「山田錦」をご存知だろうか。イネの品種の1つで、酒造好適米(いわゆる酒米)の代表格である。兵庫県で大正年間に育種され、以来、多くの酒造家に好まれてきた。現在でも酒米の最大生産量を誇る名品種である。
本書の主題はその「山田錦」。
1本100万円という高級日本酒の醸造元である烏丸酒造に、脅迫状が届いた
...続きを読む。日本酒の原材料となる「山田錦」を育てている田んぼに毒を蒔く、やめてほしければ500万用意しろという。実際、田んぼの一部に毒が蒔かれているのが発見され、酒造会社は大騒ぎとなる。
由々しき事態。しかし、超高級日本酒を相手取ったにしては要求が低すぎないか・・・? 犯人の狙いは何なのか。
警察も捜査に乗り出す中、杜氏が不審死を遂げていたことも明らかになる。当時は事故死として処理されていたが、本当に事故だったのか・・・?
酒と食のジャーナリスト、居酒屋経営者、研究者だった過去を持つ異色の警部。個性の強い面々が集まり、時に酒を楽しみ、時に酒造りを学びながら、謎の解明に乗り出す。
会話シーンなどのコミカルさに若干浮いていると感じる部分はあるが、肩ひじ張らずに楽しく読み進められる。
何より散りばめられる酒や田んぼの豆知識が楽しい。著者は自身も日本酒のライターとしても活動し、全国の酒蔵300棟以上を回っているという。
田んぼの有機認証、精米の度合い、麹の仕込み。さながら読む酒蔵見学である。
酒造り以外でも実際の出来事を取り込んでいる構成がなかなかおもしろい。
田んぼに身代金の要求というのは前代未聞だが、実は作中でも触れられている通り、高級ワイン「ロマネ・コンティ」のブドウ畑を舞台とした脅迫事件が2010年、フランスで実際に起きている。複数の木の根元に除草剤が蒔かれ、100万ユーロ払わなければ畑を全滅させるとしたものだ。偽造紙幣を囮にして犯人は逮捕されている。
有名銘柄である「獺祭」の会長が実名で登場しているのも珍しいところだろう。
作中では新聞広告が大きな役割を果たす。
「獺祭」はコロナ禍関連でも骨太な新聞広告を出していたが、数年前にも「高く買わないでください」と題した転売への注意を訴える広告を出して注目されている。その際のエピソードなども織り込まれている。
実在の人物といえば、もう1人、主役格のジャーナリスト、山田葉子。
これは推測だが、著者の奥さんで巻末の参考文献の著者としても名前があげられている、酒食ジャーナリストの山本洋子さんがモデルではないだろうか。
作中の葉子さんは大活躍である。特に終盤近くで、田んぼに害をなそうとするものを止めようとする必死の説得は、フィクションを超えて胸を打つ。酒と米を愛する人でなければこんなセリフは出てこないだろう。
さて、事件の方はというと、こちらもなかなか良くできている。
犯人の不思議な要求の背後にあるものは何か、そして犯人の正体は、というところだ。
種明かしの前に、往年の本格ミステリばりに、「読者への挑戦」なんて言葉が出てくるのも楽しい。
・・・結局、私には最後まで犯人がわからなかったのだがw
悔し紛れというわけでもないが、2つほど、これは少し現実を超えているのではないかと思った点を挙げておく。
・脱法ライス:遺伝子操作によって大麻の成分であるカンナビノイドを米に作らせたもの。理論的・将来的には可能かもしれないが、現実味はやや薄いのではないか。酵母でカンナビノイドの生合成には成功しているようだが、イネはもう一段ハードルが高そう。組換えに成功したとして、生育までが可能か、そしてそれをこっそり栽培するという危ない橋を渡る農家がそういるものかどうかがよくわからない。
・生分解プラスチック製ドローン:農業用ドローンは一部実用化されているようだが、生合成プラスチックのドローンはまだ試作段階ではないか。作中に出てくるレベルで使えるようになるには、まだ年月がかかるのではないかな。それと、生分解にはそれなりの時間がかかるはずで、しかも「跡形もなく」消えるにはまだ少し技術改革が必要ではないだろうか。
とはいえ、フィクションも込みで楽しめる作品である。
著者は、機械系部品メーカーに勤務し、化学系エンジニアとしての経験もあるそうで、おもしろい経歴の人である。
次作を書かれるようなら楽しみに待ちたい。