あらすじ
「海松」を超えた、究極の「半島物語」。東京を離れ、志摩半島を望む町で暮らし始めた中年女性。孤独な暮らしのなか、彼女がそこで見つめたものは? 川端賞受賞作「海松」を超えた、究極の「半島物語」。谷崎潤一郎賞、中日文化賞、親鸞賞受賞作!
その春、「私」は半島に来た。森と海のそば、美しい「休暇」を過ごすつもりで――。たったひとりで、もう一度、人生を始めるために――。川端賞受賞の名作「海松(みる)」を超えた、究極の「半島小説」
顔を上げると、樹間で朝を待つものたちの気配がした。たぶんメジロやウグイス。どこに巣があるのかわからないが、葉擦れや枝のこすれとは違う音がする。寝覚めの脳に届いたのは身じろぎする鳥たちの気配だったのかもしれない。やがて、森のあちこちに青みを帯びた筋が差しこむ。樹間に広がる光の筋は、やがて明るい金色を帯びていった。途端に森の奥から、鳥の声がにぎやかに聞えてきた。なかに「リッカ、リッカ、ピイィ」と鳴く鳥がいる。そういえば、今日は立夏。東京から半島にきて、もう一ヵ月がたっていた。――<本文より>
第47回谷崎潤一郎賞受賞作
解説・木村朗子
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
タケノコ処理の描写、かつて祖父母と共に行ったタケノコ掘りを想起させた。当時の私は小学生。タケノコに向き合う様な集中力を有していたかは疑問であったが、少し伸び過ぎた黄緑の竹の間を歩き回り少しだけ盛り上がった土を探す事に躍起になった事実があった。細長い天まで伸びる竹から生える小さな小枝が空の青と馴染んでいた。しかし当時の私は空になんて見向きもしないで、地面だけを見続けていた。タケノコ掘りに来た私にとっては、空にタケノコは生えていないのだから。幾つもある祖父母との思い出の中でも、何故か記憶に強く残り続けるその景色を再び思い出させてくれた。
野生動物が行き交う森を、都会の清潔さや人工的な秩序とは正反対の存在であると言い、グリム童話などの中世の森の扱われ方との比較が行われている。かつて(中世)は自然のシェルターであった森は見る影もない。樹間の暗さ、鳴き続ける動物、湿った土そのものが人間を殺してしまう事もある。日本における森の扱われ方は、愛すべき自然の姿そのものであろう。世界に認められた日本の自然は森の姿であるため、現実世界でも創作の世界でも森というものは手放しに神秘的に描かれる事の方が多いと思う。そして本書もまた自然を描き、その美しさに惚れ惚れする。しかしそれは自然のありのままを描いたものなのだ。良いところも悪いところも描いた本書は信頼できる。
語り手は分譲住宅に住んでいた人に対して、語り手が感じている森の良い姿は、その人にとってまるっきり反対に感じられていたのだろうと考えた。そして、そんな姿は世間的に見ても魅力的とは言い難いもの。しかし、それが良いのだと言う。四方八方どこに続いているかも分からない森が良いと。だが、そんな語り手は大好きな森で白骨死体が見つかった事があると知る。現場を見た語り手はその事実をメモに残さなかった。自分が心底好きな場所においても、好きになれない部分はある。事件があったと知ってから、現場を確認するまでの語り手の心情がひどく切実に伝わってくる。大好きな森を顔も知らない誰かに穢された屈辱、本当にそんな事件が起きたかどうかの疑い、そして恐怖。語り手はその事件を溺れ谷と称した。地盤の低下によって生まれてしまった湾を、語り手は忌々しく思う。当たり前のようにそこに存在した景色が外部からの影響によって変化してしまったから。語り手が好きでいる森を違う存在へと変化させてしまったから。都会でも森でも、溺れ谷が存在してしまうのだな。
数多のカニに思いをはせるシーン。語り手は自身の庭に住み着くカニたちが、今年生まれたばかりのカニなのか数十年生きたカニなのか、或いは数千年前なのか分からなくなっている。コレこそが森や自然の醍醐味というか、抱くべき感想に近いんじゃないかと思う。それが自然か人工かはとりあえずさておき、森を歩くとき私は、その木々や草花が私よりも先輩なのかどうかや、どれくらいの年月をこの地で過ごしてきたのかを考える事がある。動かぬ存在である木に対しては少しだけ抱きにくいかも知れないが、本文のように動いている生き物に対しては考えやすい。大きいなとか元気だなとか見たことない生き物だとか。自分とは全く違う場所で生きてきた生物や自然に思いをはせる時間は嫌いじゃない。
森は無数の顔を持つ。語り手はそのひとつひとつを見せてもらうたび「発見」だと言い、心躍らせた。見た目とは裏腹に高い耐久性を持つ地形、綺麗な水が湧く湿地、無数の咽喉に見える赤い藪椿、そして遠ざかっていく数多の木々が立ち尽くす森。しかしながら彼女はまだまだたくさんの顔を見ることになるだろう。その中の一つに、彼女を出迎えてくれる森の姿があれば良い。
Posted by ブクログ
節季ごとに、自然の営みを観察し、それらに抱かれ、揺られながら、志摩での生活を描いている。なんとも言えない普通の日常が、特に盛り上がりもなく描かれているので、ゆっくりとしたうねりのような自然のリズムと一体感のある作品だと感じた。