歴史とは見方によって様々な解釈ができるものだ。本書は満洲事変を中心に時の参謀であり、事件に深く関わった板垣征四郎について記載される。その満洲事変も現地駐屯軍である関東軍の野心的で独断的なものと見るか、原因の一つとなった中国(支那)の排日政策への反抗と見るかによってだいぶ評価は変わるものだと思う。歴史は、特に戦争に於いては、常にある方向から見れば、大義に基づいた正当な行為であり、真逆の立場から見れば侵略的な行為に映るものだ。そしてその様に捉えられるだけの二面性、三面性の意味合いを持っていることも間違いない。日本が大東亜戦争と呼ぶ「アジア解放戦争」という言い方は、如何にも正義真に溢れる民族自決を謳ったものに映るし、乏しい資源を求めて東南アジアに石油を求めた侵略的側面は間違いなくあるし、更には日本の大陸政策を良く思わないアメリカの仕掛けた罠でもあるし、何と言ってもその先々まで見据えたソ連の長期的な戦略に基づき動かされた。こうした様々な見方は、いずれも否定できる事ではなく、そうした事実が少なからず、いや大いにあったと捉えることもできるだろう。
本書が扱う満洲事変について見てみると、そもそも日露戦争後のポーツマス条約にて、ロシアから権益を譲渡された南満洲鉄道とその守備隊として配備された軍隊=関東軍により画策された柳条湖事件に端を発する。張作霖爆殺後に後継者となった息子の張学良は当時日本に対する抵抗姿勢を強め、排日運動を主導する立場にあったから、これを利用して、鉄道爆破の責任を押し付けつつ、正当防衛に見せかけた戦闘を開始する。その後、事変の拡大防止を企図する軍部中央の指示を聞かず、現地関東軍が戦線を拡大しながら満洲全土を支配するに至る。その後、この地に五族協和、王道楽土を掲げた満州国を設立するに至る。こうして見ると、如何にも中国全土の支配に向けた足がかりとして先ずは満洲を資源供給地として手に入れた、という見方ができるが、日本、そして当時日本が支配していた朝鮮半島と隣接するロシアや中国との間の緩衝地帯として地政学的戦略から押さえたという見方もできる。何より当時の国際社会は白人中心の世界、アジアの有色人種はヨーロッパを中心とした白人の搾取の対象となっていたから、アジア人自らが決起し、協力し合う必要性を強く考える人々が居てもおかしくない。一人は石原莞爾であり、もう一人は本書の主人公である板垣征四郎だ。
本書はその生い立ちから、関東軍参謀として活躍するまでの間に、当人が書いた論文なども全文掲載していく。よってページ数も500ページを超え読み応えはかなりある。本人の言葉と時代背景、性格や考え方を読み取ることで、前述した様な多面性を持つ歴史の中から、正義の信念とも取れる様な考え方を持っていたと見ることができる。本人が居ない今となっては、様々な書籍からくるイメージに偏りがちではあるが、当人が書いた論文をはじめとした様々な文章から、概ね正義心に溢れ、真の五族協和を目指していたと捉える方が自然だろう。そしていよいよ東京裁判で裁かれた後に、処刑前に書いた「銃後に望む」は、そこまで読んできて身近に感じる板垣の最後の言葉として、まるで現在を生きる我々に対しても、理想と期待を持ち、常にそこに向かって信念で進むことの大切さを語りかけてくるようである。
板垣の実際の言葉は、本文よりもやや小さめのフォントで引かれているため、それを考慮しても600〜700ページ分ぐらいの厚みに感じる。あまりフォーカスした書籍は多く見かけない分、板垣に対する認識や理解を深める良い一冊になるだろう。