アウシュヴィッツに関わる本をいくつか読んだことはあった。夜と霧、アンネの日記、縞模様のパジャマの少年など。
もちろん仕立て作業場があったことは初めて知ったし驚き。というか、彼らがそもそも何の労働をさせられていたのか、あまり考えたこともなかったのかもしれない。お針子以外に、労働の内容は服飾に関するもの
...続きを読むがあったのだとも初めて知った。
著者のフィクション作品をきっかけに、情報が集まりノンフィクションのこの本が作られたこともすごいし、更にはこの素晴らしい本を日本語訳してくれたことも本当に嬉しい。読めてよかった。
以下、メモ
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服飾文化からパリを除き、ユダヤを排除するために女性の権利も貶めるという徹底ぶりがおそろしい。ADEFAについても初耳。とはいえユダヤ人の技術が高かったため質は悪いものだったというのが皮肉。
百貨店の経営もほぼユダヤ人だった、とのことで、ユダヤ人の優秀さがわかる・・
ナチスの男性陣の妻たちはユダヤ人の技術を分かっていたのに傍観するしかなかったんだ。。と思って読み始めたけど、その後は利用もしておりなんとも言えない気持ちに。
ナチスの領土征服は権力誇示だけでなく、略奪品を私物化しての財政確保の意味もあった。
収容所について衣服を全て奪われる、女性たちについての描写はがとても細かく、辛いものだった。生理についても配慮がなく尊厳も傷つけられる。耐え難い。
髪の毛を剃られたことは知っていて、山積みにされているのをアウシュヴィッツで実際に目にしたことがあったけど、買い取られて様々な製品になったとは知らなかった。そして、人間の皮膚までも。。
発疹チフスに汚染されたシラミで親衛隊を殺す、と言うこともできてしまったというのはすごい。。勇敢。。
こんな最低な環境においても、身なりに気を配れる囚人は親衛隊員からやや丁寧に扱ってもらえるなんて、見た目はやはり大事なのか。。
今もヨーロッパに店舗がある靴屋なども、この時期にユダヤ人から略奪した物品を、奴隷が修理して流通させていたことがあるのだと初めて知った。
略奪品集積所(通称カナダ)では、ナチスが利益を得るのを阻止しようと、貴重品は隙あらば土に埋められ、紙幣はトイレットペーパーになった。というのはこちらも勇敢な抵抗だと思った。
ただし、そのカナダで家に残してきた自分のものや、姉妹の服を見つけ家族の死を知るというのは、言葉には言い表せないほど悲しいこと、。
親衛隊員の妻たちは傍観者だったのか?同情者、共犯者?いずれにしてもその人たちとアウシュヴィッツの搾取システムを利用して、マファッションサロンを作り、マルタは囚人を救うことになった。
ナチスがあらゆる虐待を尽くしても一掃できなかったもの、すなわち友情とまごころに救われた。という言葉。重い。
ロシア軍による開放の直前に、アウシュヴィッツから撤退して死の行進と呼ばれる移動があったとは。劣悪な環境で行進させられていたとは。(これが解放かと思ってた。アウシュヴィッツからラーフェンスブリュックに移動させられただけ)そしてその間にマルタたちは逃亡して全員撃たれた。
本当の解放の後も、ロシア人による性的暴行が横行していた。アウシュヴィッツから逃れた人たちは、人間に戻るためにドイツ人の家から略奪をして服を着替えるしかなかった。
ヒトラーとその妻って自殺したんだ、、知らなかった。
フーニアに関する出典としてでてくるmemory book は、姪の作文だったんだとわかる。素晴らしい功績・・