あらすじ
“箱根”に魅せられたテレビマンたちが、前代未聞の生中継に挑む
いまやお正月の風物詩となった、箱根駅伝。1987年、初めてテレビ中継に挑んだテレビマンたちの奮闘を描く傑作ノンフィクション。
正月の風物詩として人気を誇るテレビ番組「箱根駅伝」。しかし、1987年の初回生中継は挑戦の連続だった。全長200km超え、800m以上の高低差のある過酷なコース。電波の届かない箱根の山々と、降りかかる無理難題にどう立ち向かったのか。今なお語り継がれる初回放送の舞台裏。テレビスタッフの物語をドラマチックに描く。
単行本……『「箱根駅伝」不可能に挑んだ男たち』2007年12月ヴィレッジブックス刊
文庫版……単行本を改題し、加筆・修正 2024年5月文春文庫刊
この電子書籍は文春文庫版を底本としておりますが、文庫版収載の写真4点は収録されておりません。ご了承のほど、お願いいたします。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
箱根駅伝がテレビ中継されるまでに、こんなにチャレンジがあり、多くのスタッフが関わっていたことを知った。
今後箱根駅伝を見る目が変わりそう。
毎年、年始に熱い思いで、どこにいても箱根駅伝が見れることに感謝したい。
Posted by ブクログ
正月二日、三日の箱根駅伝をテレビで楽しむ。その『テレビで楽しむ』を当たり前にするために奮闘したテレビマンたちの物語です。
1987年、日テレによる初めての箱根駅伝生中継が行われた。1区~2区、4区~5区、6~7区、9区~10区の4部構成で、初めから全区間生中継とすることはできなかったものの、初の超長距離ロードレースの生中継かつ、山岳レースの生中継。彼らが挑んだ箱根駅伝の魅力と、魔力と、厳しさと、歓喜を味わうことのできるノンフィクション。昭和のあの時代の空気を味わうことのできる一冊でした。
傑作だと思います。とても良いお話でした。
そして何より、これが当時、現実に行われたことだということが素晴らしい。
この時、『この箱根駅伝を、全国の人に知ってもらいたい。彼らの走りを見てもらいたい』と願い、気力を尽くして練り上げ、戦ったテレビマンたちがいたから、今この時代でも箱根駅伝を見ることができている。そう思うと、本当に頭の下がる心地です。素晴らしい、後世に残る仕事をして下さった日テレの方々に敬意を。
今の世の中で、これほどの仕事はなかなかできないと思います。昭和終期や平成初期にあった何か急き立てる情熱のような、人を前に前にと向かわせるようなものは、今の時代には感じられなくなったような気がします。あの時代だからこそ、できた仕事がある。そんな働き方ができた時代が、少し羨ましくもあります。
今、当たり前に見ることができる『箱根駅伝』の裏側を知ることができる、素晴らしい作品です。
これを読んで、なおさら年明けの箱根が楽しみになりました。年内に読めてよかった。
池井戸潤先生の『俺たちの箱根駅伝』と合わせて読んでも楽しそうです。
『テレビが箱根駅伝を変えてはいけない』
その想いは、きっと今までも、これからも、放送手形と共に引き継がれていくのでしょう。
Posted by ブクログ
これは文句なしの力作だ。
毎年楽しみな、お正月の名物番組。
その裏側にこんな物語があったとは・・・。
来年のお正月も楽しみに見させていただきます。
Posted by ブクログ
毎年 箱根駅伝を楽しみにしている身として、その中継の裏側であり、その中継の原点となる第63回大会のテレビクルーたちの奮闘を描いたドキュメント。
多くの取材によってまとめられたストーリーはとてつもないリアリティーで訴えかけてきます。
個人的なことですが毎年箱根駅伝5区のコースを走って上ることを趣味としているので、あの場所ではこんな苦労があったのかと箱根の険しさを再認識させられます。
ただ、おそらく取材によって膨大な素材を得て書かれた本なのでしょう。
もっと膨らませたり、もっと前後の出来事と絡めて描けたのにと残念に思う場面もいくつかありました。
それだけ箱根駅伝は奥が深いということですね。
Posted by ブクログ
箱根駅伝全区間を生中継する日本テレビの挑戦。正月三が日を箱根駅伝のために奮闘するスタッフたちの感動の物語。
池井戸潤「俺たちの箱根駅伝」の元ネタの一つと思われる。小涌園の協力や定点カメラの設置場所を巡る交渉など。
ほぼ日テレスタッフの話だが、初出場だった山梨学院大学生、後に漫画家となる高橋しんとご両親のエピソードも感動的だった。
今では当たり前のような生中継、実は多くのスタッフの努力の結集でもある。
感動する一冊です。
Posted by ブクログ
元々箱根ファンだから、贔屓目だと思う。でも、それにしても胸熱だ〜
通勤電車で読み始めたけど、アナウンスも周りの人の咳なんかも気にならず、一切の音を遮断して集中できたのは久しぶり。
テレビが箱根駅伝を変えてはいけない。
というのも印象深いフレーズだった。
あとは、欽ちゃんが大学在学中に言っていた「どの順位にも物語があるの。だから箱根駅伝は素晴らしいの」というような言葉が全てだな〜と。
Posted by ブクログ
今やお正月の風物詩として定着した箱根駅伝の生中継。読売テレビが初めて箱根駅伝を生中継したのは意外にも最近で1987年の第63回大会で、本書は箱根駅伝の生中継に挑んだ中継裏方スタッフの方々の奮闘を描くノンフィクションです。
私も含め一般視聴者は箱根駅伝の生中継の技術的なハードルの高さをあまり認識していません。競技場で競技が完結するトラック競技や、ほぼ街中折り返しで20数㎞の範囲で完結するマラソンとは異なり、箱根駅伝は片道100㎞超、しかも5区、6区ではかなりの山間部にコースが設定されています。山間部ではいかに放送の電波を途切れずに中継するかが問題で、本書でもコースを俯瞰できる山の山頂や、コース沿いの建物の屋上など、多くの地点に機材を設置する様子が描かれています。
「ヘリコプターで中継すればいいやん」と思ってしまいますが、箱根山中は気流が乱れやすく、ヘリコプター無しでの状況も想定しなければなりません(実際、2日目復路は飛べなかった)。それら問題を一つ一つ解決し、中継の実現を目指すまでを描くのが本書前半部。
そして本書後半は1987年の第63回大会の経過とともに、スタッフがどう動いて中継を実現させたかが描かれています。
初の生中継に挑んだプロデューサーが拘ったのは「テレビが箱根駅伝を変えてはいけない」という事。昨今のオリンピック中継では、開催時期が他のプロスポーツとの兼ね合いで真夏になったり、スポンサーの意向で競技時間が変更になったりと”テレビの都合”が優先されるケースが散見されます。このプロデューサーの志があるからこそ、今も安心して中継を観ていられるのだと改めて実感。
過去に出場した選手への取材を重ねるうち、この大会の歴史的な重みを再発見したり、中継スタッフが真冬の箱根山中で一晩を過ごすことになったり、スタッフ、アルバイト含め300人超の宿泊、食事の手配に奔走するスタッフがいたり、本当に多くの人がいろんな形で協力することで実現できている番組であることを再認識しました。
選手を主役にしたノンフィクションは数多くありますが、テレビ中継スタッフを主役にした本書、私達が普段は目にする事がない裏方さんにスポットを当てた素晴らしいノンフィクションだと感じました。