田中史生の作品一覧
「田中史生」の「越境の古代史 ――倭と日本をめぐるアジアンネットワーク」「国際交易の古代列島」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
- 作者をフォローする
- フォローすると、この作者の新刊が配信された際に、お知らせします。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで200万冊以上配信中!
「田中史生」の「越境の古代史 ――倭と日本をめぐるアジアンネットワーク」「国際交易の古代列島」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
Posted by ブクログ
日本古代史は「日本」という固定的な単位の成長物語ではなく、常に東アジアの動乱やネットワークに規定されてきた。本書の特色は、渡来人の「身体」をめぐる駆け引きや、新羅商人の船に乗って密航する僧侶など、教科書的な「日中交流」のイメージを覆す生々しいエピソードが豊富な点にある。
渡来する身体が主要論点の一つ。技能や知識は「身体」という箱を介して運ばれるため、渡来人は最新技術を列島に定着させるための「更新される身体」として期待されたとする。
天皇制と中華思想も重要な論点。「天皇」号や「日本」国号は、百済滅亡後の孤立した危機状況下で、国内勢力に対し文明的優位性を回復させるために導入された「小中華」の表現であるとする。白村江の戦いでの敗北という空前の危機に対し、倭王権は亡命百済人らの知識を総動員して防衛体制を整え、中国由来の中華思想と律令を導入することで「天皇」と「日本」という自立した中華国家を創出した。
管理交易の矛盾については、国家は対外関係を独占しようとしたが、実際には地方官や有力者が国際商人と個別的に結びつくことで、管理体制に「穴」があけられていたと論じる。
天智期関連では、中大兄皇子(天智)について、百済滅亡と白村江の敗戦を受け、亡命百済人(沙宅紹明・鬼室集斯ら)の技術を用いて水城や朝鮮式山城(大野城等)を築かせ、防衛体制を整えたとする。白村江の敗戦という「絶望的な敗北」が、いかにして「日本」という国家の誕生を促したかの動機が鮮明に描かれる。
天皇制の創出については、白村江後の孤立した危機の中で、天智〜天武期にかけて「天皇」号や「日本」という自立した中華国家の枠組みが準備されたとする。
帰化制度については、百済亡命者らを戸籍(庚午年籍等)に編入し、天皇の民として固定化する「帰化」の仕組みを整備し始めたとする。渡来人は、天皇の徳を慕って帰順した「帰化人」として再定義され、国家の籍帳に登録されることで恒久的に囲い込まれた。
王辰爾(おうじんに)は、百済から派遣された中国系技術者。文字の読み書きを武器に外交実務や「船賦」の数録で活躍した。
筑摩書房のちくま新書で、基本的な古代史の用語(遣唐使、白村江など)を知っていれば、スリリングな国際政治劇として読める。渡来人が単なる「文化の教師」ではなく、本国の意図を隠し持った「駐在官」として暗躍する姿はキャラ造形に有用。
Posted by ブクログ
日本での倭から平安時代までの間の、主に日本、朝鮮、中国における交易や文化の輸入輸出などの歴史について。
国を跨いだネットワークが国を築いて、また滅ぼす大きな要因となっているのだと感じた。その影には、ネットワーカーとしての交易者達がいた。
歴史で習う以上に古代から常に外部からの視線を国家が伺い、深く影響、規定されていたし、また物や思想も思っている以上に流動していたことが分かる。
中国型の権力構造を持つ天皇制国家と律令制、漢字の輸入、遣唐使など、中国が日本に与えた影響の大きさは目にする機会が多かったが、今まで、あまり語られてこなかった朝鮮の高句麗、百済、新羅との深い関わりについて書かれている。
むしろ朝鮮半島諸国、(始めは百済で、のちに新羅と)の関係の方が特に初期はより大きかったと述べられている。
中国は強大な国家としてあり、文化の発信源としてアジアの中心としてあり、日本は中国との繋がりを、朝鮮諸国を媒介として作っていた。
地理的に見てみると当たり前に朝鮮半島が中国との間にあることが分かるのだが。
仏教伝来にも、漢字伝来にも飛鳥の時代の百済からの渡来人達の技術無しにはなし得ないものだった。
また流動するネットワークの結節点としての港町、ネットワーカーの新羅商人たちについて、琉球の関わりなど非常に面白く、今まで知らなかった歴史を知ることが出来た。
Posted by ブクログ
日本の古代史を、東アジアにおける諸地域の密接なネットワークのもとに置きなおす試みがなされている本です。
著者はまず、従来の古代史研究が、西嶋定生の東アジア世界論と石母田正の国際的契機論の枠組みによって規定されていたと述べて、その限界を指摘します。西嶋と石母田の枠組みにおいて古代の東アジア世界は、各国・各民族が中国を中心とした国際的政治秩序とそれによって伝播する文化を共有する一つの歴史的世界として理解されています。しかしそれにもかかわらず、両者は日本一国史を世界史的見地から把握するという姿勢が垣間見られると著者はいい、そうした一国史ないし民族史という枠組みそのものが見なおされなければならないと論じられます。
そのうえで著者は、ヤマトの大王の力が強大な時代においても、国際交流は大王によって独占されていたのではなく、ヤマト王権のもとにつどう各地の首長層のそれぞれに独自の国際交流があったという事実を示しています。とくに新羅とのさまざまなレヴェルにおける交流について立ち入った説明がなされており、サブタイトルにも用いられている「アジアンネットワーク」の歴史的実態が明らかにされています。