G.W.F.ヘーゲルの作品一覧
「G.W.F.ヘーゲル」の「精神現象学」「精神現象学」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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ビジネス・実用
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Posted by ブクログ
ヘーゲルの書いていることを、「理解」ではなく「感じる」「感得」できるためには、「人は嫌なことに向き合ってそれを克服することで成長するのだ」という経験を持っていれば十分だと思います。
そして、その経験(精神の運動)を人生のどこかのタイミングで止めてしまわずに、継続して日常や仕事を通じて、「どこまでいくの?」ということを繰り返している人は、この本に書かれていることの後になればなるほど、よく分かってくる内容だと思います。
たとえば、仕事において、
「人は嫌なことに向き合ってそれを克服することで成長するのだ」という経験のなかに、「自分は間違っているのか(否定)」ということを経て、その状況を克服するように「進化を遂げた自分(止揚を達成した状態)」を見出すとき、
そこには最終的に「自分を変えたのだ」ということが大いにあると思いますが、そうした自分が、元の自分を見れば(元の自分に帰ってきたら)、それは元の自分からずれた自分であると言えましょう。
これは仕事で、修羅場を経験して、痛切な進化を経験した人には感覚的に分かることだと思います。
では、これを繰り返したらどうなるか?それは「ずれた自分」からいつしか「別の自分」になっていくことは、論理的にも経験的にも予想できましょう。
その「別の自分とは?」という直前までが、この精神現象学(上)には書かれているように思います。
※
私は読み進めていって、上記を知って衝撃を受けました。
そのことを本に書き込んだ内容としては、以下のようなものです。
絶対的自分なるものは、自分の否定の運動のうちに見えてくるものであるから、なんと、それなしに「自分などという本体には絶対にたどり着けない」のであるが、そのたどり着く先は、なんと「自分」などではなく、
「自分ではない何ものかの理性なのではあるまいか」(P487付近を読んで)
Posted by ブクログ
面白かったですね。
(数年前に一度読んでいて、今、再読中)
もちろん哲学書の御多分に洩れず難解なのだけれど、この難しさの質は「何とかなりそうな」難しさです。私たちにも馴染みのある合理や理性の射程範囲にあるような。まあそれでも私のような凡人には難解極まりないのですが。
私個人としては哲学のテクストに文学性や矛盾性のようなものを求めているふしがあります。ヘーゲルのこれはまさにその宝庫で楽しく味わえます。
本書の面白さの一つは、困難や苦難を肯定し、受容するきっかけを与えてくれる(かもしれない)こと。
荘子の「楽しむところは窮痛にあらざるなり」を思い出します。
対立や衝突というものをどのように見なすか。