古川不可知の作品一覧 「古川不可知」の「教育とは何か」「「シェルパ」と道の人類学」ほか、ユーザーレビューをお届けします! 作者をフォローする フォローすると、この作者の新刊が配信された際に、お知らせします。
作品一覧 1~2件目 / 2件<<<1・・・・・・・・・>>> 新着順 新着順 人気順 評価高い順 価格安い順 価格高い順 NEW 教育とは何か - 学術・語学 / 教育 1巻2,860円 (税込) ◤すべての学ぶ人と、教える人たちに。◢ 私たちにいま必要なのは、 知識の鎧で身を守る「強い教育」ではなく、「弱い教育」だ。 不確かな道をともに歩み、世界に応答せよ! 人類学をリードする世界的な思想家が教育、そして人間のまだ見ぬ可能性を示す。 *** 「教育=知識の伝達」という伝統的な教育観、 そして市場原理にとらわれた教育の再生のために──。 効果的に学生─消費者へと配達される「知識の商品」は、 不確実な外部から身を守り、自己を内部に閉じ込める「知の鎧」にすぎない。 人類学の枠を超え、アート、デザイン、ビジネスの世界にまでインパクトを与え続ける思想家ティム・インゴルド。 人類学を軸に、さまざまな研究者の知見をひもとき紡がれる文章が、教育、そして生きることに、新たな視座をもたらす。 <i>道に迷うと、足元は急におぼつかない。 けれど、すべての音や光のきらめき、 感覚の強度は増してゆく。 それは、まだ生き生きとした気づきが 削り取られていない小さな子供の 「連続的な始まりの世界」である。 そこでは、すべての事物が、 自らが何であるかを明らかにする間際の瞬間に、 存在し続けているのだ。</i> *** 【目次】 まえがき 第1章 伝達に抗して 学校を離れる 生の連続性continuity 共有化と変異 系譜学的モデル 堂々めぐりを解く どのようにレシピを辿るか 理性と継承 学校に戻って 第2章 注意のために 習慣の原理 散歩をする 注意性と交感 配慮と憧憬 世界への愛と仲間としての構え 教育としての注意と注意の教育 弱く、貧弱で、危険 第3章 短調の教育 アンダーコモンズ 長調と短調 習慣の自由 勉強が意味するものについて 説明から感覚へ 教師は何を教えることができるのか 学習者の道具箱 第4章 人類学、芸術、そして大学 教育としての人類学 参与観察 学校とフィールド アーティストは真の人類学者か? 科学を柔らかくする STEM、STEAMおよびSHAPE 人類学は教育する! 第5章 共通善のための大学 人類学と来るべき大学 学問の自由について 脱植民地性 大学、多遍性/大学、多元宇宙/大学 探索、また探索 事実を超えた真実 アマチュアと専門家 学問領域──テントかタコツボか? 共通善 教育と民主主義 コーダ あとがき *** 試し読み フォロー 「シェルパ」と道の人類学 3.7 学術・語学 / 哲学・宗教・心理 1巻3,520円 (税込) ネパール東部、ソルクンブ郡。エベレストの南麓にあたる北部のクンブ地方は、“勇敢で忠実な山岳民族”と謳われるシェルパの人々の居住地である。標高三〇〇〇メートルを超えるこの険しい山岳地帯では、山道は天候によって質感を変え、しばしば土砂崩れや降雪によって流失しては再び姿を変えて現れる。 ヤクを追うシェルパたちが自給自足に近い暮らしを営んでいたこの地域は、次第に山岳観光の名所として知られるようになり、現在では年間数万人もの観光客が訪れるようになった。シェルパの人々はヒマラヤ登山の手助けをして働くようになり、ネパール各地からはポーターやガイドなどの職を求めて、「シェルパ」を名乗る多様な出自の人々も集まってくる。 変転する自然環境のなか、観光客のために道を見出しながら山中をゆく彼らとの出会いは、存在をめぐる根源的な問いへと通じていた――「世界」「自己」の自明性をゆるがすフィールド体験をもとに、ティム・インゴルドらの議論を補助線にして気鋭の人類学者が描き出す、刺激的なエスノグラフィ。 世界を歩むとき、自己は道であり、道は自己である われわれは世界のうちで無数の人やモノや事物と対等な関係のなかで生を営んでおり、人間社会とはそのうちの一部を恣意的に切り出したものに過ぎない。そしてわれわれが一歩を踏み出すとき、自己の身体は他者の身体やモノや概念からなる環境中の諸要素とそのつど一回的な関係を取り結び、道のアレンジメントの一部となる。世界を歩むとき、自己は道であり、道は自己である。(本文より) 電子版では写真をすべてカラーで掲載しています。 試し読み フォロー 1~2件目 / 2件<<<1・・・・・・・・・>>> 古川不可知の詳細検索へ
ユーザーレビュー 一覧 >> 「シェルパ」と道の人類学 学術・語学 / 哲学・宗教・心理 3.7 (3) カート 試し読み Posted by ブクログ 「道」とは何か? いわゆる道路のように、人間や動物などが通る、目に見える通路をイメージしている人がいるならば問いたい。 吹雪になれば、一瞬にして消えてしまう雪道は「道」と呼ばないのか? 一見何もない藪の中を躊躇なく進むガイドの後ろについていく。ガイドが見えている道筋は「道」と呼ばないのか? そう、「道」は、環境であり人である。それらが作り出す、そこにあるのではなく現れるものなのだ。 0 2021年04月19日 「シェルパ」と道の人類学 学術・語学 / 哲学・宗教・心理 3.7 (3) カート 試し読み Posted by ブクログ ネタバレ 多民族国家ネパールにおいて、高地に住む、どちらかというと貧しい民族を指す言葉であった「シェルパ」がヒマラヤの山岳ガイド/ポーターを指す一種の専門職として知られるようになると、シェルパ族でない人々も「シェルパ」を名乗り稼ぐ機会を得ようとするようになる、その変遷が興味深かった。山岳国家ネパールにとってはトレッキングルートは観光資源だがそこに暮らす人にとって車の走る道路は発展の象徴であり、目指すところでもある。彼らにとって山岳技術は誇りでもあるが、危険で大変。稼いでビカス(発展)へ歩むための道でしかないのである 0 2021年02月12日 「シェルパ」と道の人類学 学術・語学 / 哲学・宗教・心理 3.7 (3) カート 試し読み Posted by ブクログ 『ガイドの仕事とは、複数の歩行者が持つリズムを即興的に調整してゆくこと』 エベレスト地域の道とはなにか?「シェルパ」とは誰か? ネパール現地で、道とガイド・シェルパを辿る。 0 2025年04月29日