アスキーの社長であった西氏の自伝。マイクロソフトの創生期にビルゲイツとともにOS開発や売り込みをしていた日本人がいたことは全く知らなかった。マイクロソフトではビルゲイツと喧嘩し、アスキーでも創業仲間と喧嘩し苦境に陥るなど、輝かしい功績とともにたいへんな苦労も数多く経験している体験談は、とても興味深い
...続きを読む。GAFA創業者を代表とする自己資産〇兆円といった大金持ちの成功も、綱渡り的な紙一重の決断の連続であって、その事実や真実を知ることはとても良い勉強になると思う。また、国家の力や人間関係の重要性をあらためて強く認識した。
「還暦とは、60年で干支が一回りして、再び生まれた年の干支にかえること。いわばもう1回、新しい人生が始まるようなものだ」p4
「(自分で自分がつくづく情けない)マイクロソフトにいたときに、ビルゲイツが大反対した半導体事業への参入など主張せず、ビルの言うことをよく聞いて「いい子」にしておけば、それだけで大金持ちになって、今頃はラクラク。アスキーが好調だったときに、リスクの高い新規事業に積極的な投資などせず、ビルでも買って手堅い商売をしていれば、そこそこの上場企業の社長、会長になって今頃はラクラク。そんな思いが、どうしても頭をよぎる」p6
「人生は実験の連続というほかない」p9
「人生には必ず感動がある。その感動こそが、よい仕事の出発点にあると思っている」p26
「ビジネスに育てていくうえでは、「実現可能性」や「市場性」などといった観点も不可欠だが、これらは二の次。原点に感動がなければ、何も始まらないし、よい仕事にはならない。何より大切なのは、感動を原動力に一歩を踏み出すことなのだ」p26
「最も重要な情報は「人」を介してもたらされる」p66
「僕は「やりたいことが見つからない」とか、「自分の人生を変えたい」と悩む若者を見ると、いつもこう思う。興味のある場所に行ってみればいいよ。人生はシンプルなんだから、悩んでる時間がもったいないよ、と」p66
「(駿台予備校)予備校の授業は面白く、寮ではよい仲間に恵まれ、何の不満もなかった」p79
「今でも、図々しさって大事だな、と思う」p88
「(アスキー・マイクロソフト時代)僕はただ、必死で毎日生きていただけだ。目が覚めたら、脳はいきなりフル稼働。10時間でも15時間でも仕事に没頭して、脳のスイッチがプチっと切れたら眠る。そんな感じだったのだ。ちょっと、コンピュータに似ていたのかもしれない」p138
「やった仕事はうまくいく。やればやるだけ業績は上がる。注目は集める。忙しい、楽しい。仕事と遊びの区別のない、遊びのような仕事暮らしだったが、それが楽しかった。何も言うことはなかった」p139
「「失敗したらどうしよう」なんて思わないようにする。というか、そんな心配が消えるまで準備する。自分がプレゼンする内容を考えるときに「相手はどう思うか」「何を疑問に思うか」という想定問答を何時間もかけて徹底的にやっていた。されると予想できる質問の答えを100通りは考えた。その答えを全部用意してから、訪問していたのだ。そこまでやっておけば、相手がどんな大経営者でも、やりとりに余裕が生まれる。余裕が持てたら、こっちの勝ち。質問されても「来たー」みたいな感じ。それで、相手の疑問、疑念を払拭できたら、OKが出る。そういうもんだ」p141
「(重要なのは「情報」と「人脈」)どんな分野の仕事でもそうだと思うが、新しい技術を追及したり、新しいモノを生み出したりするときには、その分野に存在する人脈の中に入っていかなければならない。しかも、その分野における「本場」の「本物」の人脈でなければダメだ。そうでなければ、最先端の情報が入ってこないからだ。最高の価値をもつ情報は、「人」を介してもたらされる。「人脈」とは情報ネットワークなのだ」p142
「(IBMが訪問時、たまたま不在が続いたためキルドールは大きなチャンスを逃した(マイクロソフトのものとなった))それにしても、「女神」とは残酷なものだ。その後キルドールは「コンカレントCP/M」という、非常に優れた16ビット用のOSを作ったが(時すでに遅しで)「MSーDOS」の覇権はまったく揺るがなかった。IBMマシンに純正として採用されるか否か。その瞬間に、運命はほぼ確定してしまったのだ」p168
「経営というものは、経験がものすごく大事だ。誰もが、失敗しながら、試行錯誤しながら、社長になっていくしかないのだ。ところが、当時の僕は、経営の見習いすらやったことのないただの若造だった。「バランスシート」という言葉すらちゃんと知らなかったのだ」p265
「(中山素平)「いい会社になって、ちゃんとお金を返します」と言ったら、「何を言ってるんだ君は。それじゃダメだ」とおっしゃる。「君が借金を返したら、銀行の商売はあがったりだよ。君は、いい会社になって、もっとたくさんお金を借ります、と言わなきゃならん」と言われたのだ。なるほど、と思った。これがバンカーの発想なんだと思った」p297
「10回の成功は1回の失敗で消えるよ」p297
「「10回の失敗は1回の成功で取り戻せるぞ。だけど、それは長く続かないよ」と諭すようにおっしゃった」p298
「大切なのは「即断即決の瞬発力」と「熟慮する慎重さ」のバランスなんだろう」p318
「(CSKの大川功会長)「わしはな、会社のお金を遊びに使ったことは1円もないんや、お前もそうしろよ。会社の仕事で使う交際費だって、自分の金を使う。それが一番賢明や。本人の金を使ってるんやから、いちいち言われることはない。株主総会であろうが、誰が何と言おうが「個人で遊んだ金だ」と堂々と言えるからよ」p329
「(アメリカと日本の技術者の層の厚みの差)アメリカであれば、優秀な半導体技術者をすぐにかき集めることができるが、日本ではそれが難しかった。コンピュータ生誕の地であり本場であるアメリカの強さを思い知らされる経験でもあった。VMテクノロジーの嶋正利さんはまぎれもなく天才だったが、サポートする技術者を集めきれずに、インテルに勝つことはできなかったのだ」p350
「(怖かったのは、アメリカという国家の存在)僕が思うに、IBM、インテル、マイクロソフト、シスコなどは、アメリカという国家が絶対に潰さない企業だ。そのインテルに対抗しようとするのは、アメリカという国家に対抗するのに等しい。その恐ろしさに気づいたときには、血の気が引いた」p352