います。その椅子が道路のほうを向いているのを見て、奇異に感じたのではないでしょうか。あれは、休憩しながら、道行く人たちをそれとなく観察しているのだといわれています。 それほどモンテーニュっ子たちは、観察好きなのです。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「モンテーニュは、ラテン語の読み書きができたので、古代ギリシャ、古代ローマの古典を読みあさり、自分のものに消化し、思想を深めることができました。古代ギリシャのソクラテスやアリストテレスその他の哲学者たちを学び、古代ローマの詩人のヴェルギリウスやオヴィディウスを読み、引用し、自分自身の思想とした点が注目されます。 つまり広く大きな視野から問題を考察し、自分をしっかり持っていたところが、模範とされるところなのです。 狭い考えに閉じこもらず、熱狂せず、判断をあせらず、冴えた知性をしっかり保持する。そこが、モンテーニュらしい個性となっているのです。 たとえば、猫と遊んでいて、「猫のほうがわたしと遊んでいるのではないか」と考えるのです。 自分を絶対化しないで、相対化してものごとを考える。これは、乱世を見つめ、乱世を生きる知恵からきているのでしょう。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「三の段階(高等学校)では、所定のカリキュラムを履修して、最終試験にパスすれば、国際的に認められた大学へ、入学する資格があたえられます。外国の大学ばかりではなく、日本の大学のなかにもバカロレア合格者を入学させる大学が、筑波大、東大、早稲田大、慶應義塾大、国際基督教大、聖心女子大などのほかにも、どんどん増える傾向にあります。 以上に見られるように、今後の日本の学校教育全体が、国際バカロレアの教育カリキュラムにそっておこなわれることが、おおかたの希望になるのではないでしょうか。 二〇一九年二月に、私立山梨学院幼稚園・小学校が学校教育法正規学校として国際バカロレアのカリキュラム(幼小九年間)認定校に、日本で初めて承認された、ということが大きく報道され、話題になりました。 日本の学校は、国公立校と私立校とが並存していますから、一本化は困難をともないますが、今後、国公立・私立を問わず、こういう学校が増えていくことが期待されます。それは、外国人留学生を受け入れるためにも、必要なことです。 地球は平らになって、ひとつになっていく傾向にあるのですから。 つまり、国際化は世界の必然の流れであって、逆らうことはできないのですから。 くわしくは、文科省の発行資料をご参照いただきたいと思います。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「さて、デカルトは、十七世紀前半のフランスの哲学者でした。数学者としては、解析幾何学の創始者でした。本名ルネ・デカルト。 デカルトは、道徳と宗教に関心が強く、新しい哲学を樹立しようとしました。 三十八歳の時に公刊した『方法序説』という著書が、とりわけ有名です。その冒頭で、人間は誰もが公平に「理性」をもっていることを指摘し、その理性を正しく導く「方法」を説きました。 つまり、真理を探究する方法についての書物なのです。 理性を正しく導く方法とは、正しく考える方法のことです。それには「まず疑う」ことからはじめる。これがデカルトの「方法的懐疑」(疑いを抱く)とよばれているものです。 フランスの子どもたちが、学校で考えることを教わる時、「まず疑う」ことからはじめるのは、デカルトの「考え方」が下敷きになっているからです。 つまり、デカルトにとって「考えるとは疑うこと」なのです。すべてをたやすく信じないで、疑ってみること。そこから、哲学することははじまるのです。 デカルトは近代哲学の父とされています。方法的懐疑によってすべてを疑うが、疑っている自分の存在を疑うことができない。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「そして、考えることが好きになれば、生涯考え続ける哲学者になれるのです。 深く頭をめぐらせる人には、オオカミも詐欺師も近寄れないはずです。 他人と比較しない。自分は自分。自分で考えたことに自信を持ち、責任を持ち、自分を信じて、強く生きるのです。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
マルク・シャガールは、一八八七年に帝政ロシア(現在のベラルーシ共和国)のヴィテブスクのユダヤ人居留地で生まれました。 サンクト・ぺテルブルグの美術学生だった時の一九〇九年、ヴィテブスクに帰省中に、ベラと運命的な出会いがあり、翌年に婚約。 その年、パリ留学。モンマルトルの丘の「ラ・リュッシュ」というアトリエと宿舎を兼ねた若き画家たちの溜まり場に一年居住。詩人のアポリネールらとの知遇を得ました。画廊で個展を開き、画家としての活躍を開始し、四年後に一時帰国(一九一五年)し、ふるさとのヴィテブスクでべラと結婚式をあげました。 シャガールは、ベラとの結婚式の絵を、生まれ故郷ヴィテブスク、そこにいた鶏、ロバなどとともに、何点もくりかえし描いています。 一九二二年三十五歳の時、革命後のロシアを離れ、翌年、芸術の都パリに着きました。画商のヴォラールの知遇を得て、絵の注文も受けるようになりました。 一九三七年(五十歳)、フランス国籍を取得。 一九四〇年六月、フランスはナチス・ドイツ軍に全土が制圧されました。 抵抗運動がはじまリ、国外に亡命する人が続出しました。シャガール一家も、アメリカに亡命。 一九四四年(五十七歳)の八月に、連合軍によるパリ解放のニュースを聞いた、そのあとの九月二日。避暑先のニューヨーク州クランベリー・レイクにいた時、妻のベラがウイルスに感染して、急逝してしまったのです。 三十年に満たない結婚生活でした。 亡き愛妻をいとおしむ心は、他人の想像をはるかに超えるものがあります。シャガールは、ベラとともに激動の時代を生き抜いてきただけに、その思いは深く、はかりしれないものが感じられます。 ポンピドゥー・センターに納められているのは、数あるベラ作品のうちの最高傑作ばかりといってよいでしょう。
「ここで、いま一度ポンピドゥー・センターに戻って、シャガールの傑作『魔笛のフィナーレ』の前に立ってみましょう。 画面全体が、血の色・愛の色である「赤い色」に染まっていて、鑑賞者は、たちこめている、そのあたたかい靄につつまれます。 その画面の中心で、タミーノが両手をあげて万歳をしています。そのうえで、やはり両手をあげて、海老のように体をくねらせて、舞いあがるパミーナ。 大きな鳥、その傍らで魔法の笛を吹く顔、ヴァイオリンをひく演奏家、小鳥たち、雄鶏、小鳥のいる花盛りの樹木、人の顔、顔、顔、大きな魔法の笛、花束、それらを包むような、二重三重の大きな円、光を発する太陽……、生命讃歌の歓びのフィナーレの光景です。 創造と生きる歓びを歌う、シャガールの世界とモーツァルトの世界の、大合唱が聞こえるように見えます。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「大学生たちに愛読されている第一の理由が、この友だち関係の成立についての哲学です。新しく入学して、はじめて出会って、すぐさま友だちになるのは、まゆつば物だと、警告しているようであります。異性間、同性間を問わず、時間をかけて絆を創り、はぐくまないかぎり、本物の友情は育たない、といっているのです。 慌ててはいけない。時間をかけて「待つ」のです。そうしてこそ、生涯の友が得られるのです。 『星の王子さま』には、このほか読者に贈るプレゼントが、まだまだたくさん包まれています。その包みをあけるのは、まさにあなたの豊かな想像力にほかなりません。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「苦労は金を出してでもするものだ、といいます。 「なんでも見てやろう」と、外国までひとり旅に出た人がいました。 人間を観察して、人生とは何かを、自分の目で確かめてみようというわけです。経験が豊かであれば、想像力はそれだけ豊かになります。ですから、みなさんも広い社会に出て、たくさんの経験をつんでください。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著
「このように見てくると、考える際にものをいうのは、「豊かな想像力」、いうなれば「全人的な想像力」ではないか、と考えられます。 想像力が豊かであればあるほど、人の悲しみがわかり、思いやる心が育つのではないでしょうか。 数学者の岡潔は、「情緒」がいちばん大事だといっていました。」
—『ひとりで,考える 哲学する習慣を (岩波ジュニア新書)』小島 俊明著