海外短編を紹介するポットキャスト<翻訳文学試食会>で取り上げられた本。
最初の2,3短編を読んで、この短編集の題名『アメリカへようこそ』が、この短編集のテーマなのかなあと思っていたら、短編の中の一つの題名でしたね。
しかし短編集の全てが、今この現実の社会の出来事であるように書きながら、さり気なく、しかし確実に読者に目に付くように現実社会にはない用語が出てきます。それにより、現実の社会の問題点を目立たせて「さあ、読者の皆さん、考えましょう」って感じです。そのためこの短編集全体的が「アメリカってこんな社会ですよ。ようこそ、真実のアメリカへ。」って印象を受けました。
しかし…正直言ってそこまで惹き込まれない…(-_-;)。巻末のあとがきでは「寓話的」って言っていますが、寓話にしてはわかり易すぎるというか、エンタメっぽいというか、作者は問題定義だけして、小説の社会に対しても読者に対しても皮肉目線で他人事なんだよなあ…。
私がこの短編集を★3つにした理由として、小説の表現方法として「羅列」が多くて一本調子、問題定義がわかり易すぎる、その問題定義に対して優しさというか社会を良くしたいって感じがしない他人事感がある、たまに「妙にこだわっているようなこの設定必要?」というものがある…、うーん、要するに私には合わないだけです。ごめんなさい…(-_-;)
<翻訳文学試食会>の課題作品はこちら
『儀式』
生産性のなくなった老人は親族に「儀式」の招待状を出す。この社会は社会の役に立たなくなる70歳目安で自●するのだ。だがもうその年令を超えたオーソン老人は「わしは儀式はしない」と言っている。彼の親族はもちろん、その下の代の親族も亡くなっているが、オーソン伯父さんだけは生きている。この老人は、親族が引き受けざるを得ない負の相続品なのだ。
==老人問題が課題ですね。小説内では、事故や病気などの死は誰にも心の準備ができない突然のことであり、それに対して70歳での儀式はお別れも言えて社会の役にも立つ、選ばれた者だけの栄誉って扱いです。
「姥捨て山」がテーマの物語はたくさんありますが、正直言ってその中でも真剣味がないっていうのか…。
その他収録短編。
『売り言葉』
中高年の兄弟で、兄は「幽霊語」を作り、弟は死語を研究している。
幽霊語とは、国語辞書盗用避けのために載せる架空の定義を持つ架空の言葉という造語のようです。この物語ではこの中高年兄弟が自分の姪っ子をいじめる中学生男子をギャフンと言わせてやろう事柄を通して「幽霊語」「死語」を使って「現在ある言葉よりこのほうが分かりやすいよね」って書き方をしています。小説としてのオチというかこの兄弟が見言うだけで行動が伴わってないので、結局は言葉遊びに興じて現実生きられないのかな…(-_-;)
『変転』
要するに、大切な家族が「今の自分は本当じゃない。本当の姿に戻るんだ」と言うけれど、そってが道徳的に受け入れられない場合に、それでも家族は本人の「自分らしさ」を受け入れるの?ってお話。
この話は、息子を「失う」ことになる母親の苦しさが身に迫りました。でも息子本人は今の世界は苦しいんだよ、ってこと。
『終身刑』
刑務所や死刑などの刑罰は廃止された。その代わりに罪に応じて自分に関する記憶を消されるようになった。軽い詐欺とかなら1年って感じ。
ウオッシュは生まれてからの自分に関する記憶を消された。自分の家族ってところに戻る。最初は様子を伺うような家族、自分の中に沸き起こる何かを欲する気持ちを持ちながら、彼は真面目に働き、家族とも馴染むようになる。だがたまに見せる家族の不安の表情、そして自分の中から沸き起こるこの衝動は…。
==犯罪者となる生まれ育ち経験や、犯罪を犯す気持ちの記憶を消されて、ゼロから再出発するとしたら、人間は変わるのだろうか?それともやはり同じような犯罪を犯してしまうのか?
『楽園の凶日』
男尊女卑だ、いや今の社会は女尊男卑だ、と言われるけれど、「では社会生活を送るのは女性だけで、男性は収容所で管理したらどうなる?」って短編。
この短編数全体的に、テーマがわかり易すぎるっていうか、問題定義だけで終わってるんだよなあ。
『女王陛下の告白』
テーマは物欲とか、ミニマリストとか。
物を持つことが恥ずかしいと言われる社会で、物欲がある人たちが、周りから好奇と軽蔑の目に晒されながらも、物への執着を捨てられないお話。
この短編集ではいくつか「妙にこだわっているようなこの設定必要?」というものがあるんですが、ここだとヒロインの母親が盲目者だ、ってことはなにか意味があるんだろうか。見えないけど物を持つことを執着するってこと?
『スポンサー』
一般人もスポンサーを持ってお金を出してもらう社会。短編でも具体的な企業名とか商品名を並べて、それらに書評登録のRマークをつけるという工夫がされています。
『幸せな大家族』
子供は社会で育てる、人類みんな家族!みたいな。
赤ちゃんが生まれたら保育所、学生寮で育ち、社会に出てゆく。「いや、自分の家族は自分と配偶者と子供だ」と考える一部の過激派は田舎で隠れ住み、警察に見つかったら子供たちは施設に保護される。そんな社会の恩恵をどっぷり受けた女性が、自分が生んだ赤ちゃんを保育所から盗み出して自分の手で育てたいと願うお話。
小説として、担当刑事二人の風貌を拘って描写してるんだけど、小説としてなにか意味があるのか(-_-;)?
『出現』
彼らはある時突然出現した。彼らは勝手に住み着き、元からいる住民の仕事を奪い、家族まで作っている。なぜここにいるんだ、元の世界に帰るか、彼らの滞在が許されている他の州に行け!なに?「ここが僕たちの世界だ、家には家族もいるんだ」って?生意気な。
==移民問題ですね。…ということがわかり易すぎて、それなら「出現」なんて用語作らなくてもよくないか?って思っちゃう。
『魂の争奪戦』
魂を持たない赤ちゃんが生まれるようになり、ある団体が死ぬことを望まれている病人とか、動物を生贄として捧げて、その魂を赤ちゃんに捧げれば良いんじゃない?という産院を作った。魂が他の人に移ることがあるのだろうか?それなら親子でも全く違う事があることの説明がつくではないか。
グロテスク描写、スプラッタ描写が続く(-_-;) 魂を望みすぎて暴走する母親と、どんな魂を持っていても息子を愛し続けることを確信する母親の対。私はこのレビューで作者の文句を散々言っていますが、ところどころ感情に訴える描写もあるんだよなあ。
『ツアー』
ものすごいセックスをして世界が変わって見えた(-_-;)???
『アメリカへようこそ』
アメリカなんてうんざり!独立しよう!僕たちはこの小さな独立国家の名前に誇りを込めて「アメリカ」と名付けた。
==国家って何?自分たちが国家を作ることって?法律は?軍は?そして軽蔑していた以前の国家とどう違うの?自分たちが望んだ自由って何?理想と現実って?
意見が違っても同じ国を作る国民の団結と言うか心のつながりもちょっとは書かれてたけど。
『逆回転』
現実は三次元だけど、僕は四次元に生きる人間なんだ。四次元人類には、過去とか未来とか一方通行ではなく、全てを一度に見るんだ。
==この社会は人間は「生まれる」のではなくて、墓から掘り出されたり、打ち上げられたりどっかから出現したりするらしい。死んだ人間が生き返るので四次元になったのか?そんな四次元と三次元の人々が共に暮すすれ違いとか、でも小説の最後では「人々は三次元に戻りました」ってこと(-_-;)?