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石津智大(いしづ ともひろ)
人間の美的感性や芸術体験と脳活動の関係を研究する「神経美学」の専門家であり、現在は関西大学文学部教授を務める心理学者
1999年4月 - 2003年3月:早稲田大学 第一文学部 心理学専修 卒業
2003年4月 - 2006年3月:早稲田大学大学院 文学研究科 心理学専修 修士課程修了
2006年4月 - 2009年9月:慶應義塾大学大学院 社会学研究科 心理学専攻(2009年に心理学博士号を取得)
渡辺茂
1948年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院社会学研究科心理学専攻博士課程修了、文学博士(心理学)。専門は比較認知神経科学。1995年、ハトを訓練してピカソの絵とモネの絵を区別させることに成功し、イグ・ノーベル賞を受賞。 著書に『鳥脳力―小さな頭に秘められた驚異の能力』(化学同人)、『脳科学と心の進化』(共著。岩波書店)、『ヒト型脳とハト型脳』(文春新書)、『ハトがわかればヒトがみえる―比較認知科学への招待』(共立出版)など。
「もちろん,感性的な体験は美のほかにも数あります.愛情,畏れ,醜さ,妬み,そして憎しみ.しかし,その出発点として美から始めることは理にかなっているといえます.なぜか? 美しさと聞くと,芸術作品や外見などが思い浮かぶと思います.しかし,美は芸術や外面的な特徴にとどまるものではありません.たとえば,他人を助ける行為や道徳的なおこないにも感じられますし,さらには数理や友情などの形をもたない抽象的な世界にも立ちあらわれます.美はさまざまな場面でわたしたちの行動や判断,そしてこころの状態に影響を与える重要なファクターといえるのです. もし美が外見にだけ見出されるようなものだったなら,こんなにも長く,こんなにも深く人類から探求されつづけることはなかったでしょう.それゆえ,美がわたしたちに教えてくれること,美を研究することで得られることは,単にわたしたちが何を美しいと感じるのかという問題だけでなく,わたしたちが何を正しいと判断するのか,何を善きものとして好むのか,わたしたち自身の理解につながるといえるのです.こころのはたらきの真ん中にあるようなきわめて人間らしい感性と,最先端の生命科学である脳科学とが交わる場所で,美や醜に脳がどう反応するのか,また芸術の創造に脳がどう関わっているのか,そういう研究をおこなうエキサイティングな新しい学問が,神経美学,ニューロエステティクスなのです.」
—『神経美学 美と芸術の脳科学 共立スマートセレクション』石津 智大著
「しかし,美しさを脳科学で研究するというと,やはり奇妙に聞こえるかもしれません.なぜなら,最初でも少し触れた通り,美の体験はその大部分がわたしたちひとりひとりのこころの内面にある主観的なものとしてとらえられてきたからです.ここでキーワードになるのは「主観性」と「客観性」です.主観性の問題は,伝統的に哲学や美学といった人文学の分野で扱われてきました.そして,美という感性についての問題も数世紀ものあいだ,人文学の世界で深い議論がおこなわれてきた一方で,その間科学ではまともな研究対象として扱われてきませんでした.そこで,当然次のような疑問が浮かんでくると思います.」
—『神経美学 美と芸術の脳科学 共立スマートセレクション』石津 智大著
「このように曖昧で定義を与えることがむつかしい「美」という感覚ですが,それと同時にとても身近な概念で,わたしたちはそれをよく知っています.美しさと聞けば,「良いもの」であり,「快いもの」であり,「価値あるもの」であり,「醜さと対比されるもの」である.このような共通の理解をもっています.そして,美しさが呼びおこす気持ちや価値を知っており,共感もしています.つまり,美しいと感じる対象があなたとわたしでちがっていたとしても,わたしたちが美しさに対して抱く感情はおおよそ共通のものであると考えることができます.美しいものを前にしたり,美しいもののことを思うときに,わたしたちのこころに生まれる機微は似通ったものであるといえそうです.そこで,この発想に立ち,ベルの美学的問題を以下のように問い直してみましょう.「多様な種類の美しい作品に,共通しているものは何か」「多様な種類の美しい作品から得られる,共通して生じるこころの状態は何か」」
—『神経美学 美と芸術の脳科学 共立スマートセレクション』石津 智大著
「結果をみてみると,視覚美と聴覚美でそれぞれ複数の脳部位,たとえば視覚皮質や聴覚皮質などが活動していました.しかしそのなかでただ一箇所,内側眼窩前頭皮質の一部分が,絵画,音楽に関係なく,美の体験に対して常に反応することが発見されたのです(図 2. 4)[ 7].この活動は,どの人種の,どのような文化で育ってきたか,どのような教育を受けてきたかといった,後天的なことには依存しないということもわかっています.」
—『神経美学 美と芸術の脳科学 共立スマートセレクション』石津 智大著
「さて,美を考えるときに大きな問題のひとつは,美の体験がひとりひとりの主観的な印象によっているということです.「すごく綺麗」と「ものすごく綺麗」といったように,感じる美の強度をあらわすときは形容詞に頼ることになります.たとえ,感じた美の強度を数値であらわしたとしても(たとえば, 1 ~ 5の 5件法),それはその人の主観を単に数字に置きかえたにすぎません.美しさの体験は,はたして客観的に量ることはできるのでしょうか?」
—『神経美学 美と芸術の脳科学 共立スマートセレクション』石津 智大著
「さて,美を考えるときに大きな問題のひとつは,美の体験がひとりひとりの主観的な印象によっているということです.「すごく綺麗」と「ものすごく綺麗」といったように,感じる美の強度をあらわすときは形容詞に頼ることになります.たとえ,感じた美の強度を数値であらわしたとしても(たとえば, 1 ~ 5の 5件法),それはその人の主観を単に数字に置きかえたにすぎません.美しさの体験は,はたして客観的に量ることはできるのでしょうか?」
—『神経美学 美と芸術の脳科学 共立スマートセレクション』石津 智大著
「一方で,長年の訓練や高度な知識を習得したすえに辿りつくことのできる,高度に知性的な美も存在します. その筆頭は数学といえるでしょう.本書をご覧いただいている方のなかにも数学に理解の深い人がいると思います.そういう方にはピンとくるのではないでしょうか.数学の方程式にも,美しいものと醜いものがあるのです.プラトンの時代から現代まで,数理的な美は数学者たちによってたびたび言及されてきました.数理と聞くと知性的で論理的,冷たい印象すら与えます.しかし面白いことに,高度に完成された方程式に出会ったとき,数学者のなかに沸き起こる感情は,ミケランジェロの聖母子像やバッハの旋律の美から感じるものとおなじ,こころが震えるような情動的な体験なのだそうです.神経美学としては,この数理の美についての心的状態をしらべないわけにはいきません.彼らの言う通り,数理的美という高度に知的で概念的な美も,音楽や絵画などの芸術作品から得られる感覚知覚にもとづく美とおなじように,特定の脳の反応をひきおこすのでしょうか?」
—『神経美学 美と芸術の脳科学 共立スマートセレクション』石津 智大著
「さて,最も美しいと多くの数学者に評価された方程式の例をあげると,オイラーの等式,ピタゴラスの定理,そしてコーシー・リーマンの方程式でした.一方で,ラマヌジャンの無限級数とリーマンの関数方程式は,醜い方程式であると評定されました(図 3. 1).もちろん,これらの方程式の美醜の評価は全数学者が同意するわけではありません.あくまでこの実験に参加した数学者の回答にもとづくと,ということです.」
—『神経美学 美と芸術の脳科学 共立スマートセレクション』石津 智大著
「その結果,身体的な美しさの判断でも,道徳的な美しさ(正しさ)の判断でも,美しいと参加者が感じたときには,もうおなじみの内側眼窩前頭皮質が活動することがわかったのです.さらに評定のスコアが上がるほど,活動も強くなることも明らかになりました.道徳的な美も身体的な美も,おなじく脳の特定の活動をひきおこすことができるということです.視覚や聴覚などの感覚知覚では感じられない,心根の美しさという眼に視えない美.それに対する脳活動も,芸術作品の美しさの体験とおなじような脳活動により表現されているようです.」
—『神経美学 美と芸術の脳科学 共立スマートセレクション』石津 智大著
「ます.「美は善である」という考えは,古代ギリシア哲学の「カロカガティア( kalokagathia)」(または「カロン( kalon)」)という概念までさかのぼり,現代心理学でもその関係性は実験的に示されてきました. 見た目と内面は,本来は関係のないものです.しかし目に見える情報が,目に見えないものの評価に影響する例は,バンドの見た目と音楽性の良し悪し[ 12],外見の魅力度と面接での評価[ 13],科学者の見た目と論文の質[ 14]など,実に数多くの研究で報告されています.「美は善,醜は悪」というステレオタイプはヒトの認知に組み込まれたバイアスなのかもしれません.この実験が明らかにした,報酬や快に関与する眼窩前頭皮質と不快感情に反応する島皮質というふたつの相反する脳内機構の綱引きは,魅力的な人物は倫理的であり,不器量な人物はおこないも不道徳だと考えてしまうような認知の傾向に関与している可能性がうかがえます.」
—『神経美学 美と芸術の脳科学 共立スマートセレクション』石津 智大著
「もうお気づきかもしれませんが,この手の価値の変化は,感性的な価値判断,つまり客観的に測定することがむつかしい価値,そうたとえば芸術や美醜の価値判断などで起こりやすいものです. 30センチは 15センチより長いことは明らかで, 30万円は 15万円より高いことも誰でも納得できますね.ですが,感性の話となるとその判断が非常にもろく曖昧になるのです. ヴァイオリンの音色もワインの風味も絵画の色彩も,ある文脈での印象は,別の文脈ではがらりと変わってしまう.ここでみてきた例のように,わたしたちの感性的な評価は文脈によってうつろい変わっていきます.もしそれが審美的な価値を判断する場面だったら,わたしたちはどう振る舞い,そして脳はどのようにはたらいているのでしょうか.美術館のモネと露店のモネは,いったい脳のなかではどうちがうのでしょう?」
—『神経美学 美と芸術の脳科学 共立スマートセレクション』石津 智大著
「文脈効果は,ほかにもいろいろな場面でみることができます.たとえば,みなさんもきっと経験があると思いますが,人からのクチコミはとても強い文脈効果を与えることができます.自分では気に入らないと思っている物でも,まわりの仲のいい友だちみんなが好きだと言っていると自分も好きに思えてきてしまう.「お墨付き」もそうですね.ガラクタにしか見えなかった現代アートが,著名人の絶賛を聞くと途端に立派な芸術作品に見えてきてしまう.露店のモネも,いかにも目利きそうな紳士に勧められたとしたら,もしかしたら気持ちが動いて買ってしまうかもしれません.わたしたちは「他者の意見」に簡単に影響を受けるのです.これを社会心理学では「同調バイアス(同調現象)」とよんでいます.世間の「流行」の多くが同調バイアスによって生み出されるといっても言いすぎではないでしょう.それゆえ「美」というきわめて主観的で,不可侵とも思える個人的な感性体験が,社会のなかで共有されていく仕組みを考えるうえでも,同調現象はとても重要なのです.」
—『神経美学 美と芸術の脳科学 共立スマートセレクション』石津 智大著
「つまり,他者の好評価を知ることで,その作品を自分ももっと好きになる,ということが起きているのではなく,いわば仲間はずれになる可能性の不安によって,他人がつけた評価に沿うように自分の意見を変える,という心理的プロセスなのかもしれません. デンマークとオーストリアは福祉国家であり保守的態度の高い国ではありますが,言ってみれば両国とも個人を尊重するヨーロッパ文化の影響のただなかにあり,同調バイアスはかかりにくい状況とも考えられます.もっと全体主義的な国(たとえば日本)でこの研究をおこなったら,非常に大きな同調バイアスが得られるかもしれません.日本で数多くの流行りと廃りがみられるのは,もしかしたらこの心理的プロセスがもとになっているのかもしれませんね.」
—『神経美学 美と芸術の脳科学 共立スマートセレクション』石津 智大著
「「子供の描く絵だけは真似できない」.パブロ・ピカソはこう言いました.なぜ,大人は子どものように描けないのでしょうか? それはもしかしたら,世界の見方自体が,子どもと大人ではちがっているのかもしれません.」
—『神経美学 美と芸術の脳科学 共立スマートセレクション』石津 智大著
「前章では,崇高さなどのネガティブな感情を含んだ美学的概念をみてきました.ですが,美しさと対になるものは何かと聞かれて,多くの人がまず思い浮かべるのが「醜さ」であることは間違いないでしょう.この章では少し美から離れて,醜さについて神経美学を通して考えてみます. 美醜といわれるように,醜は美と対極のものとして扱われてきました.辞書でその定義をひいてみると,醜:「肉体的(または精神的に)魅力が感じられない,すなわち醜い様子を言い,特に視覚的なもの(容姿など)を指すことが多い.しばしば醜さは嫌悪や恐怖を引き起こす」ものだそうです.英語辞書でも,「不快さや嫌悪を感じさせる見た目」とあります.つまり,一般的,社会的には,外見的に不快でその結果として評価が著しく低くなるような物や人の性質とされます.実際に,経済学分野でおこなわれた研究では,外見的に醜いと一般に評価されるような人の給与は,(実際の仕事ぶりにかかわらず) 15%ほど低いというショッキングな結果も報告されています.また求職面接でも不利になることが知られています[ 13].さらには,醜い人物はその道徳性も低いと見積もられる傾向も報告されているのです.美は正しく,醜は悪いという認知的なバイアスがわたしたちにはあり,残念ながらそれが外見以外の判断へも影響していることをこの報告は示しています(第 3章も参照).」
—『神経美学 美と芸術の脳科学 共立スマートセレクション』石津 智大著
「これは,顔の美に比べて顔の醜を判断する拠り所が,その人物の健康や生物的なクオリティに由来しているからだと研究者たちは考えています.健康な身体は,その個体が優れた遺伝子をもつ可能性が高いことを意味します.一方,不健康で弱々しい外見はその逆で,生物として劣っており,また繁殖の相手としても魅力が低いことになります(少なくとも生物界では).この生物としての劣勢性から,外見が醜い人物は(不健康だろうし)仕事も上手くこなせないだろう,という短絡的なステレオタイプにつながってしまうのかもしれません.アルフレッド・シラーは「身体的な美しさは,内面の,精神の,そして倫理的な美の証拠である」と言いましたが,醜に関してはその逆が適用されるというわけです.」
—『神経美学 美と芸術の脳科学 共立スマートセレクション』石津 智大著
「それでは,美しさを追い求めてきたわたしたち人類にとって,その反対に位置する醜さには何の価値もないのでしょうか? 芸術の世界をみてみると,どうもそうではないようです.たしかに,伝統的には醜は美の対立概念として考えられてきました.このため芸術として直接的に醜を表現することは,かつてはほとんどありませんでした.美を善,醜を悪とした哲学者 G. E.ムーアは,「美を秩序として考えることは,同時に醜を無秩序ととらえることである」と説いたそうです.醜を体系的に検討することは,かつては哲学でも芸術でも積極的におこなわれてはいませんでした.ところが時代をくだるにつれ,醜も美的範疇のひとつとして積極的な価値があるのではないかと議論されるようになり,芸術として醜を表現する試みもおこなわれるようになりました. 20世紀以降,マルセル・デュシャンやダダイスムをへて,芸術作品がもつ美学的価値が単純な美だけではなくなったのも,もう昔のことといえるでしょう.英国の権威ある現代芸術賞であるターナー賞での最近の受賞作品をみていってもトレイシー・エミンの『ベッド』,マーティン・クリードの『排泄物』など,決して「美しくはない」作品をいくつも見つけることができます.アイズマンブラザーズ,グレゴリー&ジョージもしかり.現代アートに限ったことではなく,ヒエロニムス・ボシュやバロック美術など,醜いもの,おぞましいものへの希求は,美術の歴史を通してわたしたちのなかにずっとあったといえます.醜はそれ自体非常に魅力のあるテーマであり,美と同様に芸術的創造性を刺激してきました.つまり,芸術という限られた世界のなかでは,醜はひとつの重要なテーマとしてその価値をもっているのです.でも,その価値とは一体何なのでしょう? 醜の脳活動に何かヒントがあるかもしれません.」
—『神経美学 美と芸術の脳科学 共立スマートセレクション』石津 智大著
「専門的な芸術教育を受けていない人たちでも,抽象絵画を見ているとき,自分たちが意識的に気づいている以上のものを「みる」ことができている.子どもでも描けるだろうと言ってはいても,実際ふたつの絵画を見比べてみると,たとえ子どもや動物の描いたものとして間違えてラベルづけされていようが,画家の作品に惹きつけられるのです.わたしたちは,作品の背後にある,目に見えない作家の意思を感じとれるといえるでしょう.」
—『神経美学 美と芸術の脳科学 共立スマートセレクション』石津 智大著
「ひと目見ただけで彼の絵だとわかる.そういう強烈な印象を与える作品で,フランシス・ベーコンは 20世紀の重要な芸術家のひとりに数えられます.歪んだ顔,ねじれた身体,屍肉を連想させる色使い.「恐ろしく不快な絵を描く男」とは,マーガレット・サッチャー元英国首相がベーコンを指して言った言葉です.一国の首相にここまで言わせる彼の作品には,それだけ観る者に強烈な印象を与える何かがあることを物語っています. 2013年にベーコンの三幅対“ Three Studies of Lucian Freud”が当時のオークション史上最高値(約 9000万ポンド)で落札されたことは,芸術で表現される醜へのわたしたちの執着を如実にあらわしているともいえます.画家としての卓越した技量だけでなく,そこに描かれる醜さや死や老いが,人間の真実を映し出しているからかもしれません.強烈な印象を与えるベーコン作品.衝動的で感情的ともいえるその画風は,一見すると認知の仕組みなどとはかけ離れているようにも思えます.一体何が神経美学に関係しているのでしょう. 図のベーコン作品の例をみてみましょう.いびつに歪められた顔と身体の男が椅子に座っています(図 11. 1) 1).ベーコン作品の大きな特徴のひとつは,この暴力的に歪められたモデルの顔と身体といえるでしょう.」
—『神経美学 美と芸術の脳科学 共立スマートセレクション』石津 智大著