現在、アメリカには例の人のせいで逆風が吹いている。しかし、私は悲観はしていない。あの国は修正能力が高いからだ、これから書評にするコリン・パウエル氏もその代表的な人物の一人。
彼はジャマイカからの移民の両親のもとに生まれたアフリカ系アメリカ人。アフリカ系アメリカ人で初めて、国務長官(日本でいえば外務大臣)になられた方だ。
この本の題名は「リーダーを目指す人の心得」という題名であり、彼の理想のリーダー像が一冊にギュギュっと詰まった書籍である。大部分が彼の経験則によるもので、叩き上げの軍人としての彼の本質が表されている。
では、本書をかいつまんで紹介する。
・何事も思うほどには悪くない。翌朝には状況が改善しているはずだ。
彼は状況がどれほど苦しいときも、自信を失わず楽観的な姿勢を保つように心がけたとのこと。具体的には夜、自分は勝利に向かって歩んでいると思いながら職場を後にすると、自分以外にも良い影響が与えられる。部下にもそれは伝染し、彼らにもどのような問題でもクリアできると信じさせることができるという。
・まず怒れ。その上で怒りを乗り越えろ
誰でも怒る。まっとうな感情だ。彼も子供や奥さん、親友そして敵に対しても怒る。だだ怒ったままではよくないと思われているそうだ。
例えば、彼がフランスの外務大臣、ドミニク・ド・ビルバンと仕事をした時もそう痛感されたそう。しかし米国人のほとんどがドミニクと仕事したとき、彼に対して相当腹を立てたそうだ。
第二次湾岸戦争のとき、国連安全保障理事会では大量破壊兵器の問題が繰り返し話し合われていた。安保理は15か国で構成され、議長国は毎月持ち回りになる。
2013年1月はフランスが議長国で、ドミニクが議長席に座った。安保理議長国はその月の特別議題を提出できる。そのときドミニクが提案しようとしたのは、テロリズムだった。
これには、パウエルさんは不安に思った。ワシントンも「フランスが議論したいのはテロリズムでなくイラク問題だろう。それはまずい」という意見が支配的だった。
ドミニクはイラクには言及しないと断言していた。しかし、彼は理事会後、大勢の記者を目の前に、イラクに対する米国の姿勢を強く批判し、いかなる軍事行動にフランスは反対すると語ったのだ。
これで、パウエル氏をはじめ米国はテレビニュースや新聞でたたかれまくる。パウエル氏も激怒。その感情をドミニクにも伝えたそうだ。
米国内での反応もすざましく、フランスワインをボイコットしよう、とかフレンチフライ(フライドポテト)をこれからはフリーダムフライと呼ぼうといった話が新聞に載った。ドミニクのせいですべてがメチャクチャになったのだ。
ここからがパウエル氏の素晴らしい見立てだ。曰く「ドミニクが悪者と言いたいわけではない。彼はフランス政府の代表として言うべきことを言っただけだ。したがって彼を米国に対する悪者扱いはやめよう」と。
そのかいもあって、フセイン政権が倒れた後、イラクを再建するため国連決議が必要だったが、そのときフランスは6つの決議、すべてで米国を支持してくれたそうだ。
その後、2004年2月、ハイチが危機的状態に陥り、ジャン=ベルトラン・アリスティド大統領が国外に退去せざるをえなくなったとき、米国はまずアリスティド大統領を南アフリカに向かわせた。
しかし南アフリカは受け入れを拒否。真夜中だったがパウエル氏はドミニクに電話をかけ、フランス語圏に属するアフリカ国に、飛行機が燃料切れになる前にアリスティドを受け入れてもらうように説得してほしいと頼んだ。30分後、ドミニクは解決策を提示し、万事収まったそうだ。
パウエル氏は、よくフランスはアメリカ独立戦争のとき、我々の見方をしてくれじゃないかという言い方をする。つまりフランスとは230年以上も結婚生活をしている。。。そして夫婦仲が悪いと230年以上もカウンセリングを受け続けているんだ、と。
それでも離婚しないのは、人権や自由、民主主義など両国は価値観や信念が同じだから。両社のきずなは、そう簡単には切れるほど弱くはない。
彼の軍隊時代の上司も「コリン、激怒や失望の素晴らしい点はそれを乗り越えてゆくところだよ」と言われたそうだ。彼はこのような性質も持ち合わせている。
・常にベストを尽くせ。見る人は見ている。
パウエル氏は14歳のころから、夏休みとクリスマス休暇はブロンクスにある、赤ちゃん用家具のお店でアルバイトをしていたという。
きっかけはオーナーに店の前を通った時「君、後に止まっているトラックから荷物を降ろす仕事をしてみないかい?」といわれたので「あ、いいですね」と答えたのがきっかけだったとのこと。
仕事は2~3時間だったが、アルバイト代は時給50セントで、最後にこう言われた「君はよく働くね。あしたもおいで」パウエル氏は夏は2~3時間、冬はもっと長くまじめに働いた。これはジャマイカ人の両親から受け継いだ性質だ。
彼の両親は、毎朝早くにマンハッタンのガーメント地区に出勤し、夜遅くに帰宅した。親戚も一生懸命働く人ばっかりだった。移民とはこのようなものだと彼は言う。「あいつは怠け者だ。仕事を二つしかしてないんだから」という冗談があるくらいジャマイカ人はよく働くそうだ。
そして件の家具屋の主人はパウエル少年の働きぶりに感動し、こう言葉を投げかけたそうだ。「コリー、君にはきちんとした教育を受けていい人生を送ってほしいと思うんだ。その日暮らしをするような人間じゃないのだから。ここは家族が受け継ぐ店だ。ここに君の未来はないんだよ」
つまりベストを尽くした見返りとして、パウエル氏は間違った道を通らなくて済んだのだ。
・勘違いしないようにする
最後にパウエル氏の性格をよく表すエピソードを紹介して本ブログを終わる。
少し前、パウエル氏はフィラデルフィアの道路の清掃夫にスポットを当てた番組を見た。折り目正しい黒人で、硬いほうきとキャスター付きのごみ入れという昔ながらの方法で道路の掃除をしていた。
家族は妻と子供が数人。質素な家で仲睦まじく暮らしている。仕事は気に入っており、地域社会に貢献しているという実感を持って働いているという。しかし仕事についてはのぞむことが一つだけあった。ぐるぐる回るブラシがついた清掃車を運転できる立場まで昇進することだ。
彼が望みをかなえ、清掃車の運転手に昇進する日が来た。妻も子供たちもうれしそうだ。番組の最後に映ったのは、清掃車を運転する彼の姿だ。満面の笑みだった。自分がどういう人間で、なにをしているのか、彼はよくわっているのだ。
と、ここまではよくある話。しかしパウエル氏は違う。現実というものを確認するため、彼は、このビデオを何か月に一回は思い出すようにしているとのことだ。
このビデオを見ることにより、パウエル氏は人生の重大事を彼以上にうまくしているだろうかと自問するのだそう。いや、彼も私も幸運だというべきだという。人生において件の掃除夫は大事なポイントのすべてを獲得している。たしかにパウエル氏の方が役職や勲章は凄いかもしれないが、最後に優劣を競ったとき、彼の方がパウエル氏よりも、また私が知る多くの人よりも、何ポイントか多いかもしれないかもしれない、とパウエル氏は述懐している。
本ブログは、この書籍のほんの数パーセントだけしか紹介していない。彼の素晴らしいアトモスフィア(雰囲気)を見ればわかるだろうが、彼の本質、つまりリーダーたる要素がこの本に凝縮されています。これらはアメリカ人でなく、日本人にも通じる普遍的なものだと感じました。日本でもリーダーの立場にいる人、学生さん、サラリーマン、主婦の皆さんはともかく、経営者、政治家や政府高官の方も興味があればぜひ手に取ってほしいです。