原島由美子の作品一覧
「原島由美子」の「オシムがまだ語っていないこと」「箱根駅伝を伝える テレビ初の挑戦」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「原島由美子」の「オシムがまだ語っていないこと」「箱根駅伝を伝える テレビ初の挑戦」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
小説・文芸
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Posted by ブクログ
物心ついた頃から、箱根駅伝は正月の自分にとって最高のエンターテインメントだった。まず家でダラダラしながら見ることができる。その上、競技時間も長いからずっと集中して見る必要もない。トイレに行ったって構わないし、多少家族と話しながら横目で見たって構わない。少しずつ自分が歳をとってくるにつれて、正月ぐらいはゆっくりしたいと思うとついついテレビでつけてしまうのが箱根駅伝だった。最近ではコースのすぐそばに住んでいるために、毎年沿道で選手を応援するようにもなっている。
本書は、その箱根駅伝を初めて全編中継した日本テレビの奮闘をめぐるノンフィクションだ。デジタル時代の今となってしまっては、そんなに大変なような感じはしないが、初めて中継が行われたときには、当然スマホもなければ、デジタル放送もない。アナログの時代で、箱根駅伝を中継するには、並々ならない苦労があったということが本書を読むとわかる。そもそも初めて中継をしたときには、3区と4区、今でもつなぎと呼ばれる区間は中継ができず、ゴールから花の2区、そして山登りのみが中継されたようだ。
そもそもどんなにスポーツ好きな人であっても、スポーツ中継の裏側がどうなっているかというのはほとんど知らない人が多いと思うし、実際自分もそういうタイプの人間だったので、1つの番組を作るのに、これほど多くの人間が関わらなければならないということにまず驚きを覚えた。たまに街でドラマの撮影なんかをしているとやたらと人が多くて、なぜあんなに人がいるんだろうかと思うことも多かったのだが、本作を読んでみると、確かに1人で担当していたら倒れてしまえばおしまいだし、映像に穴を開けるわけにはいかないので、予備的に人が配置されているのがよくわかる。最後に追加された100回大会の記事を読むと、なんと1000人体制で制作を行っているらしい。正月早々1000人もの人が動いて、番組を作るというのはちょっと想像がつかないし、それを毎年回しているというのは、やはり大企業だからできることだなぁとそんなことを考えてしまった。
本書が刊行されたのは、実は2007年ということで、今から見てももう20年ほど前になる。その時にはまだスマホもなかったわけで、今となれば、また違った視点で当時を振り返ることができたのかもしれないとも思う。本書は、たまたまAudibleで聞いたのだが、こういった注目はされづらいが歴史的な取り組みをテキストという形に残すのも立派な仕事だよなとか、全然関係ない方向で感心してしまった。
Posted by ブクログ
正月二日、三日の箱根駅伝をテレビで楽しむ。その『テレビで楽しむ』を当たり前にするために奮闘したテレビマンたちの物語です。
1987年、日テレによる初めての箱根駅伝生中継が行われた。1区~2区、4区~5区、6~7区、9区~10区の4部構成で、初めから全区間生中継とすることはできなかったものの、初の超長距離ロードレースの生中継かつ、山岳レースの生中継。彼らが挑んだ箱根駅伝の魅力と、魔力と、厳しさと、歓喜を味わうことのできるノンフィクション。昭和のあの時代の空気を味わうことのできる一冊でした。
傑作だと思います。とても良いお話でした。
そして何より、これが当時、現実に行われたことだということが素晴らしい。
この時、『この箱根駅伝を、全国の人に知ってもらいたい。彼らの走りを見てもらいたい』と願い、気力を尽くして練り上げ、戦ったテレビマンたちがいたから、今この時代でも箱根駅伝を見ることができている。そう思うと、本当に頭の下がる心地です。素晴らしい、後世に残る仕事をして下さった日テレの方々に敬意を。
今の世の中で、これほどの仕事はなかなかできないと思います。昭和終期や平成初期にあった何か急き立てる情熱のような、人を前に前にと向かわせるようなものは、今の時代には感じられなくなったような気がします。あの時代だからこそ、できた仕事がある。そんな働き方ができた時代が、少し羨ましくもあります。
今、当たり前に見ることができる『箱根駅伝』の裏側を知ることができる、素晴らしい作品です。
これを読んで、なおさら年明けの箱根が楽しみになりました。年内に読めてよかった。
池井戸潤先生の『俺たちの箱根駅伝』と合わせて読んでも楽しそうです。
『テレビが箱根駅伝を変えてはいけない』
その想いは、きっと今までも、これからも、放送手形と共に引き継がれていくのでしょう。