結論から先に言っちゃっていいなら、この『ガラガラポン』、めっちゃ面白い。
極端な表現をしちゃうと、漫画読みの「読みたい」に、しっかりと応えてくれている。
笑えるモノを読みたい人も、しんみりしたモノを読みたいモノを読みたい人も、丁度いい毒を楽しみたい人も、この『ガラガラポン』を読んだら、満足できるんじゃなかろうか。
どうして、こんなにも面白く、なおかつ、質が高いなぁ、と感じるのか。
その理由は、たった一つの、簡単なモノだ。高橋葉介先生とみもり先生が、ガッツリとタッグを組んでいるんだから、逆に、つまらないモノが完成する方が難しいって話にならないだろうか?
コミカルさとシリアスさ、その混ぜ方が巧みで、独特の味を出す事に定評のある高橋葉介先生が作る原作の良さを、美麗ながらも、決して、脆くはない絵柄が持ち味で、その活かし方をちゃんと知っているみもり先生が、グッと引き出している、この『ガラガラポン』は。
私が言うまでもなく、皆さん、ご存じだろうが、現実は辛い。しかし、その現実の辛さに歯を食い縛って、私たちは毎日、生きていかなきゃいけない。
潰れたり、逃げたり、壊れてしまったりする人を、私は「弱い」と蔑む気はない。いつ、私だって、堪えているモノが決壊してしまうか、判らないんだから。
よって、現実の辛さから、ほんの一時でも目を逸らすために、自分に優しい妄想をする事は、決して、悪くないし、心が幼稚って訳でもない。自分の心を守る、その方法をちゃんと持っているのは大切な事だ、お天道さんに背を向けないで済む生き方をしていく上で。
とは言え、現実に戻ってくる事を拒否し、自分にとって都合のいい理屈で境界線を越え、他人を傷つけて、それでも、妄想に浸り続ける事を選択するのであれば、そいつは、もう、手遅れだ、と判断すべきだ、と私は考えている。
人の心を救える力を持つ、とんでもなく面白い漫画を、フィクションである、と割り切って読めず、自分の悪行を正当化するのに利用するような奴に、漫画を読む資格は一切、無いのだから。
この台詞を引用に選んだのは、この『ガラガラポン』に、高橋先生が込めたメッセージは、これかな、と感じたので。
高橋先生の、ちょっと、おどろおどろしさを感じる絵柄でも、しっかりと読み手の心に響いただろうけど、やはり、みもり先生の絵柄の方が、凄味の度合いは強いように思う。
やはり、漫画ってのは、キャラと絵柄の相性も大切なんだな。
人にとっての死とは何か、その答えは、人それぞれ。
誰にも、これを正しいとも、間違っている、とも断じれない。
ただ、説得力があるのは確かだ。
「妄想だろうが、なんだろうが、私はここに存在するわ。何か文句ある??きっと、翠以外に、どこかで私の事を想ってくれる人がいるのよ。誰かが想い続けてくれてるなら、私は消えないわ」(by天馬翡翠)
もう一つ、グッと来た台詞を紹介。
毎度の事ながら、クールなキャラと熱い台詞、そのギャップが生む破壊力が凄いのよ。
普段、厳しい態度で接してくる先輩が、語調こそ荒いけど、確かな優しさを感じる事を言ってくれたら、そりゃ、嬉しいって。
「行くな、新人!!追ってはならん!!」
「あ・・・先輩!?放して!あたし、みんなと消えます。だって・・・だって、あたしはカラッポだから!あたしには、過去(むかし)も、“ふるさと”もないんだもの!!」
「バカめ!!思い出も、ふるさとも、これから、自分で造ればいいんだ!!」
「・・・先輩・・・・・・!」(by本郷大也、天馬翡翠)