ユーザーレビュー われらの子ども 米国における機会格差の拡大 ロバート・D・パットナム / 柴内康文 パットナムは「哲学する民主主義」において、ソーシャルキャピタルの重要性を論じ、「孤独なボーリング」においてソーシャルキャピタルの衰退への懸念と再生への期待を論じていた。 本書においては、ソーシャルキャピタルの濃淡がもたらす社会階層の格差の拡大を論じている。 分析の手法は、前著と同じく、個々のストーリ...続きを読むーから社会全体の変化を描写し、一般化するという方法であり、それぞれ、家族、学校、コミュニティについて分析されている。 そして、上層階級と下層階級の家族、学校、コミュニティの機能の差が社会的、経済的格差を招いているとしている。 特にコミュニティにおいては、かつてあった、メンター機能が失われた、下層から上層への移動、即ちアメリカンドリームが失われたことが記述されている。 日本流に言えば近所のおじさんやおばさん、金銭的に支援してくれる旦那衆がいなくなったこと、つまり社会全体で、我らの子供の射程が狭くなったことを憂いている。 こうしたソーシャルキャピタルの衰退をパットナムは通奏低音と描写している。 真にアメリカ的なものは個人の不平等ではなく、地域の不平等なのであるというロバート・サンプソンの言葉を引用している。 そして最終章においてはパットナムは、課外活動の無償化など、下層階級の子弟を社会に取り組むための提案をし、ソーシャルキャピタルの平準化による格差の解消を求めている。 現在日本においては学校の部活動が問題視されているが、経済力の差に関係なく参加出来る部活動は、こうした面では有効であると思われた。 Posted by ブクログ われらの子ども 米国における機会格差の拡大 ロバート・D・パットナム / 柴内康文 『孤独なボウリング』でご近所付き合いやPTA、スポーツ等のインフォーマルな関係性の重要性を見事なまでに定量的な分析と共に示し、社会関係資本という概念を創出したロバート・D・パットナムが次に取り上げたテーマは格差、特に子どもの機会格差である。 建国以来の”アメリカン・ドリーム”を未だに信奉する人々が...続きを読む多いにも関わらず、明らかにアメリカにおける子どもの機会格差は拡大している。それは両親の貧困が子どもの貧困を再生産するメカニズムになっているということである。その様子を本書では定性と定量の両面から示しており、特に定性面での叙述に本書の特徴が表れている。というのも、本書ではいわゆる社会学のフィールドインタビューの手法を用いて、アメリカの多様性を代表していると思しき幾つかの都市において、世帯年収・人種・両親の離婚歴等が異なる複数の子供とその両親へのインタビューにより、世帯年収の差が子どもの機会格差を生み出している点が、胸に詰まる個々のストーリーと共に示される。そのうえで、そのストーリーを検証するために多変量解析等の手法により、定量面から、その格差が明確に実在している、ということを示す構成となっている。 こうした機会格差を明らかにした上で、本書は機会格差を是正するために、”私の子ども”から”われらの子ども”へ社会を転換させるために、社会関係資本を再興させる幾つかの具体的な処方箋が示される。そのためには当然、相応の投資が必要となるが、先行研究によれば、こうした投資により子どもの機会格差が是正されれば、経済成長の押し上げ効果と、犯罪対策等のコストの削減効果の相応により、十分なリターンが得られるとされる。ROIだけが全ての指標でないにせよ、子どもの機会格差をなくすための取組は十分に社会的意義が大きく、重要性が高いものだといえる。 Posted by ブクログ われらの子ども 米国における機会格差の拡大 ロバート・D・パットナム / 柴内康文 高学歴家族と、低学歴家族のインタビューから、現代のアメリカの状況が見えてる。アメリカンドリームはもはや夢のまた夢だということ。 親の学歴と、家族の周りをささえるサポートの有無が、子供の大学進学に大きく影響を与えることが、実証的に示されている。 日本でも程度の差はあれ、同じような状況があると思われる。...続きを読む低所得層への経済面、ソフト面での手厚いサポートが必要だ。 Posted by ブクログ われらの子ども 米国における機会格差の拡大 ロバート・D・パットナム / 柴内康文 米国における格差の拡大について、膨大な具体的事例をもとに解説している。日本はここまではひどくないものの、同様の傾向があるように思われ、本書が広く読まれると良いと思う。 神経科学者や発達心理学者が確認した、脳を基盤とした能力の中でもとりわけ重要な集合のことを、彼らは「実行機能」と呼んでいる。そ...続きを読むれは航空交通管制のような活動であって、集中や、衝動の制御、精神の柔軟性、そして作業記憶に現れている。… 支援的な養護者のいる通常の環境下では、実行機能はとりわけ三歳から五歳の間に急速に発達する。しかし、その時期に深刻で慢性的なストレスを経験した子どもは…実行機能が傷つく可能性がより高くなる。このことがめぐって、彼らが問題を解決したり、逆境に対処したり、自分の生活を組み立てたりする力が弱まってしまう。 この研究による重要な含意の一つは、幼少期に身に付けられた能力は根本的なものであって、のちの学習を効率的なものとするということである。… …面倒見のよく応答性の高い大人と子どもによる相互作用が、発達がうまくいく上で主要な要素となっている。…ネグレクトやストレスが、現在「毒性ストレス」と呼ばれているものを含め、健全な発達を阻害している。 極端なストレスは生化学上また生体構造上の連鎖的増幅変化を引き起こし、脳の発達を阻害して基礎的レベルでの脳構造の変化をもたらす。保護が不安定で一貫した応答性に欠けること、身体的また精神的虐待、親の物質中毒、愛情の欠落からもたらせれるストレスは子どもに重大な生理的変化を生み、そのことによって学習面や行動面、そして抑うつやアルコール中毒、肥満、心臓病といった身体的、精神的健康面において生涯にわたる問題につながる可能性がある。 研究者によって「逆境的児童期体験尺度」が開発されていて、毒性ストレスを生み出すような出来事から選ばれたリストにより、それが起こった程度を測定できるようになっている。… 1.家にいた大人に、身体的に恥をかかされたり脅かされたりした 2.家にいた大人に殴られたり、たたかれたり、傷つけられたりした 3.大人から性的虐待を受けた 4.愛してくれたり支えてくれる人間が家族にはいないと感じた 5.親が別居、離婚した 6.親の飲み過ぎや中毒で面倒を見てもらえず、食事や衣服に事欠いた 7.母親/継母に身体的虐待を受けた 8.アルコール中毒者や薬物使用者と住んでいた 9.家族の中にうつ病になったり自殺の恐れのあるものがいた 10.家族の中に服役したものがいた 育児における日々の面倒事のストレスは高い。…しかし莫大な数の研究が、親のストレスが敏感さや応答性に欠ける育児につながっていて、結果として子どもによくない結果をもたらすとしている。ストレスの高い親は、厳しいと同時に注意にかけた親になっている。経済的ストレスはとりわけ、家族関係を崩壊させ、育児からの離脱やその一貫性のなさをもたらし、そして子どもの間での慢性的なストレスを直接的に高めてしまう。 本書中のライフストーリー全てが例示してきたのは、経済的苦境が高ストレス下の育児へ、そして子どもの悪影響へと連鎖していく様子である。大不況が作りだしたストレスは例外的なまでに大きかったが、…親の経済的ストレスに見られる階級格差は三十年前から着実に増加していて、育児にも深刻な結果をもたらしている。 課外活動は、上方移動にとって重要な意味を持つ。したがって、課外活動における大きな階級格差が、とりわけ各種持続的参加において見られるという結果をどの研究も確認することになっているのは悲惨なことである。貧しい子どもは、そうでないクラスメートに比べて、スポーツとクラブのどちらにも参加していない割合が三倍高く、スポーツとクラブの両方に参加している割合が半分になっている。 本書では、恵まれた、あるいは恵まれない出身のアメリカ青年がおくる対照的な暮らしぶりを一連の肖像により提示してきた。ししてこれらの個人的描写は、全国規模で見られる現実を表現したものであることを示す精密な証拠をそれに添えた。…若者がその中で成長していく同心円状の輪―家族、学校、そしてコミュニティ―が及ぼす影響であり、金持ちの子どもと貧しい子どもが直面する困難と機会が、近年数十年間のうちにいかにますますかけ離れたものへ変わっていったかをわれわれは目の当たりにすることになった。 しかし実際には、所得不平等から機会不平等へのリンクは単純で即時的なものではない。われわれの事例が明らかにしているように、経済的不調が家族構造と、コミュニティからのサポートを掘り崩すのには数十年かかる。育児と学校教育における格差が広がるのにも数十年かかる。そして、こういう幼年期の要因に起こった分岐が、その影響を十全に発揮して彼らの成人生活にその結果が現れるのにはさらに数十年がかかる。さらにこのような悲しむべき連鎖は、アメリカにおいて異なる時点の、異なる場所で始まった。例えば、この過程は非白人コミュニティで早く始まり、またずっと先まで展開したが、現在では白人コミュニティにおいても全面的に進行している途上である。 期限の定まらない中でこのような時間差があることで、所得不平等と機会不平等の間に単純な統計的相関関係を描けるかどうかは困難なものになる。…因果連鎖と未来予測は依然として不確実なままにとどまるが、しかしどちらにおいてもまた、完全な明確化を待っていては既に時遅し、ということにやはりなってしまうだろう。 Posted by ブクログ 柴内康文のレビューをもっと見る