特定秘密保護法や安保法制で安倍くんが横暴しきりだったあの頃。もう10年以上前ということになる。自分も1回だけだけど国会前のデモに行ったなあ。あの頃、目立っていたのが若者たちで活動するSEALDsだった。その象徴ともいえる奥田愛基さんが、安保法制が通ってしまった(そして国の横暴を許さないための新たな一歩が始まった)ばかりの2016年に、生い立ちから一連の活動を振り返って書いている。
「愛基」って素敵な名前だけど、ちょっと珍しい名前でもあり、当時から普通のおうちの子ではない気がしていたけど、抱樸の奥田知志さんが父だけあってかなりあまりない環境で育ったようだ。そういうことでもないと(できる人もいるけど多くは)あんなすごいことできないと思う。当時は頭のキレがよく自意識も高く目立ちがりの若者なんだろうと、やっかみ半分で思ったりもしたけど、この本を読むと愛基さんは繊細で世のなかに順応しきれず、生きにくさを抱えながら生きる人なのだろう。SEALDsの活動も、大変だったろう、つらかったろうと思った。
あの時期のSEALDsが日本の市民運動のあり方に一石を投じたのは、当時の印象からしてもそうだし、この本を読んでもカッコよくデモをやろうとしていたり、左翼だけど勝とうとしていたりといったところに現れていると思う。こういうことって、浅薄なうわっ面のことのように思えるかもしれないけど、意外と大事なこと。特に、スペインの活動家パブロ・イグレシアスの言葉を引いて、左翼は負け慣れしちゃってるけどちゃんと勝たないといけないと述べるあたりは、左寄りで負け慣れしてしまっている自分としても、肝に銘じておきたいところ。
世の寵児のようにいわれ、天狗にもなりそうだがそうはならず静かに表舞台から去っていったSEALDs。それもまたカッコいい。いや、どこかでいまもそれぞれに活動していてほしい。いまの愛基さんだったらどんなことを言うだろうか。いまの彼の思いや考えを知りたいなあ。
刊行から9年がたついまではSEALDsの中心的メンバーたちの話を聞くこともあまりない。あの喧騒が終わったばかりの頃に書かれたこの本を、SEALDsがほとんど話題にならなくなったいま読むのはちょっと不思議な感覚だった。読みながら、彼らと気持ちが一つになるような感じで熱くなるんだけど、ふと、ああもう10年近く前のことだったんだと、ちょっとしんみり寂しく思うような。兵どもが夢の跡とでもいおうか。
あの頃と世のなかは変わっただろうか。心ある一人ひとりがよい世のなかに変えるために、よりよい世のなかに変えるために、すべきことをし続けていかなきゃいけないんだ。