或る職業、業界に関する事柄を取上げて時代や社会を観ようというような事柄は面白いと思う。本作もそうした取組に相当すると思う。「飛脚」という仕事、またはそういう事業、事業を展開しようとした人達、その様子の広い範囲の事柄が本書では取り上げられている。少しボリュームが在る新書のような感じだが、全く飽きない。なかなかに興味深い内容で、愉しく読んだ一冊だ。
「飛脚」という用語は、提供されるサービスや業種を表す用語としては明治時代に「郵便」や「運輸業」「運送業」という用語を使うようになって以降は用いられていない。(江戸時代の「飛脚問屋」の後裔と呼んでも差し支えないかもしれない運送会社というモノは在るというが。)そういう状況だが、それでも「街から街へモノや書類を届ける」という営為の「イメージ」としては社会の中に残っていて、運送業者でそのイメージのイラストをトレードマークにしていた例も思い当たる。
現代の種々のサービスに通じる様々な事業が方々で大胆に展開されていた江戸時代に「飛脚」というサービス、その事業の拡がりや様々な展開が在った。この「飛脚」という用語は意外に古い。源平合戦の頃に用いられ始めたのだという。
色々な国や地域の文明の展開の中で、馬で書類を携えた使いが往来するというような通信手段が登場していた。(極一部に例外も在るらしいが。)古代の日本でも「駅」という連絡拠点が設けられて、馬で使いが行き交って重要な通信を行うという仕組が現れた。そういう馬を前提とする通信の他方に「便りを届けて欲しい」と送り出されて、歩くか走るかで相手先を訪ねて書類を届けようとする例も見受けられるようになった。そういうのを「脚力」と呼んだのだそうだ。文字どおりに、脚の力で用事を足した訳である。
時代が下って源平合戦の頃となった。源氏陣営、平家陣営の軍勢が各地に展開し、各地で合戦が繰り広げられる状態になった。そうなると軍勢の動き、合戦の展開や結果というような情報が求められ、関係者はそれを発信しようとする。そんな中、「便りを届けて欲しい」と使いの者を送り出し、場合によってはリレー方式で陣営の中枢に情報を報せようと努力するようにもなる。そういうことで送り出した者を「飛ぶ鳥のように早く駆けて書状を届けよ」ということで「飛脚」というように称する例が現れたのだそうだ。
源平合戦の頃に「飛脚」という用語が現れたが、それは以降の時代にも受け継がれる。時代を下っても、各々の時代に「便りを届けて欲しい」という求めは生じ、それを受けて「飛脚」と称する者達が動いたのだ。そういう経過等も本書の最初の方には詳しい。
そして大掛かりな戦乱が続くのでもなく、現代の種々のサービスに通じる様々な事業が方々で大胆に展開されていた江戸時代に入って行くと「飛脚」という事業の拡大や発展が見受けられ、関係者が課題に直面してその解決への努力を重ねたというようなことが見受けられた。それが本書の「何を運んだのか?」または「街道の輸送網」という話しになるのである。本書の核心である。
現代とは勝手が違う江戸時代のサービスを論じるということで、本書では冒頭部に「飛脚を頻繁に利用し、その件を日記にも綴っていた人物」が登場する。かの滝沢馬琴である。『南総里見八犬伝』の作者として知られる滝沢馬琴は江戸の流行作家であって、その作家活動や活躍も長い年月に及ぶ。残念ながら消失してしまったモノが多いということだが、滝沢馬琴は几帳面に日常の様々を記録する日記を綴っていたことでも知られる。そこから伺えるのは「色々と細かい事に煩い親父さん」であった様子である。
本書と関係無いが、少し前に観た映画『八犬伝』で、創作された物語の映像化と、滝沢馬琴の暮らしや人生という描写が在った。本書の一部と、映画の滝沢馬琴の暮らしや人生の部分の画とが頭の中で交差して、少し迫って来た。更に江戸時代の宿場町の雰囲気や様子が伝わるような場所―滋賀県の草津、三重県の関、長野県の奈良井―を訪ねてみた想い出も在るので、本書で説かれる宿場町を巡りながら目的地を目指す飛脚の様子が頭の中に浮かんだ。
本書に戻る。取り上げられている滝沢馬琴は、作品を大坂の版元から出したという経過も在って、そうした版元とのやり取りに飛脚を多用している。その飛脚を利用した経過のことを紹介し、本論の飛脚の事業を紹介する辺りに巧く反映させているのが本書だ。また飛脚そのものを利用する以外に、色々な場所の様々な人達とのやり取りが生じるが、滝沢馬琴の様子を例にそうした「通信サービス」を紹介するような拡がりが在るのも本書の面白さだ。
飛脚は事業者が組合のようなモノを起こし、それらがネットワーク化されて各地の街で書状やモノが運ばれる体制が作られた。そして方面毎に馬に荷を積んで街道を行き、一部は途中から人が歩くか駆けるかでリレーをするというようなことで目的地の宛先を目指したのだ。そして少し驚く程に細かく「〇〇の街へはX日で届く」というような内容と料金が設定されていたようでもある。
江戸時代に街道を往来するとなれば、川の増水というような自然条件で動き悪い場面が在ったが、飛脚もそういう様子に悩んだ場合が在った。加えて飛脚の場合には馬や人の都合がつかずに困る場合も在った。またモノを水に落として濡らしてしまう、災害に巻き込まれて紛失してしまう、火災に遭う場合や、盗難に遭う場合も在ったようだ。
飛脚のネットワークによって、種々の商品や代金決済の為替や現金が行き交い、江戸時代を通じて発展した商品経済が支えられていた一面が在る。加えて災害や事件等の情報が行き交う場合にも飛脚のネットワークが活かされたようだ。
更に飛脚の、纏まった資金を預かって動かすというような仕事、或いは街道を走り回って様々な危難に出くわす場合も在りそうなことが色々と想像を掻き立てるということで、文学作品の題材に取り上げられている例も幾つも在るようだ。
現代とは勝手が違う江戸時代ではあるが、それでも現代の種々のサービスに通じる様々な事業が方々で大胆に展開されていた。そうした例の中で非常に大きな存在感を放っていたと見受けられる「飛脚」を詳しく広く論じた本書は非常に興味深い。飛脚を論じている本書だが、映画、小説、その他の本で得たような江戸時代に纏わる知識やイメージ、当時の様子や雰囲気を伝えるような各地での見聞を、街道を駆け抜ける飛脚のように結び付けてくれたかもしれないとも思う。広く御薦めしたい一冊だ。