作品一覧

  • 「音楽の都」ウィーンの誕生
    3.5
    ウィーンはいかにして「音楽の都」になったのか.十八世紀後半のウィーンでは,宮廷や教会などによる支援,劇場の発展,音楽教育の普及と聴衆の拡大,演奏会や舞踏会の展開など,多彩な要素が相互に作用しながら,音楽文化が重層的かつ豊かに形成されていった.膨大な同時代の史資料を駆使して描かれる「音楽の都」の実像.

    試し読み

    フォロー
  • 瞽女うた
    3.4
    紺絣に丸笠、手ぬぐい頬かむりの盲目の女性が、門々を巡り歩き三味線伴奏で唄う――関八州・甲信越を中心に活躍した旅芸人、瞽女は、縁起物の門付け唄から人情話や時事ネタの語りものまで、芸能の最新流行を絶えずレパートリーにして渡世を凌いだ。その芸と生業、とりまく社会の姿を掘りおこし、「歌を聴く」文化を考える。

    試し読み

    フォロー

ユーザーレビュー

  • 「音楽の都」ウィーンの誕生

    Posted by ブクログ

    やっぱり芸術には保護者が必要なんだ。
    そのうえで芸術家が保護者に隷属していない環境になれば最高なんだけど、最高の期間は短い。
    ウィーンは宮廷が音楽を愛したから作品を求められた。だから作曲家が集まってきたのだけど、実はその期間は短い。
    かのベートーヴェンでさえ、自らが作りたい音楽と聴衆が求める音楽とのギャップに悩んでいた。けど今も残っているのは作者が作りたかった作品なんだよね。

    0
    2023年04月08日
  • 瞽女うた

    Posted by ブクログ

    2005年5月25日。新潟県にある福祉施設で「最後の瞽女(ごぜ)」
    と言われた小林ハルが亡くなった。

    録音であったが、彼女の唄を聴いたことがある。決して美声では
    ない。だが、低く重く響く声は足元を揺さぶるような迫力があった。

    瞽女(ごぜ)。視覚に障害を持つ女性の旅芸人のことである。
    本書は瞽女の誕生から晴眼者へと受け継がれた瞽女唄の
    変遷を追っている。

    小林ハルさんの評伝を読んでいるので瞽女さんに関しては
    多少の知識はあったが、その歴史が中世から始まっていた
    とは知らなかった。

    しかも「瞽女」という言葉は、「盲御前」という呼び方が変化した
    ものだったのとは。ちなみに「御前」は女性の尊称

    0
    2017年08月20日
  • 瞽女うた

    Posted by ブクログ

     私が今まで読んだ瞽女の本が、瞽女個人に焦点を当てたものに対して、この本は社会的な位置から瞽女のうたについて書かれている本、と思ったら著者さんは社会ではなくて音楽の方だと言うことに、最終章を読んで気づく。
     うた、というものが、それを聞く環境を踏まえた文化であると思い知らされる。

    0
    2015年07月12日
  • 瞽女うた

    Posted by ブクログ

    帯に、「それほど昔ではなかった」とある。確かに、私もその存在を知らなかった。だが、彼女らが芸能の重要な役割を担っていたことは事実であり、著者が提起する問題、現代の我々がごぜうたをどのように聴くべきか、は重要だと思う。
    (2015.2)

    0
    2015年02月10日
  • 「音楽の都」ウィーンの誕生

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    ウィーン勉強本!開いてみるとマーラーとか云々の話の前に、という感じで、期待していたものとは違ったけど笑。でも知らない話ではあったので、勉強になりました。
    ウィーンは当時のロンドンやパリに社会経済的に遅れている側面もあり、遅れて何かが開かれているということは改めて知りました。

    第1章 「音楽の都」を誕生させた都市―ウィーンの社会、宗教、生活
    貴族、教会(カトリックとして、「民衆の識字率の向上を目ざす知育よりは、児童に教義と祈りを暗記させ、音楽を伴う礼拝、行事、行列などに参加させることを通じて、幼い心に信仰心を養うことが重視された」>知育や学問より、芸術を偏愛する市民の態度)、貴族に倣いたい市民

    0
    2025年04月26日

新規会員限定 70%OFFクーポンプレゼント!