作品一覧

  • エピソードで読む黒田官兵衛 ナンバー2の行動学
    3.0
    1巻610円 (税込)
    「わしの後は官兵衛じゃ。あいつなら天下が取れる」と、秀吉に言わしめたほどの器量の持ち主であった黒田官兵衛(孝高、如水)。放浪の一族に生まれながら、やがて播州の小寺氏を継ぎ、信長への拝謁を切っ掛けに戦国にデビュー、秀吉軍の軍師として、天下制覇に向けて機略縦横の働きを見せるのである。本書は、天下人たる度量を有しながらも、自らの採るべき道を冷静に判断し、ナンバー2の生き方を貫いた官兵衛の生涯を、エピソードで綴る歴史読み物である。毛利攻めにおける「嫡男・長政の人質と摂津有岡城での幽閉の苦悩」「備中高松城の水攻めの奇策」、信長横死後の「中国大返しと天王山決戦」、さらには「朝鮮の役」……知略に長けた官兵衛は、まさに秀吉の頭脳として活躍するが、一方で、トップとの距離を微妙に測りつつ組織を動かすことの難しさもクールに認識していく。官兵衛の生きざまは、組織人、脱組織人のどちらにとっても示唆に富んでいる。
  • 服部半蔵 家康を支えた諜報参謀
    3.7
    1巻569円 (税込)
    「本能寺にて信長憤死」の報を聞いた家康は「光秀と刺し違える」と色めき立った。しかし、半蔵はさらに先を読んでいた。「お屋形さま、新しい天下のために行動なさるときです。この半蔵は命をかけて岡崎までお守りいたします」――家康最大の窮地を救い、徳川の天下を決定づけた男、服部半蔵。伊賀の忍者集団を率いて極秘情報をつかみ、虚々実々の駆け引きに天才的手腕を発揮した男の生涯。

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  • 財政再建の名家老 河合道臣 姫路城 凍って寒からず
    -
    1巻650円 (税込)
    実収年貢の7年間分という膨大な負債を抱え、財政破綻の危機にあった播州姫路藩を、27年をかけて再建した河合道臣(寸翁)。本書はこの経世済民の名家老の生き方を感動的に描く長編小説である。元禄バブルのツケにより負債がかさむ一方の姫路藩では、経済の疲弊とともに人心も傷ついていた。代々の勝手向き(財政担当)家老が対策を講じるも効果なく、万策も尽きたと思われたとき、藩主は突然、「本のムシ」のような文人派家老の河合に勝手向きを命じるのである。いきなり修羅場に投げ込まれた河合は、だが周囲の危ぶむ声をよそに、文人派ゆえの懐深い人間味と冷静な頭脳によって、従来の倹約やリストラといった定番政策は避け、民間主導型の特産品の開発やユニークな金融システムを設けるなど、藩と領民が一体となった改革を推進していくのである。さらに負債完済後の次世代の育成も怠らなかった。まさに今日に呼び戻したい人物だったのである。

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  • 服部半蔵 家康を支えた諜報参謀

    Posted by ブクログ

    「本能寺にて信長憤死」の報を聞いた家康は「光秀と刺し違える」と色めき立った。しかし、半蔵はさらに先を読んでいた。「お屋形さま、新しい天下のために行動なさるときです。この半蔵が命をかけて岡崎までお守りいたします」―家康最大の窮地を救い、徳川の天下を決定づけた男、服部半蔵。伊賀の忍者軍団を率いて極秘情報をつかみ、虚々実々の駆け引きに天才的手腕を発揮した男の生涯。

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    2011年02月25日
  • 服部半蔵 家康を支えた諜報参謀

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    2009.2.2
    服部半蔵は伊賀忍者のイメージが強いが
    徳川家康に使え、諜報参謀として活躍する。
    諜報すなわち情報を入手して、いかに行動するかを
    戦略的に決定する姿は現在にも通じるものがある。
    はじめの20ページくらいを我慢すれば、後は楽しく
    読めた。

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    2009年10月04日
  • エピソードで読む黒田官兵衛 ナンバー2の行動学

    Posted by ブクログ

    タイトルの通り官兵衛さんの生涯を逸話を通して書ききった本でした。とは言え私も知ってるような有名な逸話ばかりでしたので好きな御仁の話なだけに欲を言えばあと一押し欲しかったところです。改めて見ると主君にホント恐れられちゃってますよね。大衆のくれた重い恩賞には思わずにんまり。

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    2009年10月25日
  • 服部半蔵 家康を支えた諜報参謀

    Posted by ブクログ

    16世紀。半蔵は忍びの伊賀衆を束ねていた服部保長の五男。保長は松平氏の3代に仕えていた。父が死に半蔵が家を継ぐことになった。
    初め半蔵は槍に生き武士として身を立てるつもりだったが,家康から,戦の時代はもう少しで終わる。そうしたら,槍はいらない世の中になる。そうすると,頭が必要になる。そのため情報を集め,槍のように研ぎ澄ませて持って来いと言われた。
    半蔵は江戸城の搦手門となる麹町御門の工事を担当することになり,半蔵はこの門を搦手と言う逃げ道ではなく,京へ上るための晴れの門だと言い,立派に築きあげる。これを今の半蔵門と言う。
    その後,半蔵が直接手を下さないまでも,切腹の際の介錯人になり,介錯できな

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    2009年10月07日

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