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井崎英典(いざき・ひでのり)
株式会社QAHWA代表取締役社長
高校中退後、父が経営するコーヒー屋「ハニー珈琲」を手伝いながらバリスタに。2012年に史上最年少でジャパン・バリスタ・チャンピオンシップにて優勝し、2連覇を成し遂げた後、2014年のワールド・バリスタ・チャンピオンシップにてアジア人初の世界チャンピオンとなり、以後独立。コーヒーコンサルタントとして年間200日以上を海外でコンサルティングに従事し、Brew Peaceのマニフェストを掲げてグローバルに活動。コーヒー関連機器の研究開発、小規模店から大手チェーンまで幅広く商品開発からマーケティングまで一気通貫したコンサルティングを行う。 日本マクドナルドの「プレミアムローストコーヒー」「プレミアムローストアイスコーヒー」「新生ラテ」の監修、カルビーの「フルグラビッツ」ペアリングコーヒーの開発、中国最大のコーヒーチェーン「luckin coffee」の商品開発や品質管理など。テレビ・雑誌・WEBなどメディア出演多数。著書・監修に『世界一美味しいコーヒーの淹れ方』ダイヤモンド社、『理由がわかればもっとおいしい! コーヒーを楽しむ教科書』ナツメ社、『世界一のバリスタが書いた コーヒー1年生の本』宝島社など累計10万部突破。
「コーヒーの歴史をたどれば、いま現在も続く国際関係や世界史が見えてきます。細かくたどれば本 1冊分になってしまうので、ここでは発祥からヨーロッパへの伝播、そして日本におけるコーヒーの歴史を中心にお話ししましょう。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著
「コーヒーの原産地はエチオピアのアビシニア高原と言われています。ただし、エチオピアの文化は、古くから口伝で伝えられてきたので、文字として残っていません。当地にあるコーヒーの木が、人々とどのように関わってきたかは、推して知るしかありません。 私はアビシニア高原のカッファ地方で、現地の人々が「 Mother of Coffee Tree」と呼んでいるコーヒーの木を見せてもらったことがあります。ちなみにこのカッファ地方が、コーヒーの名前の由来だという説もあります。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著
「しかし、コーヒーノキに近いアカネ科の植物の花粉の化石などから推定したところ、原始的なコーヒーノキの仲間が生まれたのは約 1440万年前で、カメルーン付近からアフリカ大陸一帯に広がっていったと推測されています。 現在のコーヒーとは異なる飲み方だったとは思われますが、人間のあるところに古くからあった植物です。アフリカでははるか昔からコーヒーが口にされていたと考えるのが自然でしょう。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著
「【伝説 1:ヤギ飼いカルディ】 6世紀頃、エチオピアの高原にカルディという名のヤギ飼いがいた。カルディは、世話を任せられているヤギたちが茂みにあった赤い木の実を食べると、元気になって踊りまわるのを見た。カルディがこの話を近くの修道院の院長に話すと、院長はその事実を確かめるため、自分でも食べてみることにした。すると、頭がはっきりし、気分も浮き立つ。そこで彼はこの実を煮出した汁を修道士たちに飲ませることにした。おかげで、彼らは夜通し礼拝を続けられるようになったという。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著
「【伝説 2:シェーク・オマール】 13世紀頃、シェーク・オマールというイスラム教の修行僧が無実の罪でイエメンにあるモカの街を追放された。空腹に苦しみながら山中をさまよい歩いていると、美しい鳥が赤い木の実をついばんで陽気にさえずるのを発見。彼はその実を口に含んで渇きをいやした。さらに実をポケットいっぱいにとって、鍋でスープにして飲んだところ、それまでの疲れが噓のように元気になった。その後、彼はこの実を使ってたくさんの病人を救ったという。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著
「ちなみに先ほどエチオピアのカッファ地方を紹介しましたが、カッファ地方ではなくカフワこそがコーヒーの語源という説もあります。私の会社、株式会社 QAHWAも、カフワからとった名前です。 なぜイスラム教徒から始まったのか? ムハンマド・アッ・ザブハーニーは、スーフィーの導師でした。スーフィーとはイスラム教の教派のひとつで、イスラム神秘主義とも呼ばれます。アラビア語で羊毛を意味する「スーフ」に由来しており、俗世を捨てて粗末な衣類のみをまとって暮らす者を指しています。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著
「スーフィーに特徴的なのは、修行のために独特の儀式を行うこと。一晩中、神への賛美を唱え続けたり、歌い踊ったりすることで神との一体感を高めます。手を広げ、くるくると回転を続ける祈禱で有名です。また、儀式にアヘンや大麻などのドラッグを使う教団もあります。一種のトランス状態になることで神に近づけるという考え方からでしょう。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著
「16世紀初頭になると、コーヒー専門店「カフェハネ」がイスラム教の聖地、メッカに登場します。 アルコール禁止のイスラム世界で、カフェハネは人々の交流の場として機能しました。コーヒーを飲みながら、頭がスッキリした状態で語らうのです。他愛もない日常会話から文学の話や政治談議まで、さまざまな話題が飛び交います。酔っぱらうことのない「バー」のような存在です。またカフェハネはチェス、歌や踊りといった、会話にとどまらないエンターテインメントも提供していました。まさに「バー」ですね。 ただ、当時のカフェハネには、女性は入ることができませんでした。「アルコールなし・男性のみ」がカフェハネのルールです。このルールは、のちにイギリスの「コーヒーハウス」でも受け継がれます。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著
「ともかく、このソリマン・アガのフランス滞在という象徴的事件をきっかけに、コーヒーはフランスに広まり、大流行します。 大使として本来の交渉はうまくいかなかったソリマン・アガですが、パリにコーヒーを広めるには充分な働きをしたことになります。 ソリマン・アガがフランスに駐在したのは、たった 1年弱のことでしたが、これを機に評判になったコーヒーは瞬く間にヨーロッパ中の商人たちの注目の的になり、フランスのみならずヨーロッパ全土へと急速に広まります。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著
「ヨーロッパで最初にコーヒーハウスが流行したのはイギリスです。 イギリスといえば紅茶のイメージが強いですが、実は紅茶より先に流行ったのがコーヒーです。 1652年、ロンドンにイタリア出身のパスカ・ロゼがヨーロッパ初のコーヒーハウスをオープンし、社交の場として瞬く間に人気になります。その後ロンドンには次々にコーヒーハウスができ、 30年後には約 3000に増えたのです。まさに大ブームの様相です。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著
「コーヒーハウスが提供していたのは、コーヒーと場所だけではありません。店にある新聞や雑誌を読むこともでき、さまざまな情報交換ができることから、入店料 1ペニーで学べる「ペニー・ユニバーシティ」と呼ばれていたそうです。 また、あらゆる階層の人々が通っていたので、政治関係のみならず、ビジネスや生活に関わるサービスも提供されていました。たとえば、証券取引所や郵便局として機能するコーヒーハウスもありました。そうした各種サービスが受けられるからか、あるいはコーヒーだけではあまりに安かったからか、現在まで続く欧米のチップ文化が生まれたのもコーヒーハウスでした。コーヒーハウス専用の通貨もあったようです。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著
「バッハのコーヒー好きは有名で、コーヒー好きが高じてコーヒーハウスで演奏をするようになったというのです。 彼は教会音楽家ですから、教会のために作曲をしていて忙しかったはずです。しかし、その合間をぬってコーヒーハウスに行き、ライブ演奏をしていたというのです。当時は音楽家が演奏する場といえば、教会や貴族たちの集まる館がお決まりでした。ところがバッハのコーヒー好きのおかげで一般の人々も音楽を楽しめたというのです。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著
「もっとも困難な時期に、ほかのものでなく「一杯のコーヒー」を贈る習慣ができたのは、それだけイタリアの人々にとってコーヒーが欠かせないものだったということでしょう。どんなに貧しくても、生活が苦しくても、美味しい一杯のコーヒーがあれば少し幸せな気持ちになれるのです。 ちょっと話は逸れますが、 2022年5月にイタリアのあるコーヒー店が国内で炎上し、海外でもニュースになるという事件がありました。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著
「ここまで、コーヒーがヨーロッパ社会を成長させてきたことは説明してきましたが、その裏側にあった「負の歴史」についても触れておきましょう。ものごとを正しく理解するには、多様な視点から捉えなければなりません。 コーヒーノキはアフリカ原産だけあって、熱帯・亜熱帯地域で育つ植物です。ヨーロッパでは栽培できません。 そこでヨーロッパの国々は、それぞれの植民地でコーヒーノキの栽培を始めます。植民地に大規模な農園(プランテーション)を作り、現地の人々や、奴隷として連れてきた人々を働かせました。 16 ~ 19世紀には数多くのアフリカ人が船に乗せられて大西洋を渡り、アメリカ大陸に作ったプランテーションで働かされます。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著
「 私は、ドリップコーヒーには茶道や禅に通じるところがあると思っています。ドリップでコーヒーを淹れる動きには、儀式的な要素を感じることができるからです。飲む前にゆっくりと決まった動きをすることで、心が落ち着き、目の前のものに集中できるのです。 スーフィーの儀式での使用、コーヒーハウスでの自由闊達な議論などの歴史を見ても、コーヒーの本質的な価値は「精神の解放」にありました。日本のドリップ式コーヒーは、カフェインの覚醒作用に加えて、面倒な手順を追うことで精神の解放に到達できる貴重な体験だと考えています。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著
「イスラム教がコーヒーを生んだのと同様、日本においては人々の内なる心にあった禅の精神がコーヒーと結びついたというのが私の見解です。職人気質を持つ純喫茶のマスターが嗜むには、ドリップ式がうってつけだったのです。 サードウェーブが日本のドリップ式に惹かれたのは、本人たちがどう思っているかはさておき、そこに日本独自の美意識を見たというのがあるのではないでしょうか。「ブルーボトルコーヒー」の創業者、ジェームス・フリーマンは、そんな日本の喫茶文化に感銘を受けたひとりです。ブルーボトルコーヒーの日本進出にあたり、数々の日本の喫茶店を訪れた彼は、一杯ずつ丁寧にドリップする姿に感動しました。そして、新しい店づくりに活かしたといいます。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著
「アイスコーヒーがどこで発祥したのかは、はっきりとはわかっていません。 1800年代にフランスの植民地となっていたアルジェリアで、「マサグラン」という飲み物があり、これがルーツだというのが一説です。ただし、マサグランは熱いコーヒーに水を入れてはいるもののリキュールも入っており、コーヒーというよりもアルコール飲料です。マサグランをアイスコーヒーと言っていいのかどうかは微妙なところです。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著
「アイスコーヒー同様、コーヒーゼリーも日本で生まれたものとされています。日本のカレーがインドカレーとは別物になっているように、開国以来、輸入されたコーヒー文化も、日本独自のものへと変化していったのです。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著
「あらためてお話しすると、コーヒー豆は植物の種子です。では、コーヒーノキとはどんな植物なのでしょうか。 コーヒーノキは一年を通して緑の葉をつける低木の常緑樹です。野生のものは 10 mを超える場合がありますが、農園では収穫時の利便性を考慮して 2 mほどの高さで剪定していることがほとんどです。 白い小さな花が咲き、その香りはジャスミンのようです。その後、「コーヒーチェリー」と呼ばれるサクランボに似た赤い実をつけます。この実の中に入っている 2粒の種子が、私たちが飲用する「コーヒー豆」になります。 平均的なコーヒーノキの寿命は 30年程度。寿命の長い木は 80年くらい生き、原生林の中には 100年以上生きている木も存在しているようです。 ただ、その寿命の間ずっとコーヒーチェリーが実るわけではありません。収穫できる実をつけるようになるまでには、種子を植えてから 3 ~ 5年かかります。収穫量のピークは 6 ~ 10年であり、ピークを過ぎると徐々に減っていくのが一般的です。 一本の木から収穫できるコーヒーチェリーは、品種によって違いはありますがだいたい 3 ㎏前後です。これをコーヒー豆として出荷できる状態にし、焙煎すると約 400 gになります。コーヒーを一杯淹れるのに 8 g使うとして 50杯分になります。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著
「日本人が後味のきれいさに敏感なのは、和食の出汁もそうなのではと思います。出汁の後味がよくないと気になりますよね。雑味がなく、出汁本来のうまみを感じられるのがいい出汁です。味の余韻や奥行きを楽しむ食文化があるのです。 日本以外でいうと、中国はフレーバーを重視する傾向がありますし、欧米は質感やボディを重視する傾向があるように感じます。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著
「SNSによって進む個人生産者の躍進 小規模農園が注目を集める機会は、以前は品評会しかありませんでした。 しかし近年では、 SNSでの発信に熱心な生産者も増えています。インスタグラムなどを使って、コーヒーチェリーの画像を載せたり、品質向上のための取り組みを見せたりと、世界に向けて自身の取り組みを発信しているのです。きちんとブランド化しているわけですね。やはりこうしたプレゼンテーションがうまい生産者は知名度の向上に成功しています。」
—『世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー』井崎 英典著