哲学について簡潔なテキストと図解で説明されている。タイトルのとおりで知識ゼロでも楽しく読めると思う。
テーマが幅広いため読み飛ばすところが少なくて読むのに時間がかかってしまった(テーマが限定的で深掘りされているような本であれば詳細で興味のないところは読み飛ばせば良いが、本書の形式ではそういうわけにもいかない)。時間をかけられる場合は読みやすくて良いと思う。
053ページ
ヴィトゲンシュタインは、感覚や感情、意志など、自分の体験を自分のためだけに記録する言語を「私的言語」と呼び、私的言語は他人が理解できないので、無意味なものと主張しました。
→上司の言っていることが理解されない、というケースではこの私的言語の性質が原因の一部になっていることもあると思う。ただし単純に説明不足や説明下手の要素もあるだろう。
068ページ
デカルトは生得体験をもとに演繹法によって正しい知識を得られると考えました。
082ページ
ベーコンは、イドラを排除して正しい知識を得る方法として、「帰納法」を重視しました。
→演繹法と帰納法については読む前から知っていたが、こうやってデカルトとベーコンを比べることは考えられていなかったので参考になる。巻末の索引で演繹法は載っているのになぜか機能法は載っていないため、後で探せるようにページ数をメモしておく。
144ページ
カントは生涯独身でしたが、「ひとりで食事をすることは、哲学者にとって不健康」と考え、毎夕、知人や友人を招いて会食をしました。会食の席では、カントはユーモアに富んだ会話を好みましたが、哲学や学問の話は厳禁だったそうです。
→哲学者以外の独身者にも響くものがある。会食を真似したいところだがハードルが高くてできそうにない。
180ページ
ボーヴォワールは、生物学的な性差である「セックス」と、社会的・文化的な性差である「ジェンダー」の違いを明確にしようとします。
→私もこの両者に違いがあることを理解できていなかった。プログラミングの変数名でsexと書くのが恥ずかしくてgenderと書きます、という話を聞いたことがあるが、言葉の定義が異なるならこの言い換えは本質的には良くないのかもしれない。
188ページ
ソシュールは、言語には「シニフィアン」(意味するもの)と「シニフィエ」(意味されるもの)があるといい、言語が異なると、「シニフィアン」と「シニフィエ」の結びつきが変化すると考えました。
→ソシュールの名前は言語学者として聞いたことはあったけど哲学者の分類でもあるということを本書で知った。
→シニフィアンとシニフィエが何なのかサッパリわからないし、図解を見てもわからなかった。Wikipediaを見てようやく理解した。正直、本書の図解が悪い。
↓
シニフィアンとは、語のもつ感覚的側面のことである。たとえば、海という言葉に関して言えば、「海」という文字や「うみ」という音声のことである。一方、シニフィエとは、このシニフィアンによって意味されたり表されたりする海のイメージや海という概念ないし意味内容のことである。