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イスラム教では、万物を創造し世界を支配する唯一絶対の神のことを「アッラー」と呼ぶ。その語源はアラビア語で「神」を意味する「イラーフ」に、定冠詞「アル」をつけた「アル・イラーフ」が同化した結果、「アッラー」になったといわれている。つまり「イラーフ」→「アル・イラーフ」→「アッラー」と変化し
...続きを読むたわけだ。
また、アッラーは善悪により人間を裁く。不信心者や悪人は罰せられるが、罪を悔い改め、償いをする者には情け深い赦しが与えられる。正しい行ないをする信徒には恩恵をもたらす義の神なのである。
偉大な神、アッラーは物資的な存在ではないため、信徒であってもその姿を見たり想像したりすることはできない。 色も形もなく、男女の性別を超え、親も子も親戚もない。動いたり止まったりもしない。上か下か、右か左か、内か外かといった空間の概念にとらわれることもない。さらに過去・現在・未来という時間の流れすら超越している。始まりも終わりもない永遠の存在であり、飲食や睡眠などをとることもない。
イスラム世界に生きる女性は、「制約が多くて気の毒だ」「男性優位の社会で差別されている」などと同情されがちだ。たしかに、イスラムの慣習のなかには、女性蔑視と解釈されかねないものがいくつも存在している。 たとえば、男性は一夫多妻制が認められ、キリスト教やユダヤ教を信仰する女性と結婚できるのに対し、女性はムスリム以外の男性とは結婚できない。しかも婚前交渉や不倫が発覚したムスリム女性は、公衆の面前で処刑されるケースがある。
さらに、ベールで身体を覆うような服装を義務づけられる、女性は男性より少ない額しか遺産相続できないなど、日本人の感覚からすると、ムスリム女性は多くの制約が課され、不自由な生活を 強いられているという印象が拭えない。
国によっては、よりはっきりした差別的習慣が見受けられる。サウジアラビアでは女性が自動車を運転することも認められておらず、違反するとムチ打ちの刑に処せられる。これについてはサウジ国内でも、さすがに女性蔑視だろうという論議が起こっている。クウェートでは、二〇〇六年まで女性の選挙権が認められていなかった。
こうしたことからムスリム女性は抑圧されているとの批判が出るのだが、そうした考え方自体が、西洋世界の一方的な見方だとする反論もある。 そもそも『コーラン』には「男女とも自由で平等である」と書かれており、詳細に見ていくと、その教えにおいては女性の権利を 蔑ろにしているわけではないということがわかる。たとえば、一夫多妻制は女性を保護するためのものだといわれている。ベールの着用にしても、日よけや砂よけの機能をもつアラビア砂漠の人々の風習を取り入れたものとされる。エジプトやトルコなどでは女性の服装規定はない。 また、結婚前のみならず、結婚後も完全な経済的独立が与えられている。女性は自分名義の財産を所有でき、夫の同意を得なくとも自由に使うことが許される。フランスの女性が一九三八年になるまで財産を自由に処理する権利を認められなかったのと比較すると、ずっと先を行っている。夫が生活費や家計のために支出することを求められるのとは対照的だ。
さらに、近年のイスラム世界では女性の社会進出が目立っている。世界最多のムスリム人口を有するインドネシアでは、二〇〇一年に女性のメガワティ大統領が就任。二番目にムスリムが多いパキスタンでも、一九八八年に女性のブット首相が誕生している。いまだに女性宰相のいない日本やアメリカに比して、女性の社会進出はイスラム世界のほうが進んでいるといえるくらいである。
「イスラム=悪」という誤ったイメージ
スンニ派は「慣習」を表す「スンナ」から、ムハンマドの慣行、イスラム共同体の合意に従う民という意味で名づけられた。一方、シーア派はもともと「アリーの党派」と呼ばれていたが、やがて「党派」「派閥」を意味する「シーア」だけが残り、現在のシーア派という言葉が定着した。
スンニ派は圧倒的多数派だけあって、現実主義的で極端を嫌い、共同体の団結や秩序を重視する傾向が強い。神学派・法学派がいくつかあるものの、分裂せずにスンニ派としてまとまっている。分布は中東・アフリカ・アジア全域に広がっている。 一方、シーア派はアリーの子孫の誰を指導者(イマーム)にするかでさらに 揉め、いくつもの分派が生まれた。中心的存在はシーア派全体の九割を占める「十二イマーム派」で、イランやイラクなどに分布している。そのほか、イエメンに分布する「ザイド派」、パキスタやインドなどに分布する「イスマーイール派」などがある。
紛争の対立軸のようにみなされる両派だが、イスラム世界の一般市民はとくにこだわらず共存している。両派の違いは、礼拝のやり方や細かい規定などにすぎない。
そもそもイスラム法とは、イスラムの教えに基づく法律のことを意味する。人間は未熟で弱く、間違いを犯しやすい。そこでアッラー(神)が人間に啓示(命令)を下し、社会秩序が守られるようにした。啓示の内容は『コーラン』にまとめられているが、解釈の仕方は一様ではないため、イスラム法学者が『コーラン』の規定を選出し、社会生活に適用すべき規範をつくった。そうして成立したのがイスラム法である。
イスラム世界には、古くから身体に苦痛や損傷を与える身体刑がある。強盗犯が手足を切断されたり、不倫をした男女が石打ち刑になったりと、日本人の感覚からすると相当に残酷で厳しい刑罰が行なわれてきた。現在ではそうした刑罰を科す国は少なくなっているが、いまだに実施し続けている国もある。
たとえばサウジアラビアでは、強盗・殺人・姦通・麻薬などの罪を犯すと斬首刑となる。公共の広場で大勢の人々が見ている前で、公認の処刑人に剣で首を 刎 ねられるのだ。また、 磔 にされ、最長四日間そのままにされる刑罰もある。
イランの場合、既婚者が不貞行為をはたらくと石打ち刑が科される。男性は腰まで、女性は胸まで土に埋めた状態にして、裁判所の命令を受けた民兵や警察官が死ぬまで石を投げつける。 また、二〇一四年には、自宅で犬を飼ったり公共の場で散歩させたりすると、むち打ち七四回の刑に処すという法案が提出された。
ハッド刑の主な罪状と刑罰は、次のようになっている。 ・飲酒……むち打ち刑 ・窃盗……初犯は右手首、二回目は左足首、三回目は左手首、四回目は右足首の切断刑、もしくは 磔刑 ・姦通……既婚者は石打ち刑による死刑、未婚者はむち打ち刑ののちに追放
トルコ同様、東南アジアのインドネシアも世俗主義をとっている。世界一のムリスム人口を誇る国だが、政教分離を旨とした民主主義が定着している。 しかし、ムスリムが世俗主義を完全に受け入れることはできないともいわれる。イスラム教では、アッラーは絶対的な存在、万物の創造主であり、この世はアッラーの全面的支配下にあると考える。そのため、神から離れて生きていこうとする世俗主義は、ある程度は受け入れられるとしても、完全に受け入れることは不可能なのだ。
現在の中東情勢を理解するうえで欠かせないのが、スンニ派とシーア派の宗派対立である。全ムスリムの約九割を占める多数派のスンニ派と、約一割しかいない少数派のシーア派。この二つの宗派が、中東各地で対立軸になっているのだ。 イスラム教の教義上では、スンニ派もシーア派もそれほど大きな違いはない( 参照)。庶民レベルでは、かつては対立することなく共存していたという地域が大半だ。それでは何が深刻な宗派対立をもたらしたのかというと、原因の一つはヨーロッパの列強にある。
第一次世界大戦後、イギリスとフランスはオスマン帝国の領土に勝手に境界線を引き新たな国をつくったため、個々の民族・宗教集団が分裂してしまった。さらに英仏は、植民地統治において特定の民族・宗派集団を優遇するなどしたため、政治的・経済的に力をもつ側と、もたざる側とに二分され、次第に対立が深まっていった。 つまり、スンニ派とシーア派の宗派対立は宗教的理由からではなく、政治的・経済的理由から生じたものといえるのである。
繰り返すが、スンニ派とシーア派は本来は仲が悪いわけではない。政治権力を利用した差別や抑圧が、対立を生む原因となっているのである。
ここで一つの疑問が浮かぶ。なぜアメリカは中東情勢に介入したがるのか。どのような目的で遠く離れた中東地域にまで戦闘をしに行くのか――。その理由は主に三つあると考えられている。 まず一つ目は、アメリカは民主主義を固く信じ、それを拡大することが正義だと考えているからだ。たとえばイラク戦争は、「イラクを民主主義国家にする」ということを名目の一つに行なわれ、独裁者フセイン大統領を失脚させている。
いずれも、アメリカと〝持ちつ持たれつ〟の相互依存関係といえる。 だが近年、アメリカは軍事的・経済的に大幅に力を落としており、これまでと同じような中東政策をとり続けるのは難しくなりつつある。さらに二〇一三年、オバマ大統領は、長年掲げてきた「世界の警察」の看板を降ろしてしまった。
すでにサウジアラビアは、アメリカ離れが進んでいるといわれている。エジプトも同様で、ロシアや中国と接近する動きをみせている。アメリカによって維持されてきた中東の秩序が崩れ始めたのだ。
イスラム経済の基盤は、やはり中東の石油や天然ガスということになるだろう。中東には世界の原油埋蔵量の六割以上、天然ガス埋蔵量の約四割が眠っているといわれる。その莫大な埋蔵量が経済成長の原動力となっているのである。 中東で石油や天然ガスが豊富な国としては、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、クウェート、イラン、イラク、カタール、リビア、アルジェリアなどがあげられる。とくにサウジアラビアは世界一の石油生産量を誇り、イランは天然ガス生産量の世界三位、カタールはイランに次ぐ世界四位にランクされる。
ただし中東は人口の差が国によって大きいため、各国の経済水準をはかるには石油や天然ガスの生産量と人口を照らし合わせて考える必要がある。つまり資源が多く、人口が少ない国ほど、一人当たりの所得水準が高い富裕国といえるわけだ。 その結果、最高レベルの富裕国に位置づけられるのは、カタール、UAE、クウェートなどの小国となる。これらの国々は石油や天然ガスの生産量は膨大で、人口は極端に少ないという共通点をもつ。人口約二三五万人のカタールは近年、天然ガスの輸出量増大によって急成長。二〇一四年の一人当たりのGDP(国民総生産)は九万三七一四ドルと、いまや日本やアメリカのはるか上をいく金満国だ。 サウジアラビアは、世界一の産油国でありながら人口が二六〇〇万人以上と多いため、一人当たりのGDPは二万四六八九ドルと、カタールに比べてかなり低い。それでも石油利権を握っている王族は、十分に豊かな生活を享受しているのだ。
中東以外のイスラム圏にも、資源に恵まれた国がある。たとえば東南アジアではインドネシアやマレーシアが、エジプト以上の天然ガスを生産している。 西アフリカのナイジェリアも豊富な石油生産量を誇り、商都ラゴスは石油の恩恵…
このようにイスラム圏で経済が好調な国では、石油や天然ガスを基盤にしている国が主流となっている。しかし資源に恵まれていなくとも、目覚ましい成長を遂げている国がある。その代表格がトルコだ。 アジアとヨーロッパの接点に位置するトルコは、日本の約二倍の面積を有するが、その広大な国土からは石油も天然ガスもほとんど産出しない。人口は七六六九万人と、中東ではエジプト、イランに次ぐ規模を誇る。 しかしトルコでは、自動車や電気製品などの製造業が発展しており、トルコに生産拠点を置く欧米や日本のメーカーも多い。トルコは資源に頼らず、製造業を基盤に経済を成長させているのである。ちなみに、国全体の経済規模で比較すると、トルコとサウジアラビアが中東の二大経済大国となるが、トルコのGDPは八二二一億ドルで、サウジアラビアの七四八四億ドルを上回っている。 これまでは石油や天然ガスの有無がその国の経済状況を決めてきたが、近年はその法則が必ずしも当てはまらなくなってきているのである。
中東には、世界の富豪ランキングで上位にランクされるような大富豪が数多く存在する。最も有名なのが、サウジアラビアのアルワリード王子だろう。オイルマネーではなく投資によって一代で資産をなした人物で、アメリカの伝説的な投資家ウォーレン・バフェットになぞらえ、「アラビアのバフェット」とも呼ばれる。
なぜ豚肉が禁じられているのかというと、聖典『コーラン』に「死肉・血・豚肉、そしてアッラー以外の神に捧げられたものは食べてはならない」と二度も繰り返し書かれているからである。豚肉を禁じている理由は、寄生虫がつきやすく、十分に加熱せずに食べると危険だからともいわれるが、真相はわからない。『コーラン』が禁じているから、ムスリムは従わないわけにはいかないのだ(『旧約聖書』には「ヒヅメが完全に分かれていない、もしくは 反芻 しない動物は食べてはいけない」とある)。
ハラルとは「許されたもの」「合法のもの」を意味するアラビア語で、食品に限らずあらゆる分野においてイスラムの教えに従っていることを示す。逆に、「許されないもの」「非合法のもの」を「ハラム」という。 ハラルの商品には「HALAL」というマークがついている。またムスリムの多い国では食料品店や飲食店に対して、ハラルの証明書の取得と表示を義務づけているため、ムスリムは安心して食事ができるというわけだ。
西洋風のファッションに馴染んだ日本人の目からすると、いずれも堅苦しく地味な印象の衣装だが、自宅に戻ったり女性だけの場に入ったりすれば、女性はアバーヤなどの上着を脱ぎ、色彩豊かで伝統的な柄のワンピースですごすことが多い。
頭には「クッバ」という縁なし帽子をかぶり、正方形で薄手のスカーフ「ゴトラ」を三角形に折って頭部に載せ、「イカール」という輪で留める。
こうしたイスラムの衣装には宗教的な意味合いだけでなく、灼熱地帯の強烈な日射しから肌を守り、 砂塵 にも対処できるという実用的な側面もある。
飲酒が禁止されているため、食後は砂糖をたっぷり入れたコーヒーや紅茶を飲む。菓子類も種類が豊富で、男性も甘い焼き菓子などに舌鼓を打つ。イスラム圏に甘いお菓子が多いのは、酒を飲まない反動だともいわれてる。
キリスト教に教会、仏教にお寺があるように、イスラム教にもモスクと呼ばれる宗教施設が存在する。モスクとはイスラム教の礼拝所のことで、ムスリムたちはここに集まり、みなで一緒に神へ祈りを捧げる。
モスクの内部で注目すべきは、神や預言者を象徴するような絵画や像がいっさい存在しないこと。イスラムの教えでは偶像崇拝が禁止されているから当然だが、祭壇もなく、唯一モスクに必須とされているのは、メッカの方角を示すミフラーブといわれる壁のアーチ状の窪みくらいだろうか。 モスクは礼拝所としてだけでなく、役所や裁判所、講義が催される教育の場としても機能する。さらに礼拝に集まるムスリム男性の情報交換の場としても活用される。モスクは宗教施設という枠を超えた、ムスリムにとって欠かせない存在なのである。
一つは幾何学紋様。通常は直線と曲線を巧みに組み合わせてつくるが、イスラム圏においては同一または多様な図形が縦・横・斜め・放射線状と、無数のパターンで作図される。早くから数学が発達していたイスラムらしいモチーフだ。
そのほか、陶器・ガラス器・金属器・皮革品といった宗教性のない工芸品にも、精微な装飾が施されている。イスラムのアートは〝装飾ありき〟なのである。
イスラム圏には独裁政権の国が多数あり、メディアは検閲されることが多い。しかし、グローバル経済下での成長を考えると、情報の流れを統制することは難しく、中東などでは積極的な情報化推進政策をとる国が増えてきている。ただし、完全に解禁されているわけではない。国ごとに程度や内容に差があるものの、やはり規制を行なっているのが現状だ。 その代表例が特定サイトへのアクセス禁止。アダルト、同性愛などを扱うサイトは、ほとんど遮断されてしまう。イスラエルや反体制運動などに関するサイトも規制対象になりやすい。
日本ではイスラム圏の映画や音楽には馴染みが薄いが、実際にはイスラム諸国でも多数の映画・音楽作品が制作されている。そうした作品からは、日本人が知らないイスラム世界の姿を垣間見ることができる。まず映画からみていこう。
エジプトやイラン以外にも、国際的に高い評価を得ているムスリムの映画監督は多く存在する。 最も注目すべきは、チュニジア出身の名匠アブデラティフ・ケシシュだ。チュニジアからフランスに移住し、クスクス料理店を開業した家族の騒動を描いた『クスクス粒の秘密』(〇七)、若い女性同士の情熱的な恋愛を大胆かつ生き生きと描き、二〇一三年のカンヌ映画祭でパルム・ドールを獲得した『アデル、ブルーは熱い色』。どちらも 珠玉 の名作である。ちなみに、カンヌ映画祭は翌一四年のパルム・ドールも、トルコの監督ヌリ・ビルゲ・ジェイランの作品『雪の 轍』(一四)に授与しており、すっかりイスラム映画づいている。
日本人がイスラム圏を訪れると、親日家が非常に多いことに驚かされるだろう。中東を旅行すると現地のムスリムが気軽に話しかけてくれたり、道案内してくれたりすることが多々ある。インドネシアやマレーシアにも、日本文化に憧れる人がたくさんいる。
日本には「イスラム圏=アラブ=中東」とイメージしている人が多いが、それは正しくない。イスラム圏とアラブ・中東はイコールで結ばれる関係ではないのだ。 たしかにイスラム教は、中東でアラブ人のムハンマドによって誕生した宗教である。しかし現在では、イスラム教は東は中国から西はヨーロッパ、アフリカにまで広がっている。世界最大のムスリム人口を抱えているのはインドネシア。中東でもアラブでもなく、東南アジアの国である( 参照図1・参照図2)。
日本人は「おもてなし」の精神を誇りとしているが、ムスリムも客人をもてなすことにかけては日本人に勝るとも劣らない。『コーラン』に「孤児、貧乏人、見知らぬ人たち、旅行者などには親切にするように」と書かれており、もてなしが当たり前のこととなっているのだ。 ムスリムはそれほど深い仲ではなくとも、友人知人を家に招待する。利害関係にかかわらず、食事をごちそうするからと自宅に招く。自宅でともに食事をすることは、親交を深める大切な儀式と認識されているのだ。招かれた側もそのもてなしの心を受けることが礼儀となる。
酒類を飲むことは、豚肉と並んで最も有名なタブーだ。日本の 神道 では酒は神に捧げる清浄な飲み物と考えられているが、イスラム教では『コーラン』の記述を根拠に飲酒が禁止されている。『コーラン』には「酒と 賭博 と偶像神と占いはいずれも悪魔の業であり、心して避けねばならない」と書かれているのだ。ただし、この禁止事項に関する厳密さは国によって大きく異なる。
イスラム法(シャリーア)を厳格に適用しているサウジアラビアやイランでは完全にNG。ムスリムも非ムスリムも酒類の売買は禁止されており、持ち込もうとすると空港の税関で没収される。ウイスキーボンボンのようなアルコールを少しだけ使用した菓子でさえ許されない。クウェートも飲酒は全面禁止。パキスタンやマレーシアは、国内のムスリムに限って飲酒を禁じている。
一夫多妻制は、男性の財力に加え、体力も十分備えていなければ維持することができない。そのため現在は、複数の妻を娶るのはサウジアラビアの王族や地方の部族長などごく少数に限られる。ほどんどの国において一夫多妻制家族の割合は一〇%未満で、逆にトルコやチュニジアのように、一夫多妻制を禁止している国もある。
イスラム圏の国々の国旗を見ると、いくつかの特徴に気づくはずだ。 第一に、月と星があしらわれたデザインが多いこと。トルコ、チュニジア、アルジェリア、パキスタン、アゼルバイジャン、マレーシア、モルディブなどの国旗に月と星のマークが使用されている。
太陽ではなく月と星を選ぶ理由は、イスラム教が興った中東の気候・風土を考えるとよくわかる。中東の砂漠において、昼間の太陽は暑さで人間を死に至らしめるほど過酷なもの。一方、夜に月と星が出現すると暑さも落ち着き、すごしやすくなる。そこから、月と星は安心感や平和の象徴とみなされるようになったのだ。
月が満月でなく三日月なのは、新月を表そうとする意図がある。ヒジュラ暦の一ヵ月は新月から新月までになっているため、新月がイスラムの象徴とされる。 第二に、緑色を使用している国旗が多い。サウジアラビア、イラン、リビア、バングラデシュなど。これは、預言者ムハンマドのターバンが緑であったことにちなんでいる。 また、砂漠では緑色は貴重な植物をイメージさせるため、特別視されていることも関係している。 第三に、白・黒・赤・緑の四色を用いた国旗も多い。エジプト、アラブ首長国連邦(UAE)、クウェート、スーダン、イエメンなどがこのタイプの国旗だ。これは、「アラブ統一旗」と呼ばれる旗をもとにしたもの。 アラブ統一旗とは、二〇世紀初頭にアラブ諸国が団結してオスマン帝国に対抗した際につくられた旗である。白は平和や希望を表し、黒と赤は戦いと流された血を示すともいわれている。
Posted by ブクログ
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幅広いネットワークを生かして、国内外を問わずあらゆる情報を収集し、独自の切り口で書籍を制作する企画編集組織。スパイスのきいた視点には定評があり、生活に根づいた役立ち情報から、経済・地理・歴史・科学といった教養雑学まで、その領域は広い。主な著書に、『世界の宗教地図 わかる!
...続きを読む読み方』 『世界の紛争地図 すごい読み方』 『おもしろ雑学 日本地図のすごい読み方』 『おもしろ雑学 世界地図のすごい読み方』 『おもしろ雑学 日本の歴史地図』 『おもしろ雑学 世界の歴史地図』 『関東と関西 ここまで違う!おもしろ雑学』 (以上、三笠書房《知的生きかた文庫》)などがある。
民族の人口が多いと、その勢力、居住する国の国力を高めるのに役立つ。その意味で世界に君臨するのが 中国の漢民族(漢族) だ。中国の人口はインドに抜かれつつあるが2022年時点では世界最多であり、その9割以上を漢民族が占めている。
ソ連邦時代に比べて面積が格段に小さくなったとはいえ、ロシアはヨーロッパからアジアまで、東西で1万キロを超える広大な国土を誇る。 民族としては、国民の 80%以上をスラブ人が占めているが、100とも200ともいわれる少数民族を抱える多民族国家だ。スラブ人の多くがロシア正教を信仰する一方、南部のトルコ系、東部のモンゴル系などの少数民族はイスラム教を信じている。
一方で、ロシア人は考え方などにアジア的な側面があるともいわれる。やはりヨーロッパとアジアのハイブリッドというのが、ロシア人に対する適切な見方といえるかもしれない。
イランと聞いてまず浮かぶのは、中東の大国、そして厳格なイスラム教の国というイメージだろう。それだけに「民族的にはアラブ人」と思いがちだが、実は違う。 そもそも中東にはユダヤ人が建国したイスラエルもあるし、イスラム教徒のトルコ人が多数を占めるトルコのような国もある。 中東の人がみなアラブ人ではなく、「イスラム教徒=アラブ人」とも限らないのだ。 それでは、 イラン人とは何民族かといえば、主にペルシア人である。
ペルシア人は非常に誇り高い民族とされている。 その根底にあるのは、「世界最古の帝国」といわれるアケメネス朝ペルシア に始まる長い栄華の歴史である。 もともとペルシア人は騎馬民族だった。ペルシアの語源は、「騎馬者」をあらわす「パールス」といわれている。そのペルシア人によってアケメネス朝が建てられたのは、紀元前6世紀のことであった。
ペルシア独自の高度な文化は、文学、思想、建築、美術工芸、音楽など幅広い分野に見ることができる。 たとえば世界遺産のペルセポリスはアケメネス朝の聖都。中東三大遺跡のひとつに数えられ、壮大な建築群や浮き彫りなどが往時の栄華を伝える。
多様性の時代といわれながらも、日本では代々日本に住み、いわゆる「肌色で黒い直毛が日本人」との考え方が根深い。「日本国籍をもつ日本人」と「民族としての日本人」の区別もあいまいで、意識していない人も多いだろう。 民族としての日本人は、「大和人」や「和人」とも呼ばれ、ルーツは4万年ほど前にほかの大陸から渡ってきた人々とされる。 ユーラシア大陸から陸続きだった樺太を経て北海道に至った人々、朝鮮半島から渡った人々、中国南部から沖縄の島々を経て北上した人々がいたと見られている。彼らが各地に散らばり、約1万6000年前に始まる 縄文時代 を担った。
日本は決して単一民族の国ではない。その最たる例がアイヌである。しかし、国会でアイヌを先住民族とすることを求める決議がされたのは2008年だ。
インドで1年間に製作される映画の本数は2000本近くにおよび、その数はアメリカの約3倍にも上る。 いまや インド映画は製作本数、観客動員数ともに世界トップに君臨しているのだ。
2022年 10 月、イギリスでリシ・スナク首相が誕生した。イギリス初のインド系首相である。 妻の父親ナラヤナ・ムルティは世界有数のIT企業インフォシスの共同創業者で、「インドのビル・ゲイツ」 とまで呼ばれる人物。娘が生まれた翌年にガレージで起業し、あっという間にグローバル企業に躍進させ、巨万の富を得た。
世界最難関といわれるインド工科大学(IIT)だ。 IITの卒業生の中には、卒業後にアメリカに渡って大学院に進み、シリコンバレーで活躍して有力企業のCEO(最高経営責任者)にまで上り詰めるケースも目立つ。
インドはすでにIT大国であり、特にソフトウェアは主要産業に育っている。 数学に強く優秀な理系技術者が育ちやすいといわれ、多言語社会のなかでキャリアに必須とされる英語力が高いことも人材育成に有利に作用している。 実は、優れたITエンジニアが数多く生まれる背景には、ヒンドゥー教のカースト制度があるといわれている。カースト制度は聖職者バラモン、貴族・戦士のクシャトリアなど4つの身分のほかに、職業が数千種類にも細分化されている。それらは世襲であるため、どの職業につくかに本人の選択の余地はない。つまり、生まれたときから将来の仕事が決まってしまっていることになる。 ところが、 ITは新しい業界ゆえにカーストの規定がない。 職業の分類がなされた時代には想像すらつかなかった業界だからだ。そこでインドの人々、特に下位の人々は懸命に勉強して、IT業界で成功をつかもうとしているのである。 また、国外にチャンスを見出そうとする人が多いのも特徴のひとつといえる。
実は、金貸しや商売などはキリスト教徒にさげすまれる職業であった。しかし、ユダヤ人は農地の所有すら許されなかったため、そうした〝卑しい〟職業につくほかなかったのだ。また、キリスト教が清貧を説き、蓄財に否定的だったのに対し、 迫害され続けたユダヤ人が金銭と財産の価値を認めていた という違いもある。 勤勉を旨とするユダヤ人は、金融業で成功して莫大な富を蓄えていく。そして 17 世紀以降、欧米で多くの銀行を設立する ことになった。
ユダヤ教の聖典『タルムード』を暗唱する習慣のおかげで思考力が鍛えられるとか、経済的な余裕があるから子どもが高度な教育を受けられるといった理由づけもされている。迫害され続けてきた民族ゆえ、財産のように他者から奪われない知識や技術の習得に価値をおく姿勢が継承されてきたからという説もある。 一方では、閉鎖的なユダヤ人社会のなか、メンバー同士が結婚を繰り返したことで優秀な遺伝子が受け継がれたともいわれている。
そうした人も含めて、今日の世界を大きく変えた企業の創業者を挙げていくと、 グーグル(アルファベット)のラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリン、「メタ」のマーク・ザッカーバーグ、インテルのアンドリュー・グローブ、オラクルのラリー・エリソン、 ネットフリックスのマーク・ランドルフ、デルのマイケル・デルなど、そうそうたる顔ぶれが並ぶ。
インドネシアのスマトラ島北部アチェでは、 16〜 17 世紀にイスラム王国が繁栄。アチェ人は1945年のインドネシア独立後も分離・独立を求め続け、イスラム国家建設を望む「自由アチェ運動(GAM)」が国軍と武力衝突を繰り返した。 2015年にはアチェ州でイスラム法による刑罰が定められ、同性愛行為、婚外交渉、不倫、飲酒、賭博などの違反行為はむち打ち刑に処せられるようになった。
一方、ペルーの日系人は 10 万人と推定される。日系のフジモリ大統領が誕生したことで「ペルーでは日系人が活躍している」という印象をもった人も多いだろう。その後、フジモリ氏は人権侵害等で有罪となったが、ペルーは汚職や不祥事により政権が安定せず、2022年末には非常事態宣言が出される事態となった。
たとえば、ユダヤ人。コーエン(司祭)、サンドラー(靴屋)、カウフマン(商人)、シュナイダー(洋服屋)など、古くからある ユダヤ人の名前は職業に由来するケースが多い。 そのほか「スタイン(石)」のつくバーンスタイン、ルービンシュタイン、アインシュタイン、「バーグ(山)」のつくゴールドバーグ、アイゼンバーグといった姓もユダヤ人によく見られる名前だ。
たとえば、ケルト系のアイルランド、スコットランドなどに多い「Mac」「Mc」 がつく姓がそれにあたる。マクドナルドなら「ドナルドの息子」という意味になる。「O’」 がつくオニール、オコーナー、最後に「son」 がつくニコルソン、ロビンソンも同じである。「son」のつく姓は、北欧のスウェーデンでも多く見られ、デンマーク、ノルウェーのアンデルセンのような「sen」も同じ意味合いだ。
スラブ系も同様だ。セルビア、クロアチアでは「ic(ッチ)」 がつくジョコヴィッチ、ミトロヴィッチ、ペトロヴィッチなどが該当する。ただし同じスラブ系が多い国でも、ロシアでは少々事情が異なり、ファーストネームと姓の間に、父親の名に「vic(ヴィッチ)」か「ic(ッチ)」 をつけたミドルネームを挟んで誰の息子かを示す。ミハイル・セルゲーエヴィッチ・ゴルバチョフなら、父親の名前はセルゲイだ。
イスラム教徒にも食べ物に関する厳しい決まりがある。ユダヤ教徒と同じく『旧約聖書』のモーセ五書を啓典とすることから、重なるところも多い。その代表例が、 ブタを不浄として決して食べない ことだ。 ウシ、ヒツジ、ヤギ、ニワトリなどは食べてよいが、イスラム教で定められたとおりに屠殺され、処理された肉でないといけない。道具や設備に関する規定もある。 魚は食べてよいが、エビ、カニ、イカ、タコはユダヤ教徒と同じくやはり禁じられている。また、心身をむしばむとして、アルコールは禁止されている。 イスラム教の教えに従っている食品には、「許されたもの」「合法のもの」を意味する「ハラル」の認証マークを表示するシステムがある。 食品だけでなく、医薬品、化粧品なども対象となり、その成分にブタ由来のタンパク質や酵素、アルコールなどが微量でも含まれていたら認証を受けることはできない。
ラグビーのニュージーランド代表チームは、「オールブラックス」と呼ばれる常勝軍団だ。彼らが試合前に、「ハカ」と呼ばれるマオリ人の勇猛な踊りを披露するようすを、ワールドカップなどで目にしたことがある人も多いだろう。 試合前のハカは、士気を高めるために取り入れられている。 ヨーロッパ系の白人がマオリ人とともに踊る姿を不思議に思うかもしれないが、見方を変えれば 同じニュージーランド人としての連帯や結束の証といえよう。 そもそもハカは部族同士の戦いの前に戦意高揚、威嚇のために踊ったものだ。マオリ独自の伝統文化で、公式行事、結婚式、学校のイベントなどでも披露される。
ニュージーランドで人が暮らし始めたのは8〜9世紀ごろで、それはポリネシア系のマオリ人だったとされる。南太平洋のクック諸島から海を渡ってきたのである。
シーク教の開祖はナーナクという。彼はヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立を目の当たりにし、「宗教の区別はなく、あるのは唯一の神の存在のみ」として 15 世紀末から 16 世紀にかけて教団を組織した。
ターバンを巻くようになったのは、ムガル帝国下で弾圧を受けた 17 世紀末以降のことだ。「カールサー(純粋な者の集団)」という戦士の組織がつくられ、「髪やひげを切らない」「櫛を常に持ち歩く」「鉄の腕輪をはめる」「ズボン下をはく」「短刀を身につける」という5つの戒律 が定められた。
これは、 韓国が「超」がつくほどの学歴社会であることを示している。修能試験しだいで志望校の合否が、ひいてはその後の一生が決まるほど重要なのだ。 そもそも試験というものは、朝鮮民族に受け継がれてきた伝統ともいえる。朝鮮王朝の時代には、高等官僚になるためには是が非でも「科挙」 に合格しなければならなかった。韓流ドラマ好きなら、「 成 均 館」 を舞台に科挙に挑む若者らの青春群像を描いたドラマを思い出すだろう。成均館は中央の最高学府として朝鮮王朝が設置し、今日も韓国最古の名門大学としてその名を響かせている。
タイでは、人口の大多数をタイ族が占めている。その祖先は、古代に中国南部から南へ移動してきた人々と見られている。彼らはこの地で古くから暮らしていた山岳民族、もしくはマレー系やインド系の民族などとしだいに混血していき、今日のタイ族となった。言語はタイ語、宗教は仏教徒が 9 割以上を占める。 タイは東南アジアで唯一、西欧の植民地支配をまぬがれた国だ。 外交戦略に長け、国際社会を巧みに渡り歩く資質は、いくつもの民族の文化や慣習が融合された歴史のなかで磨かれたとする説もある。
新疆ウイグル自治区は中国北西部に位置し、その面積は実に日本の4・4倍もある。広大な中国の約6分の1を占め、一帯一路構想の「陸のシルクロード」が通っている。石油や天然ガスなどの資源が豊富なことから、中国政府が重視している地域だ。その新疆ウイグル自治区において近年、中国政府によるウイグル人への人権侵害が問題になっている。 古来、この地で暮らしてきたのはウイグル人であり、彼らの祖先はトルコ系遊牧民族とされている。 9世紀中ごろに遊牧生活から定住するようになり、イスラム教を受け入れて一帯に根を下ろして独自の文化を育んできた。
大国の支配を受けながらもイスラム教を信仰し、ウイグル人として暮らしていたが、清王朝末期から漢民族の入植が始まった。反発したウイグル人の間で民族自決の動きが高まり、二度にわたり「東トルキスタン共和国」 として独立宣言をしたものの、押しつぶされた。トルキスタンとは「トルコ人の地」をあらわしている。
アルメニア人を結束させる基盤となっているのが、アルメニア使徒教会だ。 アルメニアは4世紀に世界で初めて公式にキリスト教を受け入れた国 であり、いまも独自の宗派を維持し続けている。その篤い信仰心で人々は結ばれているのだ。
「移民の国」であるカナダは、1971年に世界で初めて 多文化主義政策 を取り入れた。それは民族や文化の違いにかかわらず、すべての人々が平等に活躍できる国づくりを目指すものである。 たとえばカナダは、英語だけでなくフランス語も公用語としている。広大なケベック地方を最初に植民地支配したのはフランスだったが、その後に支配権を握ったイギリスもフランス系住民を尊重し、フランス語の使用を容認したのだ。 現在も多文化主義は重んじられ、毎年約 20 万人の移民を受け入れており、 国民の5人に1人が移民、使われる言語は200以上といわれるほど。 これだけ移民が多いと、異文化を融合させて統合を図ったり、多数派に順応させることは難しそうだが、「移民が国を発展させる」 という考えのもと、みなで共生すべく歩みを進めている。
もちろんカナダ人がすべて多様な文化と移民の受け入れに積極的かというと、そうとも言い切れない。加えて、近年では寛容な移民の国の歴史の陰に、先住民族の多大な犠牲があったことが明らかになり、世界に衝撃を与えた。 カナダ政府は1870年代から先住民の子を親から引き離し、白人に同化させる政策をとっていたのだ。 主にカトリック教会が140ともされる寄宿学校を運営し、 15 万人もの子が拉致 され、集められた。 子どもたちは番号で呼ばれ、母語の使用や習慣を禁じられ、日常的に非道な暴行、性的虐待を受けた。劣悪な環境で飢えや病気から命を落とした子も多い。それが1998年まで続き、所在不明の子の数は4000〜6000人に上るという。
フランス領インドシナの一部だったカンボジアは、1953年に独立を果たした。1970年に親米派がクーデターを起こし、中国が支援するクメール・ルージュ(赤いクメール人の意)との内戦が勃発する。 1975年、クメール・ルージュが勝利すると、最高指導者ポル・ポトによる狂気に満ちた共産主義体制が始まった。 市場も通貨も廃止、宗教は禁止、都市部の住民は財産を奪われ農村での集団生活を強制された。家族制度も否定されて子どもは隔離され、政権の思想に洗脳された。 微罪で逮捕された人々は拷問され、粛清された。同じ民族による組織的な虐殺であり、人類史に残る暴虐の限りが尽くされたのだ。1979年のベトナム軍侵攻で政権は敗走したものの内戦は続き、和平協定が結ばれたのは1991年だった。 伝統的な社会制度も文化も破壊され、知識人層は消滅させられた。
2021年、アフガニスタンからアメリカ軍が完全に撤退した。 20 年にも及んだアメリカの介入が終わり、その行く末を世界が注視するなか、政府を打倒していち早く実権を奪い返したのがイスラム武装勢力タリバンであった。 アフガニスタンは多民族国家だ。古くからシルクロードの要衝として栄え、「文明の十字路」として多くの民族が入ってきた歴史をもつ。 99%までがイスラム教徒で、主にスンニ派であることは共通しているが、なかなかひとつにまとまらない。 最大の民族は イラン系のパシュトゥン人で、約4割を占めている。 アメリカ主導による国づくりをしていた時期の大統領はパシュトゥン人だったし、タリバンの構成メンバーもパシュトゥン人が多いといわれる。
国際社会が警戒するのが、イスラム教シーア派のイランだ。 イランはアラブ世界で優勢なスンニ派の国々で活動するシーア派武装組織を支援しているうえ、核保有の問題がある。核開発の大幅制限と引き換えに経済制裁を解除した2015年の核合意が、トランプ前政権により無に帰すこととなってより一層、警戒が高まった。 イランを共通の脅威とする新たな関係構築も進んでいる。 イスラエルは敵対してきたアラブ首長国連邦、バーレーン、モロッコなどと国交を正常化した。 イランはそうした包囲網をかいくぐるように、シーア派の多いシリア、レバノン、中国などとの関係を強化し、ウクライナに侵攻したロシアには軍事支援を行っている。
インドとパキスタンの確執は根が深い。 第二次世界大戦後、欧米列強の植民地支配に苦しんでいた民族が独立を勝ち取っていくなか、インドも1947年に独立を果たした。しかし、イギリスがヒンドゥー教徒とイスラム教徒を分割統治で押さえつけていたことから、 イスラム教徒はパキスタンとして分離する こととなった。 そもそも北インドにイスラム教徒が多い理由は、 16 世紀にイスラム教の国ムガル帝国が南下し、ヒンドゥー教徒が多かった住民のイスラム化を図ったことによる。
その後、イギリス統治を経て、独立運動ではヒンドゥー教徒と協力したものの、いよいよ国家樹立という悲願達成を目前に決別してしまったのである。 「インド独立の父」といわれるガンジーは非暴力・不服従を貫き、独立運動を導いた。自身はヒンドゥー教徒ながらイスラム教徒と一緒に独立することを説き続けた。ところが、ガンジーはヒンドゥー教過激派の恨みを買い、暗殺されてしまう。
イスラム教徒も一枚岩ではない。その分布域が東西に分かれており、ベンガル地方のベンガル人が暮らす東パキスタンと、政治経済で優位に立つ西パキスタンが対立。 東パキスタンは1971年にバングラデシュとして分離独立した。 このとき、インドがバングラデシュ独立を支援したことから、印パ戦争が勃発する。印パ戦争はこれが三度目となった。
インドとパキスタンが初めて戦火を交えたのは、分離独立当初のことであった。その原因は今日まで解決されていない カシミール地方の帰属問題 だ。 カシミールでは住民の大半がイスラム教徒ながら、藩王はヒンドゥー教徒で、インド、パキスタンのどちらに帰属するか明らかにしないままでいた。そこへパキスタンが義勇軍を送り込んだところ、藩王がインドに与すると決めて武力援助を求め、印パ戦争へと飛び火したのである。
紅茶の世界的な主要産地として知られるスリランカは、インド亜大陸の南東に浮かぶ小さな島国だ。北海道より小さな国土に約2200万人もの人が暮らしている。 民族としては、アーリヤ系で仏教徒のシンハラ人が4分の3と圧倒的多数を占める。次に多いタミル人はドラヴィダ系のヒンドゥー教徒で約 15%、ほかに 10%弱のスリランカ・ムーア人が暮らしていて、彼らは主にイスラム教徒だ。 タミル人の数が増えたのは、イギリスの植民地時代に茶葉生産の働き手として南インドから連れて来られたことによる。 1948年に英連邦の自治領として独立すると、 それまで抑圧されていた多数派シンハラ人が力を握り、シンハラ語のみを公用語に定めるなどしてタミル人の反発を招いた。 タミル人は主な居住地の北部・東部の分離独立を求めるようになり、1980年代以降は「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」が武力闘争を激化させた。政府軍がLTTEを制圧し、内戦が終わったのは2009年のことだ。
アイルランド人は、古代ヨーロッパのケルト人にルーツをもつ。 ローマ人やゲルマン人の移動に押され、アイルランドに移り住んだのは紀元前6〜5世紀といわれる。現在もゲール語というケルト系の言語を使用している。約8割をカトリック教徒が占め、ケルト文化とカトリック信仰が結びついた独自の文化を保持している。
スペインが多民族国家であることは、自治州の存在からうかがえる。 バスク州、カタルーニャ州、ガリシア州、バレンシア州などは、それぞれの州名になっている民族が多く暮らし、独自の言語を公用語として使っている。そのなかでも、 独立志向が強いのがバスク人とカタルーニャ人だ。
Posted by ブクログ
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世界で起きている紛争が、文庫サイズに概略まとまっており辞書的にも使うことができる。手元に置いておき、ニュースで見るたびに読み返したい。
全体を通して、メジャーなものからマイナーなものまで、世界でこんなに紛争が起きているのかと驚くとともに、日本がいかに平和で恵まれているかと思い知らされる。
Posted by ブクログ
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様々な視点で書かれていて、一つのテーマを数ページにまとめてあるのでサクサク読めます
ナポレオンの小説を読んでる途中だったので、ナポレオンのエピソードは興味深かったです
Posted by ブクログ
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日々報道されている世界各地での紛争は何故起きたのか、何が起きているのかを知る切っ掛けとなった。
世界で何が起きているか知っているだけで物事を深く考えることができてくると感じた。
Posted by ブクログ
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