太平洋戦争とそれに続く日本が引き起こした戦争責任を問いただすために行われた極東国際軍事裁判(東京裁判)が判決を言い渡してからおよそ80年が経過した。日本に擁護的な主張をしたインドのラダ・ビノード・パルについての書籍は多くの日本人が目にしたことがあるだろう。そしてその内容に感銘を受け、日本無罪論を主張する人も多いのではないかと思う。確かに歴史の糸を辿っていくと、日本がアジア全体への侵略戦争に至った経緯の中には、日本の責だけに帰すべきものではないものもあるだろうし、良くあるアメリカにけしかけられたとする陰謀論といった極論は除いても、一定量戦争に誘導、導かれた側面が全くなかったとは言い難い。西欧諸国によるアジアの植民地支配も事実である。八紘一宇や東亜の解放を掲げた日本がそれを表面的な建前に過ぎないと言われつつも、確かにその一面があったのも事実だろうと思う。東京裁判について、戦勝国が敗戦国を裁くといった裁判は、互いに殺し合った国同士が復讐のために利用するという意見も理解できないわけではない。
本書は東京裁判に対して多くの日本人が抱くパルの主張を「神話」と表現し、その主張の誤りを指摘することで、神話を解体していくことを目的とする。神話として扱われるパルの主張は主に以下の通りである。
・事後法による裁き
「平和に対する罪」は戦争が発生した後に作られた事後法だから、罪刑法定主義に基けば、罪にできない(法の不遡及原則への違反)。
・戦争そのものを裁く限界
国際法に於いて、国家による戦争の発動自体が違法とされていないから、それを裁判所が裁けるはずがない。
・勝者による裁き
戦勝国だけが一方的に裁くのは裁判が「復讐の道具」として利用される。よって正当性がない。
・自衛目的によるやむを得ない戦争
西洋諸国の経済封鎖や挑発に対する自衛の結果であり、共同謀議による侵略戦争とは認められない。
これらパルの主張は結果的には少数意見の中でも更に極端な意見として退けられた。本書の立場からすれば、以下の様な例に例えるとわかりやすいだろう。
日本の行為は「金持ちの家に泥棒に入る様なもので、泥棒するのは生きるためにやむを得ない事。むしろ貧困を改善できない社会の問題だ。」これは確かに泥棒を罰せずに国に問題があるとするのは極端な話である。尚且つこの場合、被害者の金持ちが裁くみたいな論であるから、尚更極論感は否めない。本書はパルのこうした態度について、東京裁判を、西欧諸国の植民地主義で虐げられた側の立場を訴える機会として利用したと評価する。これについては私も概ね同じ感覚を覚える。だから、本書ではページの半分以上にあたる150ページが、このパルの意見に対する矛盾の指摘、曲解の証明に割り当てられる。やや内容が冗長的に感じられる部分もあり、尚且つ頭から批判的な感情がそのまま文字に現れるような記載にうんざりする点もあるが、その批判事態は謝ってはいないと感じる。
そして本書は更に、日本の指導者の有罪に疑義を唱えるオランダの判事レーリンクを取り上げるが、こちらもレーリンクの意見が示す根拠とそれに対する反論、矛盾などを指摘する。ただしこちらはページ数にするとパルの批判の半分程度にもなっており、取り上げるには足りないもの、パル攻撃の引き立て役程度になっている。そして最後にウェッブ裁判長の意見に対しての称賛を述べていく。パルの意見は矛盾や根拠に乏しいと記載し続けてきたから、余程ウェッブ意見を十分に検証していくかと思いきや、被告一人一人に対する根拠の取り上げ方は、パル糾弾にページを割きすぎたせいか、やたら簡略化され、それこそ良くわからない内容になっている。本書の目的が「神話崩壊」だから仕方ないのだろうが、新書サイズに描くには無理があったのであろう。
とは言え、共著となっている2人の意見が本書を見てしまうと、やたらに攻撃的で、見る側をうんざりさせるのではないかと、読みたい気持ちは完全に失せてしまう(気力が湧かない)。私もパルの意見に頷き、全員無罪、ではなく寧ろ犯罪者に変わりないとする考えを持つが、ここまで来ると寧ろパルの無罪論やレーリンク意見を見直してみたい気持ちにもなる。中々、本書の真の狙いがどこにあったのか読み難い点はあるものの、単なるパルやレーリンクを落としてウェッブを上げるといった単純なものではないだろうから、繰り返し読み直してみるのも良いかもしれない。