700ページ以上ある分厚い本だが、「遺伝子組み換え食品のリスク」について、本当に危険性があるのか、自分なりに決着をつけたかった。
前置きして〝著者の結論“を述べると、遺伝子組み換え食品は、そもそも商品化されるべきではなく、早く廃絶されるべきである。安全であることを示す本物の証拠もないし、組み換え食品のうちの何種類かは安全でなさそうだというかなりの数の証拠がある。それらがつくられる過程にも本質的にリスクがある。遺伝子組み換え食品は、目に余る食品安全法令違反によって商品化された、という事だ。本書は、この立場で挙証していく。
尚、私が改めて確認した所、日本では、遺伝子組換え食品に対する表示が大豆やトウモロコシなど8種類の農産物と、それらを原材料とする33種類の加工食品で義務化されている。モンサント(今はバイエルという会社)の遺伝子組み換え種子は、商業栽培の規制により用いられず、日本で遺伝子組み換え農産物を商業生産することはない。試験生産やバイエルの農薬は用いられる。23年からは表示義務は任意部分がやや厳格化された。輸入肉など、飼料に使われる場合は表示されない。
一部のインフルエンサー?が、遺伝子組み換えなど、自然発生もするのだから問題ないみたいに言っていたようだが、当然、変異は自然に起こる。しかし、突然変異はその種の一個体のみであり、大規模な環境要因でなければガン細胞のように淘汰されるが、遺伝子操作したものは人為的にそのエリアの種全体に及ぶため、リスクの度合いが異なる。
では、リスクとは何かだ。訳者が「バイオ村」と呼ぶほどの利権や政治的な構造がそこにはある。それを紹介すると長くなるので、というのと誤解を招きそうなので詳細は省く。リスクは、生態系に対するものと、人体に対するもの、それと特定の農薬しか使えないジレットモデルのような食料自給破壊にある、と言えるだろうか。で、気になるのは人体に関してだが、マウスの実験などで一部問題が浮き彫りになっているものもあるようだが、この問題の本質は、安全性評価の不在や妥当性にあり、つまり、不透明だという事だ。
だからだろう。不透明だが、今のところ目立って問題は起きてないし、遺伝子変異なんて日常の自然現象だから、雰囲気だけで怖がってんじゃねーよ、みたいな人が出てくるのだ。極論の反作用としての極論が生まれる構造は、不透明さと相手を見下した態度に生じる。
そんな対立は実際はどうでも良い。問題は、喧嘩の目的を失っている事。なんのために、遺伝子組み換えるんだっけ?だ。本書に、悲しいお知らせがある。ネグロスとはフィリピンの島の事だ。もしかすると、この事実だけでQEDかも知れない。
ー 強力な除草剤(グリホサート)が軽飛行機で大量に散布され、健康被害や環境汚染が深刻だ。またモンサントやデュポンの二社が種子市場を席巻したため、種子価格が高騰し、途上国の農民を苦しめている。ネグロスでも借金苦で経営破たんする農家の問題が報告された。さらに除草剤に耐性を持つ雑草の増加により、農薬の使用量や使用回数の増加、より毒性の強い農薬の使用という問題がネグロスでも議論になった。