「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」とは、フランス人女性シモーヌ・ド・ボーヴォワールの言葉ですが、この事実が120年近く経った現代でも普遍的であることを我々はどう捉えるべきだろう、と思いました。
本書は女性を取り巻く実情について、数値や論文などのデータをふんだんに取り入れて解説していま
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よく女性が意見したときに言われる、「女性の意見ってデータとか客観性がないから」を見事に論破する内容になっていて、「自分の中にあったモヤモヤを言語化してくれた!」という気持ちになりました。
本書はジェンダーについて取り扱っていますが、ジェンダーを論じる上でありがちな「男を貶めて女を立てる」スタンスとは一線を画しています。「男性はこんなにひどい。女性はこんなに頑張っている」という観点からジェンダーを語るのではなく、「ビッグデータの中に密かに存在しているジェンダーギャップが起こす、さまざまな不具合について」順を追って理路整然と述べられています。
男性中心社会で困ることは、「女性だと舐められる」とか、「女性だと背が低いので棚に手が届かない」とか、そういった表面だけのことではなく生死に関わるものも多く、男性に効果のある薬は女性に効かないどころか、有害なものもあること。男性の精力剤の種類は、女性の生理痛の薬の何倍も多いこと。
女性だからと審査の通りにくいオーケストラ奏者、ピアノが大きすぎて手を痛めるピアニスト、警察官や看守よりも暴力に遭いやすい看護師。同じことをしているのに「生意気だ」といって黙らされる女性議員。
そういった人々の苦しみを踏み固めた上に男性が立っていて、しかもそのことに全く気付かずに「自分だけの力で頑張ってきた」と考えている。そしてそういう人たちは(女性の無償労働には全く目もくれずに)「機会は平等にあったのに、努力しなかったから」あるいは「女性なのに仕事も家庭もなんて欲張りだ」と女性に言う。
それが今、私達が生きているこの社会なのだなと痛感しました。読み進めるにつれて目を開かされる思いがすると同時に「こんなにも女性が生きていくって不利なことばかりなのか」と憂鬱な気持ちになりました。
それでもこれが、現実なのだなと思いました。
途中、医療に関するデータが提示されるのですが、「女性にはホルモンバランスの差が大きい時期があるが、その時期を考慮せずに医薬品は作られている」という部分を見た時、ピンと来たことがありました。
ワクチンです。
コロナ禍で唯一の希望と言われた「mRNAワクチン」ですが、私より早く接種した知り合い(女性)は酷い副反応が出て苦しみました。彼女は私に「生理中とかその前後は打たないほうがいいかも」と言っていたのですが、今になってその意味が分かりました。医薬品開発の際に使われるラットは、(メスだとホルモンバランスのせいで結果にばらつきが出るために)大抵オスなのです。
世の中が右利きの人間用にできているのと同じく、世界は男性用にできています。だから「女性の副反応が多い」と報道されていたのだな、と妙に腑に落ちました。
私は以前からジェンダー問題に興味を持っていましたが、今まで「fitbitが大きすぎるのは私の手首が細すぎるからだ」と半分本気で思っていました。誰に言われたわけでもないのに自分の身体が小さすぎるのが悪い、と自分のせいにしていました。
常に世界には「定型」と「非定型」があって、男性が定型なら女性は非定型、女性の中でも女性らしい人は定型で、女性らしくないと非定型、という物差しが自分の内外から(!)当てはめられています。「これが一般」「これが普通」と言われて育つことで「そんなわけない」と頭で理解していても、いざ自分の目の前のことになると、なかなか判断できないし差別に気づけない。その難しさ、無意識の差別の不透明さを、本書を読むことで改めて感じました。
男女差別は男性の脳内だけではなく、女性の脳内にも存在していて、我々には「自分の中にどんな差別があるか」を自分ひとりで知ることがとても難しい。だからこそ、「世界と自分の擦り合わせ」のためにこういった本を読むことには大きな価値があるのだと思います。
男性にとっては、社会進出して会議で意見を言う女性は「自分達の安寧を崩す者」「邪魔者」に映るのかもしれません。でも、本書が示しているように「女性の意見を取り入れる」ことは本当は、男性にとっても女性にとっても利益になる。たとえば商品開発の際に女性を入れることで女性の実情にも寄り添った商品が作れること。そして結果的に会社が発展することは、男性にとって本当に利益のないこと、障害になることなのかな? と思いました。
もっと言えば、「目先の損ばかり考えてしまって、長期的に見た時の利益が見えていないのかな」と感じました。人間には男性と女性があって、その片方だけの意見、片方だけのやり方でずっと発展していくことは可能なのか? と考えたとき、どこかの時点で行き詰まるような気がします。
それなら女性の意見も、もっと言えば性的マイノリティの意見も取り入れることで、今まで見えていなかった着地点だったり、企業で言えば利益だったりが生まれてくるんじゃないかと思えました。
「男性だけに優しい社会」にいて居心地が良いという人たちは猛反対するし、自分達の地位を死守するために全力で抵抗するんだろうな、とは思いますが……。
最近のジェンダー議論はとにかく「男VS女」の図式に入れてしまって互いを憎しみ合わせるような論調が目立ちますが、誰も憎しみ合って人類の半分を嫌いながら生きていきたいわけではないと思います。そんなことをしようと思ったら、相当な労力も必要なはずです。
目指すべきなのは、今からでも統計データに男女別の運用を取り入れること。それから、医薬品開発の際に女性性を考慮すること。ひとつずつ、地道に進めていくことでしか、この問題は結局のところ解決する手立てがないのだろうなと思いました。
女性である私個人視点から言うと、「今まで良い目をしてきたけれど、男性は女性を犠牲にしてきた」ということや「男性中心の社会は今後行き詰まる」ということを念頭に、それぞれが地道な努力をしていくことが大切なんだろうなと感じました。
※「男性にも差別しない人はいる」「男性でも、男らしさとか男社会に苦しんでいる人がいる」という意見があると思いますが、それは別枠として議論すれば良いことかなと個人的には考えています。(男性が苦しんでいるからって、女性の苦しみを蔑ろにしていいわけではないよね? 逆もまた然りだよね? という考えです)