「美術館のある国が、すなわち芸術的な国というわけではない。だが、芸術の魂があれば、美術館には貴重な作品があふれるだろう。さらによいのは、創作の喜びが生まれることだ。芸術は均衡、秩序、相対的な価値観、成長の法則、簡潔な生活に向かおうとする──それは関係するすべての人びとにとって幸せなことである。 芸術を学ぼうとする人びとの苦労は並大抵のものではない。それに向きあう勇気とスタミナをもつ人はめったにいない。いろいろな意味で、孤立することを覚悟しなければいけない。人は共感を求め、仲間をほしがるものである。一人でいるよりも、仲間といるほうがずっと楽だ。だが、一人になって初めて、人は自分をよく知り、成長できる。大勢に囲まれていたら、成長が止まってしまう。これには犠牲がともなう。成功を手に入れたとしても、人は生涯その成功を楽しむと同時に、何かを失わなければならないのかもしれない。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「われわれがここにいるのは、誰かがすでになしとげたことをなぞるためではない。 私は自分の知識をきみたちに伝授しようとは思わない。むしろ、きみたちのほうが知っていることをぜひ私に話したいという気持ちになってほしい。私の仕事場で心がけるのは、環境をなるべく改善することだけだ。 ルネサンスの巨匠たちの技術を学びなさい。彼らの絵がどのようにしてできているのかを知ること。ただし、彼らが築いた伝統に囚われてはいけない。それらの慣習は、彼らにとっては正しかったし、巨匠たちはたしかにすばらしい。彼らは自分なりの表現法を生みだした。きみたちにも自分だけの表現がある。巨匠たちは手助けしてくれる。過去のすべてが手がかりになるだろう。 芸術を学ぶ者は最初から巨匠であるべきだ。つまり、自分らしくあるという点で誰よりも抜きんでていなければならない。いま現在、自分らしさを保っていられれば、将来かならず巨匠になれるだろう。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「拒絶を恐れるな。すぐれたものをもつ人間はみな拒絶を通過してきた。作品がすぐに「歓迎」されなくても気にしないことだ。作品がすぐれているほど、あるいは個性的なほど、世間には受け入れられないものである。ただし、このことは覚えておいてほしい。絵を描く目的は、展覧会に出すことだけではない。作品が展覧会場に並ぶのは歓迎すべきことではあるが、絵を描くのは自分自身のためであって審査員のためではない。私は何年も拒絶されつづけた。 大傑作をめざせ! よくできた風景画を描いたりするな。きみ自身が興味を引かれた風景をキャンバスに描きだせ──それを目にしたときの自分の快感を描くのだ。頭を使え。 きれいな色彩、快い色調、バランスのとれた形体で風景を描ける人びとは大勢いる。そのすべてが、大胆かつ知的な筆さばきで表現されている。 クールベの作品はどれも、彼の人間性をあらわしている。彼がどんな頭脳とどんな心をもっていたかが読みとれる。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「まず手がかりとなるのは、強い印象である。モデルを前にして、心の底からわきあがる興味、そして深く感じとれるもの。筆をおくまで、その印象を保たなければいけない。それ以外のことに目を向ける必要はない。気をそらせてはいけない。モデルの特徴も、それにふさわしいものだけを抽出する。そうすれば生き生きとした作品になるだろう。絵画を構成する要素はすべて、一つのアイデアを伝え、感情を表現するものであるべきだ。絵画のあらゆる要素は美しくなければいけない。個々の要素が全体のなかにしっくり収まってこそ、部分が生命をもつからだ。それによって、生きた線、生きた形体、生きた色彩が生まれる。部分の正しい関係性を把握することによってのみ、自由が得られる。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「他の部分との関連性なしに目鼻立ちを描いてはいけない。顔の造作を描くにあたっては、関連性がなにより大切だ。目鼻立ちを描く線は、体の動きと連動する。素描でも油彩画でも、髪の毛を描くときは、この動きの関連性がなによりも肝心である。髪はそれだけでも美しいものだ。それを忘れないでほしい。だが、そのことは肖像画を描くにあたって、重視すべき問題ではない。髪は、頭部の──あるいは脳の──優美さと高貴さを描きだすためにある。髪の毛にあたる光は、構図を強調するものでなければいけない。動きを視覚化し、強調し、持続するのだ。顔をとりまく髪の毛の輪郭は、額やこめかみを表現するための要素である。それと同時に、肩や体全体の動きを伝えるものでもある。髪の表現は、素描の一種と見なすべきである。髪の毛らしく描かなければいけないが、実物を模倣するだけではだめだ。これについては、よく考えてほしい。とても大事なことだからだ。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「物の関連性を正しく読みとれれば、それらを使ってどんなことでもできる。物を使って画面を構築しながら、物自体を損なわずにすむ。それができれば、個々の品物は意味を強めながら、おたがいの絆が結ばれる。 美術の勉強とは、物体の関係性に含まれた価値を学ぶことである。美術作品における関係性の価値を正しく理解できなければ、その作品を構成する要素もわからない。不安定な美術作品と同じく、正しい価値判断ができないときに不安定な政府が生まれる。 人の顔や風景を見るとき、最も大切な印象はほんの一瞬で消えてしまう。作品は記憶から生まれるものだ。記憶とはその大切な一瞬をよみがえらせることである。その記憶がつづくあいだ、視界にあったさまざまな要素は関連性を保っている。だが、その関連性は持続しない。気分が移り変わるにつれて、多かれ少なかれ、新しい配置がそれにとってかわる。その特別な秩序を記憶のなかで保たなければいけない──その特別な見方、その表現である秩序そのもの。記憶はそれを保たなければいけない。そこから先の、モデルをもとになされるすべての作業は、もはやデータ収集でしかない。モデルの気分はすでに変わっている。すでに新たな関連性ができあがっている。見ているほうは混乱するかもしれない。画家は自分の特別な見方を記憶として保たなければいけない。ところが、「対象」はいまやすっかり自分らしさを失い、味気ないマネキンでしかない。絵画は、さまざまな気分を適当につぎはぎしたパッチワークになってはいけない。最初の強い印象を保つことが大事だ。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「絵のなかには、すばらしい技術を発揮しながら、自然界に存在するちぐはぐな表現から借りた要素をまとめただけのものがある。そんな作品の見本はさまざまな流派からいくつもあげることができるし、有名な作品のなかにもあるが、多様なコンセプトをつぎはぎしただけ──関連性のない複数の要素を、手際よく組み合わせただけ──の作品には、生命のうねりがない。真の有機的構造の特徴である一体感がない。 作品に有機的構造を与えたいと思うなら、創作意欲の源になった発想をしっかりと持続し、作品のあらゆる細部に至るまで、その有機的な構造を確実かつ偽りのないものにできるよう保っておかなければならない。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著