【きまじめな物理学者の探求】
本書が最初に出版されたのは1944年,まだ量子力学が疑いもない第一原理と認識されて間もない頃のことだ.ちなみにDNAの二重螺旋構造が提唱されたのはその10年後になる.
まだ生物が神秘的なベールに包まれていた時代だったとは思えないほど,恐れず物理学の立場に立って,現代の描像にも通じる議論が展開されている事には驚かずにはいられない.
【この著書の意義は何処に】
結論を一口に言ってしまうと,「生命はたんぱく質という頑丈な歯車によって動く,機械仕掛けである.それは複雑だけれど,物理法則と矛盾しない理解は可能になるはずだ」これだけ聞くと何と平凡な結論か!
経験的に「生物というものが居てもまぁ不思議はない」と捉えるごく普通の人にとっては,こんな結論を引き出すのに文庫本1冊をあてがう必要なんてないのかもしれない.
むしろこの本は,Schrodinger の言葉を借りれば「きまじめな物理学の徒」に対してこそ意義を持つと思う.「きまじめな物理学の徒」とは,量子力学を唯一無二の第1原理と信じて疑わず,しかも観測される全ての物理現象は,大数の法則により初めて秩序を獲得し,法則が見出されるという事実を或る程度理解している,そんな人々のことだ.
そんな「きまじめ屋」の前に生物なるものがひょっこり現れれば,彼の頭は疑問で溢れかえることになる事は想像に難くない.
生細胞を構成するたんぱく質の数は決して巨視的とは言えない.であるにも関わらず,それらが高度に分化し,秩序だった働きをするのはどうしてか.
遺伝子という疑いも無く微視的な代物が,これほど安定に受け継がれてゆくのはどうしてか.
生命に備わる,エントロピーを捨てる能力は,物理の視点からどう解釈されるべきか.
...などなど,上に挙げたどの疑問も,「物理学は全ての自然現象を線で結ばなきゃいけない」という立場からは是非とも答えたいものだ.
慎ましやかな物理学の立場から,それらやや卑怯な質問に対して真剣に骨折って議論したのが本書といえる.
思い切ってかいつまむ
この本の中心的興味は,
(1) 生命そのものの安定性は物理学で説明できるのか
(2) 秩序を保ち続ける生命活動は,何らかの物理法則に従うのか
の2つと言える.そして Schrodinger は(1)には yes と,そして (2) には maybe と答えたはずだ.
(1) に関しては,量子力学から導かれる分子の安定性こそが,生命を構成するたんぱく質の安定性に他ならない.遺伝や突然変異も,分子のエネルギー構造から説明される.
現代では「たんぱく質」が,より正確に DNA に置き換わるだけで,この描像は実に的を射ている.
そして(2) こそが,現在でも研究が続いているわけで,「未解決難問」のカテゴリーに属する.
僕の理解では,たぶん Schrodinger の考えは,
「生命活動は,量子力学にしたがって行われるに違いないが,それは決して統計によって秩序を得るものではない.
それゆえ,統計に頼らない緻密な理論が必要であり,現在の物理学はこの問題を扱うことが出来ない」
ということだと思う.
そもそも量子力学は,現在完成したといっても巨視的な系を十分満足に説明できるわけではない.
物性に限っても,強磁性や超伝導のメカニズムが共通認識になってきたのは最近の話だ.
しかもそれは巨視的な,「統計性」が前程にある系でしかない.
対して生命現象においては,一つ一つの分子がそれぞれに重要な役割を演じる歯車なのだから,「統計性」によって導かれる物理法則では歯が立たないわけだ.
たとえばエントロピーを減少させるという生命の驚異的メカニズムは,(生命は孤立系でないので熱力学的に矛盾は無いが!)あきらかに構成分子一つ一つの動力学によるものだ.
これは量子力学の限界というより,物理学者が地団駄している,と言った方が正しい気がする. Schrodinger も「我々の美しい統計理論は,(生命現象という)当面の問題を内包していないのです」と悔しそうに述べている.
でもだからこそ,生命は未知であると同時に魅力的な研究対象でありつづけるんだろう.
最近では,生物を複雑系の立場から研究する流れが強い.生命現象に共通な構造を現象論的に定式化しようという試みなんだと僕は思っている.
きっと,そういう現象論を物理学の第1原理でつなぎ合わせることが出来れば,Schrodinger への最上のはなむけになるんだろう.
(2009年ごろの自分の読書ログからの転載です。)