作品一覧 2018/09/03更新 幕末維新を動かした8人の外国人 試し読み フォロー 山岡鉄舟<決定版> 試し読み フォロー 1~2件目 / 2件<<<1・・・・・・・・・>>> 小島英記の作品をすべて見る
ユーザーレビュー 幕末維新を動かした8人の外国人 小島英記 これは、面白い。ややもすれば、国内の幕府対薩長連合に目が行きがちな、幕末の御一新。当然武力を持つためには、売る人がいて、そこに賛同する勢力がある。 歴史を、日本史と世界史というくくりで教えてきた従来の教育では分からない視点だ。当時の日本と世界の関わりかた、欧州のアジア植民地化政策の最後に日本があっ...続きを読むたわけで、幕府対薩長連合はフランス対イギリスの代理戦争の一面も持つ。 その歴史のなかで活躍した外国人にスポットを当てた、興味深い著作だ。 Posted by ブクログ 山岡鉄舟<決定版> 小島英記 勝・西郷の会談は、山岡鉄舟と西郷隆盛の事前交渉があって実現したものであり、実際には山岡鉄舟も同行していたことや、彼が清水の次郎長とも懇意であったなど、山岡鉄舟個人に関する内容が豊富に紹介されています。「決定版」では、山岡鉄舟の関係者の動向も満載ですが、そのひとつが「痩我慢の説」。 福沢先生は、...続きを読む武士として、戦わずして城を明け渡し、維新後には明治政府に奉公したと勝海舟(及び榎本武揚)を「痩我慢が足りない」と批判しました(山岡鉄舟も維新後、明治天皇に仕え、叙勲までしていますが対象外)。この「痩我慢の説」の草稿を勝・榎本に事前に送り、出版にあたっての意見を求めたそうですが、勝は「行蔵(出処進退)は我に存す、毀誉は他人の主張」と、公刊に「異存これなく候」と回答。そこまでは知る人ぞ知るかもしれませんが、その後、勝もあるとき、「何でも角でも東洋流は野蛮だ、ヤレ無道徳だとて、悉く西洋の風俗習慣を引き込み、(中略)御精神から、日本武士道を破滅せしめて居るではないか」と愚痴をこぼしたとあります。著者は政治家と教育家の違いと表現していますが、ここのやり取りは初めて知る場面で面白いと思いました。 周辺情報満載で、内容テンコ盛りはありますが、主人公・山岡鉄舟の誠実な性格からか、読後は清々しい気持ちになる一冊です。 Posted by ブクログ 山岡鉄舟<決定版> 小島英記 ドキュメンタリー風の歴史本です。歴史本 ではないです。 幕末という時代背景であるがゆえに、膨大 な資料を手繰ってあぶり出された人生には 目を見張るものがあります。 坂本龍馬ではないが、まさにこの時代の 奇跡という感想を持ってしまうほどです。 あまり光が当たってこなかった山岡鉄舟 ですが、NHK...続きを読む大河ドラマの題材に十分 ふさわしい偉人です。 Posted by ブクログ 幕末維新を動かした8人の外国人 小島英記 ■黒船のペリー(アメリカ) ■古武士プチャーチン(ロシア) ■敬虔なハリス(アメリカ) ■文人外交官オールコック(イギリス) ■幕府を支援したロッシュ(フランス) ■豪腕パークス(イギリス) ■討幕の理論家(サトウ) ■討幕商人グラバー(イギリス) 幕末の日本に大きな影響を与えた外国人8人。 こ...続きを読むの中で一番紳士的に日本と交渉したのは、ロシア人のプチャーチンだ。 日本の祖法を尊重し、のらりくらりとなかなか交渉の場に立とうとしない幕府の役人をじっと待ち、基本的には対等な相手国としてフェアな交渉をしようとする。 明治政府は、日露友好に貢献したとして、プチャーチンに勲一等旭日大綬章を与えている。幕末に条約交渉で来日した使節では唯一。 ロシアはアメリカよりも前から日本と国交を開こうと、日本の周辺をうろうろしていたのである。 江戸に行けば外国人とは長崎でしか話はできないと言われ、長崎に行けば江戸でなければ決定権がないと言われ、たらいまわしにされながらも紳士的にじっと待つ。 シーボルトからの助言もあったし。(紳士たれ) そんな様子を見て、これではらちが明かないと、わざと居丈高に振る舞ったのがペリー。 これにビビった幕府は、すっかり及び腰になってしまい、時間稼ぎとはいえ「幕府の上には天皇という存在があるので、ちょっと相談させてくれ」と言ってしまう。 一年間という時間を稼いだ代償は、あまりにも大きい。 アメリカはとりあえず、水と薪を供給してくれる港を確保できたら、日本のないせいには特に興味がなかったみたいで、その後の日本の内乱には特に関与せず。 開国から明治までの十数年で日本は激変した。 フランスは…というか、ロッシュは幕府が日本の最高機関であることを疑わず、幕府高官とだけ特権的に付き合っていたため、大政奉還以降、完全に出遅れてしまった。 けれども幕末の幕臣は、何人もフランスに渡り、世界を目の当たりにし、最新の技術などを勉強して日本に持ち帰っている。 だから明治新政府の中でフランス式に何かが行われているとしたら、そこには旧幕臣がいると思っていい。 イギリスは多くの人材を日本に派遣し、公正中立を保ちながら、徐々に討幕派と近づいていく。 この辺が植民地政策にたけているイギリスの面目躍如というところ。 特に通訳のアーネスト・サトウは、卓越した日本語能力の高さと、サトウという名字の親しみやすさ(日本人とは全く関係なし)ゆえ、庶民からの人気も高かったらしい。 大政奉還をした徳川慶喜を、それでも討つというのは公法と照らし合わせてみてもおかしいと言わざるを得ないと、パークスやサトウは言った。 日本に長くいて、日本人と親しく付き合っても、客観的な視点を忘れないイギリス人。 もはや日本は孤立した島ではなくなっていた。 Posted by ブクログ 幕末維新を動かした8人の外国人 小島英記 薩長史観、皇国史観、佐幕派史観でもない、幕末維新を動かした8人の外国人から見た、日本の歴史。 いずれにしても、西欧人が、東洋の果ての日本に来てみようというチャレンジ精神はすごいと思う。 その8人の接した当時の日本人の置かれている立場により、取った行動。 後々の歴史家、小説家にしたら、格好の分析素材。...続きを読む いずれにしても、歴史を0(ゼロ)からの視点で見ることが一番重要ですし、楽しいことなのです(笑)。 Posted by ブクログ 小島英記のレビューをもっと見る