あらすじ
◤すべての学ぶ人と、教える人たちに。◢
私たちにいま必要なのは、
知識の鎧で身を守る「強い教育」ではなく、「弱い教育」だ。
不確かな道をともに歩み、世界に応答せよ!
人類学をリードする世界的な思想家が教育、そして人間のまだ見ぬ可能性を示す。
***
「教育=知識の伝達」という伝統的な教育観、
そして市場原理にとらわれた教育の再生のために──。
効果的に学生─消費者へと配達される「知識の商品」は、
不確実な外部から身を守り、自己を内部に閉じ込める「知の鎧」にすぎない。
人類学の枠を超え、アート、デザイン、ビジネスの世界にまでインパクトを与え続ける思想家ティム・インゴルド。
人類学を軸に、さまざまな研究者の知見をひもとき紡がれる文章が、教育、そして生きることに、新たな視座をもたらす。
<i>道に迷うと、足元は急におぼつかない。
けれど、すべての音や光のきらめき、
感覚の強度は増してゆく。
それは、まだ生き生きとした気づきが
削り取られていない小さな子供の
「連続的な始まりの世界」である。
そこでは、すべての事物が、
自らが何であるかを明らかにする間際の瞬間に、
存在し続けているのだ。</i>
***
【目次】
まえがき
第1章 伝達に抗して
学校を離れる
生の連続性continuity
共有化と変異
系譜学的モデル
堂々めぐりを解く
どのようにレシピを辿るか
理性と継承
学校に戻って
第2章 注意のために
習慣の原理
散歩をする
注意性と交感
配慮と憧憬
世界への愛と仲間としての構え
教育としての注意と注意の教育
弱く、貧弱で、危険
第3章 短調の教育
アンダーコモンズ
長調と短調
習慣の自由
勉強が意味するものについて
説明から感覚へ
教師は何を教えることができるのか
学習者の道具箱
第4章 人類学、芸術、そして大学
教育としての人類学
参与観察
学校とフィールド
アーティストは真の人類学者か?
科学を柔らかくする
STEM、STEAMおよびSHAPE
人類学は教育する!
第5章 共通善のための大学
人類学と来るべき大学
学問の自由について
脱植民地性
大学、多遍性/大学、多元宇宙/大学
探索、また探索
事実を超えた真実
アマチュアと専門家
学問領域──テントかタコツボか?
共通善
教育と民主主義
コーダ
あとがき
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Posted by ブクログ
家庭医です。今年読んだ書籍の中で最も刺激的な本の1つです。これまでに素朴に抱いていた教育という概念のイメージが、ガラッとかわりました。1ページ1ページの内容が濃密で、なかなか読み終わりませんでした。
知識の一方的な伝達である訓練とは違い、教育は相互性があり、そして相互の変化が伴う。それはある種の不安定さの上でおこるが、交感(コレスポンド)するなかで変化が生まれ、そして成長と発見に繋がる。かりそめの安定につながる理解(understanding)ではなく、終わりのないプロセスとして共有していく(undercommoning)。
ティム・インゴルドのいうように教育を捉えるのであれば、医療は多分に「教育」的側面を含んでいると言える。ただこういう風に書くと、一般的な教育のイメージだと「患者教育」みたいに捉えられてしまい、誤解されてしまいそう。
それでも、ティム・インゴルドに倣って「教育としての医療」というのをおしだすこともできなくはないと思う。まだ上手く説明できないけれど、ティム・インゴルドの「教育」は解釈的医療の実践と通底していると言えるだろうし、sharing power and responsibilityを本質とする「患者中心の医療」とも共鳴するように思う。教育とは果たして、生きること、生を送ることそのものだった。
書籍全体を通じて存在論的な問いに満ち溢れていて、ハイデガーやメルロ=ポンティといった存在論的現象学とも繋がる部分が多々あるように感じました。おそらく今後、私はこの本の内容を様々な場面で引用する気がします。
教育に携わっているかどうかとか関係なく、対人援助職の方すべてにオススメです。