読み始める前はこの分野の派手な成果を集めたレビューのようなものを期待していたのだが、実際はそうではなく、本書の内容は著者が関わった仕事を主に取り扱っている。そのため、著者のフィールドであろう近畿地方の内容が多く、時代も古代のものが多い。扱う対象も『道』や『ため池』といった地味なものが多い。
だが、面白い。
元がNHKの書籍だから(放送を書籍化したもの??)か、優しく語りかけるような柔らかい書き口と多くの図(100枚を超えるのではないか)で、自分だけのための特別講義を受けているような気分になり非常に読みやすい。
また、ある程度知っている場所の説明には「おおっ!なるほど」と、より親近感を持って読めたので、土地勘があればもっと面白いと感じただろう。
70ページくらいでふと「これはシミュレーションの役割をしてるんだな」と思いつく。
科学の分野でのシミュレーションは既存の知識(実測値、理論式など)を盛り込んで現象の大枠だったり測定できない細かい部分を計算してみるものだが、本書の手法も地図上に現代まで残る痕跡や史跡、現存せずとも史料内に現れる地点や当時のルール・知識を載せて整合性をとることで大きな絵を説得力を持って描いている。
シミュレーションは上手くハマれば断片的データが綺麗に整理されて観測、測定、実験の方向性も示せる(データの内挿・外挿ができるようになる)一方で、パラダイムが変われば(本書で言えば「道の引き方がもっと複雑だったという史料が見つかった」とか)優れた結果であっても一瞬で紙くず(= 計算し直し)になる。そういう部分でも本書手法は似通っているだろう。
第一部、二部は歴史学の内容が濃いが、第三部はグッと地理学寄りの内容になる。
『野』が開拓されずに残る理由を用水の困難さから理解するのは面白い。単純に地図を眺めるだけでは気づきにくい「谷の深さ」に注目している。これに続く ため池の分布についても同じく用水の問題を指摘し、根拠を挙げているのが良い。
三部に入ってすぐに従来の”感覚と雰囲気だけの説明”を否定し、地形に基づいた解釈をしているように、本書の多くの部分は論理的で根拠もあるのだが、二部、三部ともに土地の名前に関する内容はどうも地に足がついていない印象を受けた。
二部の途中から根拠が薄いストーリー偏重の推測が続き、「コレは大丈夫か?言葉の変遷が言語学的に正しいのだろうか(;言語の変化には一定の法則性、似ているようでも全く違う言葉ということもあるらしい)。史料がなくても別分野からの推測に対するクロスチェックが欲しい」とだいぶ心配になった。推論が飛躍し過ぎている感じがしたので別角度からの証拠が欲しく感じた。
意図的に書いていないのかもしれないが、本書には定量的なデータはほとんど無い。それ自体は全く悪いことではないのだが、個人的な癖で、いくつかの図を見ていると面積や距離、角度、長さ、平面分布などを分析してみたい(:定量化して印象通りか確認したい)衝動が湧いてきてムズムズした。
本書の原著は1998年の出版で、そこから一世代分の時間が経とうとしている。著者は原著の出版から程なくして亡くなってしまっているが、本書内で彼が予想した内容はどうなったのだろうか、また歴史地理学という分野はどう発展したのだろうかと続き(?)が気になる内容であった。