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岡本 大輔
京都造形芸術大学アート・コミュニケーション研究センター専任講師 副所長。阪急阪神ホールディングスグループの人事部門にて、グループ従業員の採用・人材育成担当を経た後、同センターに着任。対話を介した鑑賞教育プログラム「ACOP(Art Communication Project)」を、企業内人材育成・組織開発に応用する取り組みを行っている。企業、行政、NPOほか各組織を対象に、セルフラーニング、チームビルディング、ダイバーシティをテーマとした研修プログラムや組織開発ワークショップを多数開発・実施
「本書をお読みのみなさんは、これまでに、美術館でアート作品を見たことはありますか? あるという方は、1つのアート作品を鑑賞するときに、どれくらいの時間をかけたでしょうか? ある海外の美術館で行われた調査によると、来館者が1つのアート作品を鑑賞するのに費やす時間は、平均 10秒前後という結果が出たそうです。 この調査結果だけを見れば、どうやら、美術館の来館者の多くは、アート作品をそれほどじっくりとは見ていないようです。 みなさんは、どうでしょうか? 私が行っている研修で同じ質問をしてみると、「 1分くらい」という答えが多いように思います。」
—『なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?』岡崎 大輔著
アート作品には、私たちにとって馴染みのある題材が描かれています。 基本的に誰でもそれを認識することができる。つまり、見る人すべてにオープンなものです。 ただ同時に、よく見ると不可解なところが見つかります。 「左右で靴紐の通し方が違うように見えるのはなぜ?」 「どうして靴だけを描いているんだろう?」 「この場所はどこだろう? 屋外、それとも屋内?」 アート作品には平易と不可解の両方を感じさせる要素が含まれています。 そのことによって、見る人の興味をそそり、様々な「問い」を沸き上がらせます。 つまり、アート作品は私たちに「答え」ではなく、「問い」を投げかけているのです。 アート作品の分類の仕方は様々ですが、分類方法の1つとして、次のようなものがあります。 1.「現状肯定派」 →鑑賞する人にYESor NOで答えられる「問い」を投げかけている 2.「現状否定派(現状疑問派)」 →答えのない「問い」を投げかけている
「 1の「現状肯定派」のアート作品としては、たとえば銭湯の壁に描かれている富士山の絵が挙げられます。 このようなアート作品から投げかけられるのは、基本的に「素晴らしい富士山」に賛同するか否か、という「問い」です。 一方、 2の「現状否定派(現状疑問派)」の作品が投げかけてくる「問い」に唯一の答えはありません。 こうした作品を見ることで、「正解のない問題に取り組む力」を磨くことができるのです。 さらに、作品から自ら問いを立てる力と自分なりの答えを導き出す力、つまり、「問題発見能力」と「問題解決能力」も伸ばすことができます。」
—『なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?』岡崎 大輔
アート作品は、比喩の宝庫です。 何かの象徴や主張であり、ときには概念を意味することもあります。 この作品に描かれているのは靴です。 ただ、もしかすると、この靴の持ち主の性格や職業、歩んできた人生をも表しているかもしれません。 こうした奥深い意味を読み解くには、「論理的かつ体系的な思考力」を駆使することが求められます。 「温かそうでありながら冷たそう」にも見えたり、「雑に扱われているようでありながら愛着を持っているよう」にも見えたり、アート作品は正反対の意見があって当たり前です。 アート作品の前で、私たち鑑賞者の関係性はフラットなのです。 そこから「多様性の受容」、つまり、「他者とともに生きていくための基礎」を学ぶこともできます。 さらに、アート作品はときとして、見る人を映す〝鏡〟になります。 たとえば、「この作品いいな」と思ったとします。 より正確な言い方をすれば「この作品をいいと思う、私がいる」ということです。 私たちが「アート作品を見ている」ときに見ているものは、「自分自身の価値観」でもあるのです。 そのことから、「自己理解と他者理解」が進みます。 アート作品が私たちに及ぼす力はほかにもありますが、ここではこれくらいにしておきましょう。 しかし、作品を〝ただ眺める〟だけでは、こうした力は身に付きません。 次章からは、「アート作品を見る」ということについて、説明をしていきたいと思います。
「「百聞は一見に如かず」「一目瞭然」 こうした言葉が存在するように、私たちは「見る」ということを絶対視しがちです。 職場などで「見ればわかるだろ」という言葉を聞いたことがある、もしかすると使ったことがある方もいらっしゃるかもしれません。 しかし、「見ればわかるだろ」は、通用しないのです。 たとえ同じものを見ていても、そもそもまったく別の見方をしている可能性があるのです。 ここまでの話で、「見る」という行為は、案外不確実で複雑であるということがおわかりいただけたでしょうか?」
—『なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?』岡崎 大輔著
たとえば『モナ・リザ』であれば、 「温和で、優しそうな女性ですね」 「美人だから、男性にモテそう」 「何を考えているのかがわからなそうで、ちょっと怖い」 これらの意見は、「事実」ではありません。 鑑賞者それぞれの「解釈」です。 「事実」と「解釈」の違いについてピンとこない方も多いかもしれませんので、もう少し詳しく説明しましょう。 たとえば、誰かが「今日は暖かい」といったとします。 「今日は暖かい」は「事実」でしょうか? それとも、「解釈」でしょうか? 答えは、「解釈」です。 なぜなら、そのときの気温を「暖かい」と感じるかどうかの基準が、人によって異なるからです。 「事実」を表す言い方としては、たとえば、「今日の気温は20度です」が挙げられるでしょう。 誰であっても「今日の気温が20度」ということに変わりはないので、「事実」を言い表していることになります。 「今日は、小春日和だね」という表現は、「暖かい」よりも具体的なので、事実のように思えますが、これも解釈です。 発言した人が「小春日和だ」と感じた理由は、「時期が11月頃で、気温は16度前後の陽気だったから」だとすると、その理由のほうが事実ということになります。
「ブラインド・トークの項目でも説明した通り、アート作品を鑑賞するときは、できるだけ言語化をすることが大切です。 一般的に、脳は右脳と左脳に分かれているといわれています。 右脳は、アート作品に使われているような色、形、空間などの認識に、左脳は言語、文字、計算などの認識に大きく関わっているといわれています。 また、右脳は「直感的思考」に優れ、左脳は「論理的思考」に優れているなどといわれることもあります。 このうち、視覚によって脳に入ってきた言語情報を言語化するのは簡単なことです。 たとえば、 1、 2、 3……と書かれたカードを見て、「イチ、ニ、サン……」と言葉に出すのはやさしいことですよね? これは、言語情報を受け取るのも、言語を言葉に置き換える言語化も、同じ左脳によって処理されているため、簡単にできるのです。」
—『なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?』岡崎 大輔著
「ところが、アート作品から得た色、形、空間といった情報を言語化する場合はどうでしょうか? 先ほど述べたように、このようなアート作品の情報が最初に入る場所は右脳になります。 ということは、たとえば、「アート作品を見て、わかったことを言葉に出してください」といわれた場合、いったん右脳に入った情報を左脳に送って、それから言語化しなければならないわけです。 これは、脳の作業としては二度手間になっているので、複雑な処理の仕方をしていることになります。 しかし、だからこそ、アート作品の鑑賞を深めていくために、意識的に言語化をすることが大切なのです。 自分の意見を人に話すことで、言語化に対する意識が強まりますし、さらに、より言語化の精度も高めることができます。」
—『なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?』岡崎 大輔著
「ここまで、作品の中から取り出した要素を基に、自分なりの解釈をするという話を繰り返ししてきました。 じつは、この「解釈」には、「思い込み」や「自分が常識だと思っている」ことが往々にして隠されています。 そういったことを含め、「自分が当たり前だと思っていること」にスポットを当て、鑑賞を深めていくのが目的です。」
—『なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?』岡崎 大輔著
もう1つ、今後ますます求められるであろう、重要な力があります。 明確な答えが出ない状態に耐え、考え抜く力です。 本章の冒頭で「明確な正解がない、先行き不透明な時代」とお伝えしました。 しかし、「答えは1つ」という前提で教わる経験が習慣化すると、正解・不正解、白・黒、優・劣、是・非といった二元論で物事を捉えてしまいがちです。 ある研修参加者は、アート作品の鑑賞体験から日常の自身の行動も振り返り、次のようなコメントをくださいました。 「いろいろな方の意見を聞き、発言しながら研修を受けることで『間違えてもいいんだ』『人それぞれ違いがあることっていいことなんだ』と、すべての発言を肯定的に捉えられたことが印象的でした。その中で、いままで自分が正解・不正解を気にしながら発言をしていることに気付きました」 正解がないことを頭では理解していても、自分の考えを無意識に正解・不正解に当てはめてしまう──。 この状態では、否定や間違いを恐れ、自身の考えを率直に発言することにブレーキがかかります。
「「まわりの方の話を聴いていると、作品の印象が初めとは違うものになりました。1つの作品には違いないのに、すなわち1つの事実として存在しているものは何ら変わっていないのに、解釈が変わる面白さと難しさを感じました。同じ作品を鑑賞しているのに、真逆の感想を抱く人がいたことには驚きました」 この研修参加者のコメントのように、アート作品の鑑賞では、正反対の解釈が出るのは当たり前です。 アート作品には、嬉しそうに見えながら悲しそうにも見える、温かそうに見えながら冷たそうにも見えるなど、相反する要素が同居しています。」
—『なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?』岡崎 大輔著