ジェラルド・グローマーのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
2005年5月25日。新潟県にある福祉施設で「最後の瞽女(ごぜ)」
と言われた小林ハルが亡くなった。
録音であったが、彼女の唄を聴いたことがある。決して美声では
ない。だが、低く重く響く声は足元を揺さぶるような迫力があった。
瞽女(ごぜ)。視覚に障害を持つ女性の旅芸人のことである。
本書は瞽女の誕生から晴眼者へと受け継がれた瞽女唄の
変遷を追っている。
小林ハルさんの評伝を読んでいるので瞽女さんに関しては
多少の知識はあったが、その歴史が中世から始まっていた
とは知らなかった。
しかも「瞽女」という言葉は、「盲御前」という呼び方が変化した
ものだったのとは。ちなみに「御前」は女性の尊称 -
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Posted by ブクログ
ネタバレウィーン勉強本!開いてみるとマーラーとか云々の話の前に、という感じで、期待していたものとは違ったけど笑。でも知らない話ではあったので、勉強になりました。
ウィーンは当時のロンドンやパリに社会経済的に遅れている側面もあり、遅れて何かが開かれているということは改めて知りました。
第1章 「音楽の都」を誕生させた都市―ウィーンの社会、宗教、生活
貴族、教会(カトリックとして、「民衆の識字率の向上を目ざす知育よりは、児童に教義と祈りを暗記させ、音楽を伴う礼拝、行事、行列などに参加させることを通じて、幼い心に信仰心を養うことが重視された」>知育や学問より、芸術を偏愛する市民の態度)、貴族に倣いたい市民 -
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Posted by ブクログ
・ 私には瞽女は越後の瞽女である。3人で雪の中を門付けして歩く盲目の女性芸人である。実際、私以外の人もまた瞽女と言へば越後の瞽女を思ひ浮かべるのではないだらうか。私は彼女達しか知らないし、私の時代には彼女達しか存在してゐなかつたのである。ところが、瞽女といふのはそれだけではなかつた。ジェラルド・グローマー「瞽女うた」(岩波新書)もまた確かに彼女達から始まる。「序章 門付け唄を聴く」はかう始まる、「それほど昔ではなかった。春先になると越後の農村に芸人がやってきた。」(2頁) さうして瞽女唄を歌つて門付けをして歩くといふのである。これは私達に強固に刷り込まれた瞽女のイメージである。「戦後に、『瞽女
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Posted by ブクログ
ネタバレ瞽女の存在を知ったのは「はなれ瞽女おりん」が映画化された時。
今回この『瞽女うた』を読み、また思い出して映画を見てみた。当時は本を読んだだけだったのだ。
日本人でさえ瞽女の存在を知らない人もいるのに、アメリカ人で、しかも日本語でこの本を執筆したのは感心する。どうしてそんなに瞽女に興味を持ったのか。
江戸から明治にかけてが瞽女が一番活躍していた時代といわれている。その後、しだいに瞽女は少なくなっていった。
日本全体が貧しく余裕がなかった時代に盲目の女性が生きていくために三味線をもって各地の村々へ歌を歌い、その代償として、わずかな米や金銭を受け取っていた瞽女。
生きていくために瞽女と言う職 -
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