【感想・ネタバレ】服部半蔵 家康を支えた諜報参謀のレビュー

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Posted by ブクログ

「本能寺にて信長憤死」の報を聞いた家康は「光秀と刺し違える」と色めき立った。しかし、半蔵はさらに先を読んでいた。「お屋形さま、新しい天下のために行動なさるときです。この半蔵が命をかけて岡崎までお守りいたします」―家康最大の窮地を救い、徳川の天下を決定づけた男、服部半蔵。伊賀の忍者軍団を率いて極秘情報をつかみ、虚々実々の駆け引きに天才的手腕を発揮した男の生涯。

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2011年02月25日

Posted by ブクログ

2009.2.2
服部半蔵は伊賀忍者のイメージが強いが
徳川家康に使え、諜報参謀として活躍する。
諜報すなわち情報を入手して、いかに行動するかを
戦略的に決定する姿は現在にも通じるものがある。
はじめの20ページくらいを我慢すれば、後は楽しく
読めた。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

16世紀。半蔵は忍びの伊賀衆を束ねていた服部保長の五男。保長は松平氏の3代に仕えていた。父が死に半蔵が家を継ぐことになった。
初め半蔵は槍に生き武士として身を立てるつもりだったが,家康から,戦の時代はもう少しで終わる。そうしたら,槍はいらない世の中になる。そうすると,頭が必要になる。そのため情報を集め,槍のように研ぎ澄ませて持って来いと言われた。
半蔵は江戸城の搦手門となる麹町御門の工事を担当することになり,半蔵はこの門を搦手と言う逃げ道ではなく,京へ上るための晴れの門だと言い,立派に築きあげる。これを今の半蔵門と言う。
その後,半蔵が直接手を下さないまでも,切腹の際の介錯人になり,介錯できなかった家康の嫡子信康を西念寺に骨を収め,門完成から6年後に亡くなった。55歳だった。半蔵は信康と同じ西念寺に弔われている。

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2009年10月07日

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