下坂幸三の作品一覧
「下坂幸三」の「精神分析入門」「精神分析入門(上下)合本版(新潮文庫)」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
- 作者をフォローする
- フォローすると、この作者の新刊が配信された際に、お知らせします。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで201万冊以上配信中!
「下坂幸三」の「精神分析入門」「精神分析入門(上下)合本版(新潮文庫)」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
Posted by ブクログ
やっと手を出した。そんで、疲れる読書を少しでも力にできるよう、読みながらメモったものを書く。
第一部錯誤行為
序論だけに、科学的思考と精神分析を説明し、自己の体や意識の反応を『偶然』と切り捨てない精神分析の説明も兼ねる。この時代に今まで生きてきて「無意識が存在する」という知識があるためか、少しくどい。っつーことで内容は略。
しかしそれだけに、ここまでの反復が必要な時代であったことも感じられる。科学(と当時から認められていたもの)の道を通って得た科学的手法とその経歴を以て、曖昧なものを平易に、しかし数字を用いられずに十分な説得力を持った言葉で語る。この繊細なものを手に取ることができた天才と、実務的な能力を持つ有能な人間が同一人物であったこと。そのフロイトの凄さは、間違いなく人類を進めたんだろう。
引用→「抑えつけられた意向は、語り手の意思に反して言葉となって口を衝いて出ます。語り手の承認した方の意向の表現を変え、あるいはその表現と入り混じって、あるいはこれと入れ換わって言葉に出てくる」
第二部夢理論
「夢は、眠りを妨げる(心的な)刺激(願望)を幻覚的な意思によって排除する」
それが夢を歪曲し、理解しがたいものにする。脳中枢は夢を検閲し、歪めたり忘却させたりささやき声で抵抗し、我々が無意識の要素へと辿り着くのを阻む。しかし夢も、検閲から文章を守る新聞記者のように、メタファーや相似な状況などで検閲のチェックを素通りさせることもあるという。
検閲対象となるものを「快感追求の努力――すなわちリビドー」が、すべての倫理的な束縛から解放された自我が好き勝手に選び、我々の美的感覚が非としてきた性的欲求やあらゆる倫理的な規制の要請に反するものだ。
人間が持つ悪性は人間として正当でなくても。生物として正当であり、その個人の美意識や倫理観とは別個のものである。そういった生物であることに罪悪感を抱きたいというのは不当であり、ただそのままに受け入れるべきもの。プラトンの「善人とは、悪人が現実で行っている行為を、夢で見て満足している人間である」という言葉以外の、なにものでもない。
この部は、まさに読む目的としていた「曖昧だった知識をより確かにする」ことに合致した部だった。すごく面白い。
・夢に登場する象徴的意義はほとんどが性欲であることについて
「フロイトは性欲に重きを置きすぎている」という言葉を何度か聞いていたせいか、最初はそう感じる。しかし、重ねて考えるべき「夢のルールと倫理観や社会的道徳は独立的」に視線を向ければ、違和感なく納得できる。さらに、性愛という根本を意識した労働体系は古代から考えられていたこと、その性愛を以て労働という生活に必要な作業に従事する中で、コミュニケーションの場となり、言語は飛躍的に発達したことも想像に難くない。多くの単語が男根や女性器を象徴することも、そう考えれば納得できる。
☆「(脳が)潜在夢を顕在夢に置き換える働きこそ、夢の作業である」
(夢の作業と逆の方向をたどり、顕在夢から潜在夢に到達しようとするのが、解釈作業)
・人間の原始性、動物性を幼児性から語る
倫理観、社会的美的感覚を幼児は持っておらず、排泄物や近親への性愛にも嫌悪感を持たない。よって、兄弟姉妹の死をも望める。また、両親への愛も、最初に愛するのではない。自分に必要だから愛するという、エゴイズムから愛し、やがて自然に愛することが出来る。嫌悪感も身につける。
・悪夢や不安な夢も、願望充足で説明できるもの
失敗や途中での覚醒(喉の渇きは起きなければ満たされない)もあり、そもそも顕在夢は潜在夢を歪曲したものであり、その歪める手法はすり替えや反転が多い。
第三部神経病総論
患者には特定の無意識的過程が存在しており、その過程こそ症状の意味を内包している。この意味が意識されていないことが必要で、意識的過程からは症状は形成されない。無意識的過程が意識されれば症状は消滅せざるをえず、それが精神分析の治療手法である。
神経病の原因・成立=リビドー固着による素因+偶然的体験
Posted by ブクログ
なんとなく難しいイメージがあったのだけれど、
タイトルに「入門」と書いてある通り、
大学での講義をもとにしてあるのでわりかし読みやすい。
「錯誤行為」
まず気付くことは、
フロイトは非常に科学的な人間であるということ。
反証例をことあるごとに提示し、
それをひとつひとつ検証していくのは、
ある側面においてはくどくもあるのだけれど、
科学者としては正しい姿勢なのだろうと思う。
有名な「無意識」「欲動」というワードは、
本書の冒頭ですでに登場している。
精神分析には一般解はない、
ということを肝に命じておかなければなぁ。
「夢」
夢は眠りを妨げる、
潜在思想(無意識)の活動を和らげている、
という解釈は新鮮。
人生の1/4~1/3を占める、
眠っている時間について熟考することは、
目覚めている時には決して顕在化しない、
無意識を探るうえでの大きなヒントになるのだろう。
わたしが何の気なしに夢の日記を綴るのも、
こういう直感によるところが大きいのかもわからない。
フロイトの論理的な推理は、
プラトンの描くソクラテスを彷彿とさせる。
対話的な語り口も似ている。
とても面白い推理小説を読んでいるようでもある。
「神経症総論」
夢の分析は神経症の分析にまで広げられる。
「外傷(トラウマ)」「抑圧」「抵抗」といった、
概念の説明はこの部分になる。
幼児期の記憶がほとんどないのは、
こういった無意識的な操作が行われているから、
というのはとても面白い指摘。
ほとんどの原因が
「リビドー(性の欲動)」に帰せられるのは、
少々納得しがたいところではあるけれど。
Posted by ブクログ
フロイト 精神分析入門メモ
フロイトは、精神分析における「象徴関係」、
夢の要素中の固定された翻訳が明らかになっている一群(1)の中で、圧倒的に「性的表現」が象徴の多数を占めていることを明らかにする。「男性器」棒、傘、ステッキ、サーベル、小銃、じょうろ、ネクタイ、鉛筆、「勃起」気球、飛行機、飛行体験そのもの、「女性器」ポケット、溝、瓶、トランク、戸棚、貝類、聖堂、「乳房」くだもの一般、岩、森、「性的快楽」ピアノの演奏、階段を登る。フロイトは、これらの背景には、最初の言語発達が性愛の相手を呼び寄せるものであり、つまり、あらゆる言語はかつて性的表現を意味していたが、やがてそれが労働においても共有されるようになり、いつしか完全に労働に移り代わり性的意味は忘却されたのだという事情があるという主張を引用している(2)。要するに、我々のあらゆる行為、言語、物のルーツには「性的表現」がある。
「象徴関係」、言うなればそれは「例える」ことである。「例える」言語活動は日常会話の中でしばしば行われる。例えば、何らか難しい事象を平易に説明する際や、滑稽な事象を想起させて笑いを誘うなど。
後者について、これをプロ化し、テレビ番組におけるトークの中で、或いは「大喜利」という試合仕立ての中で披露し視聴者に笑いを提供しているのがお笑い芸人である。
彼等の存在をもって、つまり、一般的言語活動である「例える」が巧みな技術として称賛されている事実をもって、如何に「例える」行為により笑いを生み出すことが困難であるかについて証明されていると言って良いだろう。
しかしながら、ここには一つの例外がある。それは「下ネタ(性的表現)」による例えである。日常会話における「下ネタ(性的表現)」による例え、比喩の簡易性・頻出性はあらゆる他の分野に比して突出していると言える。その社会的制限により、場面こそ限られるものの、若年の同性間会話或いは飲み会などにおいて、下ネタの絡んだ例えに限定されて、それは目を見張るスピードと唸らせるクオリティをもって披露され、更には芸術的とも言える畳みかけ、天丼、展開がなされることがまま見られるのである。半ば当たり前になってしまっているこの奇妙な現象について、今一度「例える」ことの困難さを認識すればするほどそれは特異に映る。
また、当然のことながら、この奇妙な現象の発生源には、共通の下ネタワード(象徴関係)、例えば「大きい」「行った(イッた)」等がある。
この奇妙な現象をもって、象徴関係(例える)における性的表現(下ネタ)の多数性はより、信ぴょう性を増す。
Posted by ブクログ
自我とは自分の意識のことであり、意識は理性でコントールできる。自分の行動は自分の意識で理性的に決めている。デカルト
意識された部分(理性や合理性など)は表層的なものに過ぎない。自我の意識の活動にのぼらず、自覚されていない心の奥底がある。無意識。潜在意識。無意識の内容は夢などに現れ、起きているときは意識の底に沈んでいる▼幼い子供にあるのは本能的な欲動だけ。成長するにつれ本能的な欲動を抑える道徳・社会規範を身に着ける。「自分」という意識(自我)が生まれ、本能的な欲動と道徳・社会規範とのバランスを取れるようになる。本能的な欲動が充たされないとき、人は社会的価値の高い欲求に置き換えて昇華させる(芸術など)▼男性が母を愛の対象とし、父親を殺そうとする願望(エディプス)。女性が父を愛の対象とし、母親を殺そうとする願望(エレクトラ)。兄弟間の敵対感情(カイン)。人を救済することで自分の存在意義を得ようとしたり、相手よりも優位に立とうとする(メサイヤ)。ジークムント・フロイトFreud『精神分析入門』1916
西欧の錬金術の図は曼荼羅に似ている。各国に似たような模様がある。各国の神話も共通点が多い。人間ひとりひとりの無意識のさらに奥底に全人類に共通した集合的な無意識があるのかもしれない。ユング『自我と無意識』1934
雨が降っているとき、雨と闘ったり、負かそうとしても無駄だ。今、あなたは雨と闘って時間を費やしている。雨に勝っている、と思っている。しかし、他の誰よりも、あなた自身を害している。アルフレッド・アドラー『人生の意味』1932
被収容者はショックの第一段階から、第二段階である感動の消滅段階へと移行した。内面がじわじわと死んでいったのだ。 感情の消滅や鈍磨、内面の冷淡さと無関心。これら、被収容者の心理的反応の第二段階の特徴は、ほどなく毎日毎時殴られることにたいしても、なにも感じなくさせた。この不感無感は、被収容者の心をとっさに囲う、なくてはならない盾なのだ▼忘れられない仲間がいる。誰もが飢えと重労働に苦しむ中で、みんなにやさしい言葉をかけて歩き、ただでさえ少ないパンのひと切れを身体の弱った仲間に分け与えていた人たちだ。そうした人たちは、ほんの少数だったにせよ、人間として最後まで持ちうる自由が何であるかを、十分私たちに示してくれた。あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である。ヴィクトール・フランクルFrankl『夜と霧』1946
Posted by ブクログ
錯誤行為、夢判断、神経症総論を収録した『精神分析入門』と、
その後に書かれた補足的な意味をもつ『精神分析入門(続)』をおさめたのが、
この上巻と下巻からなる『精神分析入門』です。
それにしてもですよ。
分析によって突き止められるのは大体において性にまつわることだっていうのが、
本当かなという疑いとそうだそうだという頷きが半々に生じました。
この講義(本書)は100年も前のものだけれど、
性に対して現代的に取り組んでいて、いまもなお古びていないです。
それはわいせつ性だとかタブー視とか、
現在にもそのまま残っているものだし、
そんななかでこれ以上進展しないところ近くまで研究した、
フロイトの先鋭性があるからだと思いました。
性は、生殖の妨げにならないようなバランスのとれたところでは、
その分析は完成しているのかもしれないです、そう思いました。
これは、あまりに科学的に解析すると、
性的な魅力や欲望までもがそがれてしまうんじゃないかという、
僕のイメージから言っています。
また、いろいろと心霊現象や思考転移などについて、
科学的に解き明かして見せてくれながらも、
「でも、まれに解明できない不思議なことはあるんだよ」
と言っている章もあり、そういう暗黒域みたいなのは
あったほうがいいなあと個人的に嬉しかったり。
まだまだ科学じゃ解明しきれない区域があってこそ、
面白みも可能性もあるじゃないですか。
ここからは、ほんとに「雑感」という感じの、読後の雑感です。
物事から目をそらして忘れてしまった気になっても、
それらの物事はその人の無意識に落ちていってさらに不死なものらしいのです。
無意識に落ちて出てこない状態を抑圧といって、
心理的不調の原因になったりする。
そういった抑圧された無意識の意識化が精神分析の治療の仕方のようです。
現実にむきあわない、物事から逃げる、
そういう態度が心理的な不調を生むんですね。
無意識化してしまって、それが一生残って、
そういうのが多くなっていってエネルギーが増せば悪さをする。
かといって、すべてに真面目に向き合うのは大変だから、
折を見て無意識の意識化をしてやらないといけないわけ。
ユング派の故・河合隼雄さんは、
競馬なんかのギャンブルで大損するのも、
知らないでやっているその人自身のための治療なんだって言っていた。
無意識の意識化っていうものは、
言語化できるものに限られたものじゃないんですな、たぶん。
言語化が意識化のすべてじゃないようです。
また、超自我、自我、エスという心的人格三分割には納得。
超自我は別名「良心」だし、それ以外の無意識的な自我がエスだし、
そう考えると、自分自身の得体のしれない意志の現れ方だとかが
わかる感じがしました。
そして、ニーチェの本に引き続いて、ルー・ザロメなる女性の名前が登場。
当時の偉人達と交流した才媛なのでしょうね。