2025.23
韓国の国家人権委員会調査官による著書で、毎日訪れる様々な陳情人について書かれた本だった。"心や身体を傷つけられ悔しい思いをした人"が助けを求めることができる機関があることを初めて知った。
P3 『プロローグ 私たちは少し悲しくて愛おしい存在』
P8 フランスでは中等教育課程で最も重要なテーマの一つとして扱われるのが「労働権」だそうだ。法律的な権利や義務を教える以外にも、労働者として被害に遭ったとき救済措置を受ける方法や、労働組合の活動中に必要な団体交渉術をあらかじめ学べるように様々なプログラムを運用しているという。多くの人々が一生労働者として生きるということを考えると、労働者の権利を学校で学ぶことはどれほど妥当で当然なことだろうか。悔しい目に遭ったとき、労働者として、納税者として、市民として対応できる術を義務教育を通して学ぶことができたら、平凡な人々が暮らしていくうえでどれほど大きな助けになるだろう。そんな気持ちで書き始めたこの本の最初のタイトルは「悔しいときに読む本」だった。
P10 レイモンド・カーヴァーの短編小説「ささやかだけれど、役にたつこと」には、不慮の事故で子どもを失った夫婦が、パン屋の主人がくれたロールパン数個に深い慈愛を感じる物語が描かれている。夫婦が息子を失ったと言うと、パン屋の主人は自分にできることで夫婦を慰める。私の作った温かいパンを食べてみてください。少しでも食べて元気を出したほうがいいでしょ。こういうとき、何かを食べることはささやかなことだけど、役にたつと思います」。オーブンから取り出した湯気のたつシナモンロールを食べコーヒーを飲みながら、明け方になるまでパン屋の主人と話を交わす間、夫婦は少しだけ子どもを失った悲痛な思いから逃れられたかのように見えた。私が紹介する話が、パン屋の主人が差し出した温かいロールパンくらいの慰めになることを願うばかりだ。
P88『イシモチ売りのくせに』
P93 必ずしも意図を持って誰かを掃除機や透明人間にするのではないだろう。むしろ何も考えていないことが問題を引き起こす場合がずっと多い。薄だいだい色を肌色といえば、他の肌の色をした人たちは「間違った」肌の色をした人になる。考えてみれば、肌の色は一人一人異なるのに、本来私たちの肌の色とは異なるこの色を、どうして私たちは肌色と呼ぶようになったのだろう。
「青少年交通カードを端末機に当てると「学生割引です』という音声メッセージが自動的に流れるんですが、その時、まるで自分が嘘をついているように感じました。私は青少年だけど学生ではないんです」。十代は誰でも学生という固定観念が、学校に通わない青少年を透明人間にしている。公共交通機関での「学生割引」を「青少年割引」に変えた理由だ。
P171『十人がひと匙ずつご飯を足せば』
"十匙一飯"プロジェクト…
P174 この基金は毎年二、三人の人権活動家の休暇に使用される。選定基準は、志願者がどんなによく休み、よく食べ、よく遊ぶ計画を立てたかによる。仕事を頑張りなさいという意図のファンドはもう社会にいくらでもあるから、よく休み、よく食べ、よく遊ぶことを支援するファンドも一つくらいあってもいいのではないだろうか。休んで食べて遊ぶことこそ、人間の尊厳を守る重要な要素であるにもかかわらず、実際にそういう権利のために闘っている人々の休息はきちんと保障されていない。人権委調査官の小さな気持ちが集まり、人権活動家たちの寝床となり、航空券となり、一食のクッパになると思うと、心が温まる。
P177 『夜道の恐怖』
P179 武術を習っていたら、夜道を歩くのはもちろん一人旅も自由にできて、遠距離出張に行く際、安全な宿泊先を探すためにお金や時間を浪費することもなさそうだった。ところがトランス女性のインタビューを読んで、女性たちが感じる恐怖は武術を錬磨し力をつけたとしても(もちろん少しは役に立つだろうが)、根本的には消えないという事実に驚いた。女性たちには非常に普遍的な夜道の恐怖を、普通の男性たちは知らないということを、息子を育てながら何度も感じた。夜遅くならないでと小言を言うたび、「はいはい、お母さま」と冗談交じりに答えていた息子がある日、驚くべき質問をしてきた。「母さんは夜道がそんなに心配なの?僕が迷子になりそうだから?」。女である母親が一生を通して経験してきた恐怖心を、息子はまったく知らなかった。息子と話をして、普通の男性が夜道を恐れていないのは、(性)暴力の恐怖を想像しないからだということを知るようになった。
P189 『夕日にも事情があるでしょう』
天気予報をしてくれる気象庁のように、「心庁」があって日々心の予報をしてくれたらいいのにと思ったことがあった。「朝の出勤時、久しぶりに心が木蓮の花のように明るくなるでしょう。午後になると花影が濃くなり、多少寂しくなることが予想されますので、朝の時間の明るさを十分にお楽しみください。夕方以降は、季節症候群としてうつモードが近づく見通しです。事前に傘、ではなく、好きなケーキを一切れとミルクティーを一杯用意しておくといいと思います。以上、心庁からお届けしました」このような心予報を聞いてあらかじめ心の天気に備えられたら、醜い心のざわめきが少しは減るのではないだろうか。他人の感情はおろか、自分の心すら読めない日が多い。朝になると無意識に目覚めて出勤し、夕方になると何も考えずご飯を食べ、猫のようにうずくまって心の動きを無視する。繰り返される日々の中で、持ち主をなくした心は、自分一人で一生懸命感情の糸巻きを作るようだ。感情というものは、持ち主が薄情ならそのまま振り返らずに去って行けばいいのに、未練がましく体のどこかにうずくまっていて、小さな動きにも揺れ、歪む。椿の花びらのように赤く柔らかかった心が、すぐにカラタチの木の棘のように尖ってしまう。だから心予報のようなものがあれば、朝に一度、夕方に一度、私の心の天気がどのように変わるのかを見て、撫でてなだめたり、怒ってあげたり、憎たらしい絡まりを予防したりしたい。そして心の片隅に積んでおいたピンクの糸巻きをいくつかすくい上げ、杏子の花のようにかわいい服を一つ編んで着てみたい。杏子の花のようにかわいい服を編みたい日には、編針を探す代わりに、スニーカーの紐をきつく縛った。春と秋には事務所から近い南山に、夏の夕方には仁王山に登った。「退勤して山に行こう」と声をかけると、暑い、寒い、疲れる、こういう無粋なことを言わずに付き合ってくれる優しい同僚たちがいるからこそ可能なことだ。事務所の壁掛け時計が午後六時を指すと、すぐに動きやすい服に着替えて、水をいっぱい入れたタンブラーを持って事務所を抜け出した。ヨガパンツとスニーカー姿で平日の夕方の都心を闊歩しているだけでも自由人になった気がした。
P194 『踊れてこそ人権だ』
P196 国の人権水準を測る様々な指標がある。米国西部のある都市は川をさかのぼるサケの数を人権の指標にしているという。サケが泳ぐ川がある都市なら、人間も暮らしやすい人権都市に違いない。もし人権指標を開発しなさいと言われたら、宿泊と食事の問題を心配しないでいられる詩人の数と、適当なダンスであっても週に一度以上ダンスをする人々の数をここに含めたい。このような権利を「表現の自由」とか「文化享受権」のような大げさな言葉にせず、「心配せずに踊って、詩を書きながら暮らす権利」と表現したら、人権がどんなに簡単で温かく聞こえるだろう。人権委法の人権の定義も、やはりこのように簡単なものに直したい。「詩を書くことは人権だ。踊れてこそ人権だ」人権委法を私の好きなように書き換えることはできないが、代わりに私たちには思いっきり踊る権利がある。
P198『愛猫のプリに学んだこと』
P204 「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」。世界人権宜言第一条のこの文章が人類の約束になる前までは、すべての人間が等しく尊厳ある存在というわけではなかった。尊厳は闘って勝ち取ったものであり、自然に生まれたものではない。まるで空からドンと尊厳が落ちてきて、人間の骨に埋められたかのように、私たちが互いを尊い存在だと肩じようと約束したから、みんなが尊い存在であり得るのだ。私たちは人類のこの約束を守るために、貴族だけ、白人だけ、男性だけ、非障害者だけ、異性愛者だけが入ることができた尊厳の枠を徐々に広げてきた歴史を知っている。この歴史のページごとに、筆舌に尽くしがたい殺戮と戦争が、排除と差別が居座っており、この約束を守るための闘争は現在進行形だ。私は考えてみる。その尊厳のための闘争が、これからは人間ではない動物の領域にも拡張される時代ではないか。〜ドイツの哲学者ペーター・ビエリ(パスカル・メルシェ)が「人間の尊厳のありかた』で言ったように、尊厳とは与えられるものではなく、他人が私にどう接するか、私は他人にどう接するか、私は私にどう接するかといら問題なら、それは必ずしも人間と人間のあいだの関係作りに限定されず、人間と他の動物、自然との関係作りに拡張されるのではないか。いい人間を超えて、いい動物になるというのは、もしかしたら私たちが生を最も尊厳をもって生きる方法ではないか。
P206 『訳者あとがき』
本書を理解するうえで、まず知っておきたいことは、「国家人権委員会」(以下、人権委)の存在だ。著者は人権委で長期にわたり、調査官として働いた。人権委は、韓国社会において人権を守る役割を担っている。国家人権委員会法によって設立され、その目的は「すべての個人が有する不可侵の基本的人権を保護し、その水準を向上させ、人間としての尊厳と価値を実現し、民主的な基本秩序の確立に役に立つこと」(第一条)としている。二〇〇一年に設立され、捜査や裁判などにおける人権侵害や軍での人権侵害などを調査し、解決の指針を提示し、勧告を出してきた。ただ、その勧告には強制力がない。しかし、差別や人権侵害を、「差別だ」「人権侵害だ」と、国家機関が明確に示すことで、社会全体への響告になり、被害者の気持ちに寄り添う結果を生む。もう一つ知っておきたいことは韓国の現代史だ。〜軍事政権が行った人権侵害(ときにそれは人の命を奪うものであった)がより明確になっていくのである。それらを今となって裁くことはできないかもしれないが、誰かが実態を調査し、被害者の「悔しさ」を癒す必要があった。それは、社会統合の上でも非常に重要なものだと考えられる。人権委は、まさに人権を踏みにじられた人々の、気持ちに寄り添った機関と言っても過言ではない。もちろん、そこでもはっきりさせられない事件はあるが。
P209 京郷新聞は、「救済されないつらさ、その悔しさの向こうにある物語」とのタイトルで、「本書には人権委の調査結果報告書には表れない人々の物語が描かれており、多くの事情を持つ様々な人々の生々しい姿が描かれている」と紹介した(二〇二二年七月十五日)。著者は「私たちが肩じて頼っている法律と制度は、私たちが期待するよりもずっと無力な場合が多い」とし、だからこそ「法律と制度を上手く作ることと同じくらい、誰がどんな気持ちでそれを遂行するかが重要」であり、人権を大切に思う心こそが、「法律の網で救済できなかったつらさや悔しさの拠り所になれるだろう」と本書で述べている。誰にとっても生きるのは楽ではない。つらい思いをしたとき、すぐに叩けるドアがあり、一人でも自分の味方になってくれたらどんなにいいだろうと一度は思うだろう。人権委は今の韓国社会にとってまさにそのどこにでもあってほしいドアなのである。