稲葉真弓の作品一覧
「稲葉真弓」の「環流」「ガーデン・ガーデン」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
タケノコ処理の描写、かつて祖父母と共に行ったタケノコ掘りを想起させた。当時の私は小学生。タケノコに向き合う様な集中力を有していたかは疑問であったが、少し伸び過ぎた黄緑の竹の間を歩き回り少しだけ盛り上がった土を探す事に躍起になった事実があった。細長い天まで伸びる竹から生える小さな小枝が空の青と馴染んでいた。しかし当時の私は空になんて見向きもしないで、地面だけを見続けていた。タケノコ掘りに来た私にとっては、空にタケノコは生えていないのだから。幾つもある祖父母との思い出の中でも、何故か記憶に強く残り続けるその景色を再び思い出させてくれた。
野生動物が行き交う森を、都会の清潔さや人工的な秩序とは正反対の存在であると言い、グリム童話などの中世の森の扱われ方との比較が行われている。かつて(中世)は自然のシェルターであった森は見る影もない。樹間の暗さ、鳴き続ける動物、湿った土そのものが人間を殺してしまう事もある。日本における森の扱われ方は、愛すべき自然の姿そのものであろう。世界に認められた日本の自然は森の姿であるため、現実世界でも創作の世界でも森というものは手放しに神秘的に描かれる事の方が多いと思う。そして本書もまた自然を描き、その美しさに惚れ惚れする。しかしそれは自然のありのままを描いたものなのだ。良いところも悪いところも描いた本書は信頼できる。
語り手は分譲住宅に住んでいた人に対して、語り手が感じている森の良い姿は、その人にとってまるっきり反対に感じられていたのだろうと考えた。そして、そんな姿は世間的に見ても魅力的とは言い難いもの。しかし、それが良いのだと言う。四方八方どこに続いているかも分からない森が良いと。だが、そんな語り手は大好きな森で白骨死体が見つかった事があると知る。現場を見た語り手はその事実をメモに残さなかった。自分が心底好きな場所においても、好きになれない部分はある。事件があったと知ってから、現場を確認するまでの語り手の心情がひどく切実に伝わってくる。大好きな森を顔も知らない誰かに穢された屈辱、本当にそんな事件が起きたかどうかの疑い、そして恐怖。語り手はその事件を溺れ谷と称した。地盤の低下によって生まれてしまった湾を、語り手は忌々しく思う。当たり前のようにそこに存在した景色が外部からの影響によって変化してしまったから。語り手が好きでいる森を違う存在へと変化させてしまったから。都会でも森でも、溺れ谷が存在してしまうのだな。
数多のカニに思いをはせるシーン。語り手は自身の庭に住み着くカニたちが、今年生まれたばかりのカニなのか数十年生きたカニなのか、或いは数千年前なのか分からなくなっている。コレこそが森や自然の醍醐味というか、抱くべき感想に近いんじゃないかと思う。それが自然か人工かはとりあえずさておき、森を歩くとき私は、その木々や草花が私よりも先輩なのかどうかや、どれくらいの年月をこの地で過ごしてきたのかを考える事がある。動かぬ存在である木に対しては少しだけ抱きにくいかも知れないが、本文のように動いている生き物に対しては考えやすい。大きいなとか元気だなとか見たことない生き物だとか。自分とは全く違う場所で生きてきた生物や自然に思いをはせる時間は嫌いじゃない。
森は無数の顔を持つ。語り手はそのひとつひとつを見せてもらうたび「発見」だと言い、心躍らせた。見た目とは裏腹に高い耐久性を持つ地形、綺麗な水が湧く湿地、無数の咽喉に見える赤い藪椿、そして遠ざかっていく数多の木々が立ち尽くす森。しかしながら彼女はまだまだたくさんの顔を見ることになるだろう。その中の一つに、彼女を出迎えてくれる森の姿があれば良い。
Posted by ブクログ
声が流れていると何も手につかなくなる。いらいらして、誰かを怒鳴りたくなる。でも声が聞こえなくなると、とたんに不安になる。妹の中でなにが壊れ、何を救えなかったのか考えてしまうんです。いまさらこんなことを言うなんて、本当にばかみたいだけど・・・・。ねえ、ありません?足元に割目が走るような気分。
うまく言えないけど、私だって、ときどきは、ありますよ、いきなりもういやになること。理由なんかないですよ。突然、自分の中からこれまで知らなかった自分が起き上って勝手に歩き出しそうになること。そういうの、変ですかね。
長くそこにいれば、踏みしめられて固まる場所と、少しずつ崩れていく場所がある。果物の皮の破れが、見る間に腐蝕を広げるように、人にも一点の染みが勢いづき、足元から黒々と広がっていく時があるのかもしれない。濁りが、美しく見える時だってあるだろう。
私の脳裏を、これまで他人ごとだと思っていた失踪という言葉と、これも他人ごとだと思っていた失踪者たちの話が現実味を帯びて、いくつも通りすぎていった。
「でもね、見せたくないものはあるわ。私、お腹と足の裏だけは人に見せるのはいや」
またからかうような笑いがあり、やや大きな耳が耳をかすめる。「大丈夫、女は絶対にこういう場所は選ばない。大の字になる場所を無意識に決めているのよ」
大の字でもいいのにと、見知らぬ女の声に意識の一部が反応する。
「ああ、あなた、ザクロと言えば鬼子母神です。子の肉を食べたがる女の話。女だけではない、親は、みんな子の肉を食べるんです」
みな私の知らない顔、秘密を隠した植物ばかりだった。ローズマリーは死者の墓標に飾られる花、ゲンノショウコは不老草、オキナグサは強心剤、可愛らしいキク科のカミツレは強壮剤。萓草の項では視線が止まったまま動かなかった。あの可憐な花に、強力な解毒作用があり、飲むと突然酔っぱらい、なにもかもを忘れてしまうというのである。それで萓草はワスレグサと読み、忘憂とも称すると小さな文字は告げていた。
私は草の秘密を次々にあばいていく。同時に、自分の体が湯の中で吸ったであろう草の効用について考える。
ある日の私は、パリの場末のカフェの木のテーブルに刻まれた、美しい文字を見ていた。「1944/8」。若い革命家たちのたまり場だったというそのカフェの、パリ解放のときの記念の文字だが、刻んだ人はわからない。モノクロの写真の中から浮かび上がるものに、温度を感じるのはこういうときだ。私はうっとりと文字を見ている。うらぶれたカフェを通りすぎた時間が、そのテーブルに座った人に「生きよ、闘え」という声を運んでくるのが聞こえるような気がするのだ。
「ここを、人と歩くのは初めてです」とセンセイは前を見ながら言った。「人と一緒に歩いてみるとわかりますが、ひとりではたくさんは歩けないものです」
「あの猥雑さ、汗のにおい、どこから来て、どういう職業なのかわからない人たち。競艇場もそうです。これまで一度も足を向けたことはなかった。私には禁欲や秩序だけが大事だったんです。橋はね、そういう私にとって、曖昧さのない唯一のものだった。でも、今は違います。妙なもので、一度裸になるとずっと裸でいたくなる。人の体はね、いろいろなものを、例えば家系や学歴や職業、財産の額や経歴をやたらくっつけて歩きたい欲張りな箱なんです。私もずっとそうだった。私はそういう箱に息子を飲み込んでしまった親なんです」
「これから先は、一緒に散歩のできない場所。ああ、それから、今日の散歩が迷惑でなかったら、一度河口に行ってみて下さい。いいことがあるかもしれない」