徹底的にオーストラリアのグリンジというコミュニティの個別文脈性にこだわり、普遍性と実証主義を学問的良心とする歴史学との間に対話の空間(著者の言葉で言えば、協奏の可能性)を生みだそうとした労作。多様な歴史経験に真摯に向き合うことの重要性が一貫して主張されている。筆者がもし存命だったら、次作は(著者が批
...続きを読む判の目を向ける)メインストリームの歴史学の手法に則って、どこまで本作の問いが深められるかを追求して欲しかったと思わせる。筆者が理想とする歴史教育のあり方——客観的な〈史実〉と主観的な〈経験〉のバランスの取り方——について、一緒に議論してみたかった。
人類学の側からはグリンジの社会の描出が粗いことや、ジミーおじさんの意見の代表性(ジミーおじさん以外の人々の声があまり聞かれない、女性が登場しない等)に関する批判が出てくるかもしれない。それは個別学問のディシプリンに(忠実に)従うならば、おそらくそうなのだろう。そうした批判に著者なら、こう答えたかもしれない。「確かにそうかもしれませんが、それは私が提示している問いの本質性を揺らがせるものではありません」と。残された時間と体力との格闘の中で、歴史学における個別と普遍の間(境界)を必死にこじ開けようと奮闘する筆者の姿には、大いに励まされるものがあった。著者の残した問いは大きいが、「難しい問いですよね」と言って巧妙に“排除”するような人間にだけはなりたくないものである。本書を等身大で受け止める度量が私たちに問われている。