リクルート・コスモス未公開株の譲渡を受けていたことが発覚し
竹下総理大臣は退陣を余儀なくされ、内閣の重要人物が何人も失脚した
棚ぼたで後継総理の座についたのは宇野宗佑だったが
三日後に女性スキャンダルの暴露を受け、これまたあっけなく沈んだ
人材の払底に苦しんだ自民党は
若手(いうても58だけど)の海
...続きを読む部俊樹に白羽の矢を立てることとした
1989年、平成元年の急転直下であった
クリーンと目された三木武夫派の出身で、歳のわりに童顔の海部は
とにかく悪いイメージを払いたい自民党に
ある意味うってつけの人材と言えた
しかしながら若手の悲しさで実績に乏しく
じっさいクリーンで売ってて経済的にも乏しい彼は
どうも軽く見られがちで
マスコミから、金丸・小沢の操り人形と呼ばれることもしばしばだったが
そこに難題は容赦なく押し寄せてきた
バブル崩壊、湾岸戦争、金丸訪朝団、日米構造協議、ゴルバチョフ失脚…
状況の激変に振り回されることが多く
また操り人形とは言わぬまでも、やはり党内保守を動かせず
さまざまな問題に対して後手後手にまわっていった
結局のところ元をただせば
政治腐敗から国民の目をそらすために立てられたデコイだったわけで
党内抗争にカネが飛び交う状況を緩和するための
肝いりで提出した政治改革法案
…つまり小選挙区制だが
これをほとんど一方的に与野党から拒絶された後は
解散総選挙のデマにも泣かされ、あっさり辞任に追い込まれた
国民の深刻な政治不信を受けて
政治改革法案が通ったのは、海部辞任の三年後だった
理想のビジョンは持っていたし、現実認識も確かだったが
その良識ゆえに肝心なところで遅れをとった
迷パートナー・小沢一郎と共に
失われた30年の幕開けを象徴する存在と言えるのではないか