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  • 重い障害を生きるということ

    重い障害を生きるということ

    ビジネス・実用

    4.1
    1巻990円 (税込)
    曲がった手足は意志とは無関係に緊張し、呼吸も思うにまかせない。はっきりした意識もないかに見える――こうした重い障害をもって生きる人がいる。彼らに世界はどう見えているのだろう。生きがいや喜びは何なのだろう。長年重症心身障害児施設に勤務する医師が、彼らの日常を細やかに捉え、人が生きるということ、その生を保障する社会について語る。

ユーザーレビュー

  • 重い障害を生きるということ

    Posted by ブクログ

    重症心身障害とは日本独自の行政的概念であるが、重度の知的障害と重度の肢体不自由が重複している状態を指す。前述の通り、これは医学的な病名ではなく、日常生活において常時、医療的なケアと手厚い介護が必要な人々に対する行政的な概念となっている。その数は人口あたり0.03%、10000人に3〜4人程度とされ、国による正確な統計調査(数値)は無いが、国内に43,000人程いると考えられている。うち、在宅による介護が全体の2/3を占め、残る1/3は本書に記載されるような、医療施設またはホームと呼ばれる介護施設で生活をしている。
    重症心身障害に分類されるに至る主な病気や原因については、出生時に関連する事が多く、何らかの理由で脳の広範囲が大きな損傷を受けたり、そのタイミング(時期)によって具体的な原因疾患や要因が異なってくる。何れにしても生まれながらにして、そういった障害を抱えているケースが多いようだ。
    本書は最初に読者に対して問いかける。果たしてその様な状態で生まれてきた事、生きている事が人間(本人)にとっての幸せであるのか。この問いに対する回答を求めながら本書を読み進める。勿論想像の通り答えはイエスであり、本人もそうであるが、それを支える周囲の人々、親たちにとっても疑いようのない回答である。直接的に関係したことのない立場の人間が本書を読み、それを言うのは(自分がその苦労をしていないから)簡単な事、他人事だから言えるのではないかと、自問自答する事もあるだろう。だが本書を読む中で感じる、本人たちの暮らしとそれを支える人々の姿を想像すると、真にそういった気持ちである事が伝わってくる。確かに大変な苦労や接し方に関して苦悩する事もあったであろう。それでも人が何故この世に生まれてきたかについて、哲学的に考えていくと、その答えと真実性に近づくヒントが多い。現に施設の創設者などに哲学を学んだ人がいた事を本書で知った。在宅介護の方を含め周囲の人々の支援は、絶対に必要であるが、介護される側、介護する側、そして社会全体、国が喜びを感じて何らかの形(金銭的なもの、補助金など)で支援する事が欠かせない。
    諸外国にも同じ様な施設や国からの支援はある。本書に登場する北欧の取り組みは興味深い。不自由さを感じさせないあくまでもノーマルな存在として触れ合う。この世に生まれてきた1人の人間として、健常者と変わらない1人の人間としての喜びは、全ての人類に対して平等に存在するべきものだ。たとえ体が不自由であっても嬉しい、楽しい、幸せだと感じる感覚は等しくあるべきだ。まもなくこの世界はAIが更に進歩し、誰もがそれを使った表現や考えを表明する事が一般的になり、人の感覚や感情を持つAIすらも世の中に現れ、人類と共存していく事になる。それ自体は人類に対する脅威なのか希望なのかわからない。ただ間違いなくこれまで上手く表現ができなかった人々にとって希望になり得るし、動きたくても動けなかった人々に外へ出る勇気ときっかけを与えるだろう。その時に北欧諸国に見られるような「ノーマライゼーション」な生活が、全ての人類に等しく訪れる事を切に願う。
    多くの尽力する方々、筆者に最大限の敬意を払いたい。

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    2026年05月30日
  • 重い障害を生きるということ

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    星5では足りない。★★★★★★★★★★

    福祉は「社会復帰に役立ち、社会への見返りが得られる人が対象」であり、また、医療は「病気を治すためや軽減するためにするもので、治らない障害に医療はいらない」という考え。ゆえに「障害が重くて社会の役に立たない者には国の予算は使えません」などという時代があった。
    それが児童福祉法改定によって初めて重症心身障害児が法律で認められることになったのが1967年。このスタートラインに立つまで、どれだけの障害児とその家族たちが虐げられ厄介視され、不遇に苦しんできたかを思うと胸が苦しくなる。

    しかしこれは健常者こそ目を背けずに読むべき本。

    ✎︎______________
    日本において「心身に重い障害のある」子どもたちへのとりくみは、その子らと接して放置できない気持ちになった人たちが、困難を切り開き社会や国に訴え、渾身の努力をしてきたことによる。
    ✎︎______________

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    2026年03月07日
  • 重い障害を生きるということ

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    まずは、第一歩。あのような事件が起きた今、障がい者を本当に尊いと考える第一歩になりました。知らないということは恥ずかしい。逃げていてはダメ。命を考えさせられる本。

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    2016年08月21日
  • 重い障害を生きるということ

    Posted by ブクログ

    とても優しい視点を感じる本。
    ただ優しいだけではなくて息を飲むような重い障害に、毅然と対処しようとする優しさ。

    重障害を抱え、自らの身体能力ではただ生存することさえ難しい人たち。神経や筋肉が発達しないために動くことはおろか姿勢を保持することもできず、呼吸をすることですら体力を消耗する。思考や感覚が朧ろで外界を捉えられず、すべての刺激に混乱と恐怖をきたす。
    そういう人たちにとって、生きているとはどういうことなのか。彼らを生かしているとはどういうことなのかを静かに、真摯に考えている。

    障害とは、人類が脈々と子孫を残し進化したりしなかったり無数の取捨選択の上での試作品なのだ、と著者は言っています。すでに彼らは闘って、何らかの痕を遺してきたのだと。
    この考えがこの本の目玉だと思う。
    これを読んで泣きそうになりました。

    著者は世界を捉えられない人でも、太陽のしたで開く花のような原始的な気持ち良さを感じることはできる。その反応はとても細やかで、いつもは強ばっている筋肉が僅かに和らいでいるというような反応かもしれないけれど、それを与えてあげられるように思いやるのが重障害者への介護ということだと言います。

    もしも私に障害があったらこの先生のもとで勇気をもらいたい。
    もしも身近に障害を持つ人がいたらこの人のように接したいです。

    ちょっと整理しきれていないけれど、これが感想。

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    2013年12月12日
  • 重い障害を生きるということ

    Posted by ブクログ

    重い障害を生きるということ 高谷清 岩波新書

    障害の問題に関係なく皆に読んでもらいたい
    内容の濃い素晴らしい本だし咀嚼されていて分り易い

    医者である前に人間として活きている人が
    この殺伐とした競争原理至上主義の現代社会にもいたのだ
    特に感銘するのは管理による強圧的な恐怖で
    人間をつなげて社会を育てようとすることへの疑問視である
    強度の不快を避け快の部分で自分を認識していくべきだとし
    2次元3次元という空間的問題や
    機械的時間と意識上の時間の問題にからんで
    過去・現在・未来に付いての具体的な考察
    過去が過去にあるのではなく現在にある過去
    今にある今・今に存在する未来と時間を捉える
    記憶も、今思いを巡らしている記憶として思う
    更に意識についても外在意識と内在意識を相対させて見る
    社会に媚びる気持ちと社会に参加して創ろうとする気持ち
    そして関係を創る存在としての自分と表現を
    重い植物的に見える障害者の一人ひとりに見いだしていく

    通常の状態に向かう可能性もなく意思の疏通もなく
    植物のように在るだけという状態で
    しかも苦しそうであるのを見ると自分が辛く
    アサハカにも
    「生きていること自体がかわいそう」に見えてくる
    しかし本当にそうなのだろうか?と深く追求する必要があると

    一般に健常者と呼ばれている範疇の人々も
    様々な理不尽な状態に追い込まれて苦しんでいないだろうか
    金持ちで地位があって快適そうに見える人だって
    それを何時なくしてしまうか不安におののきながら
    益々欲張りになって相手に勝つことや搾取に没頭して
    お金を溜め込んでいるのではないだろうかと思ってしまう

    だとすれば摩擦と付き合うことでお互いに何らかを発見して学び
    消極的にしる積極的にしろ生きる苦労を楽しんでいるのではないだろうか
    食いつぶす依存と違う納得尽くの共生関係は喜びを生み出すはずだ
    この世に答えなど無い無限の多様性が流れる大自然の真理としか言えないけれど
    それを
    視野の狭い人間が勝手に手を下せる問題でないように思える
    植物人間と呼ばれるほどの重度の障害者との交流にも
    簡単に言葉で通じ合えないが故に見えない脈を打っている何かがそこにある

    「反応がなければ意識はないのか」と彼は問う
    医学では意識を刺激に対する反応で段階分けしている
    筋肉が緊張し萎縮して固まっているいるだけで意識がないとは言えない
    そんな場合に植物人間として見放すことは理不尽以外の何モノでもない
    外部刺激に対する反応に対して「外在意識」として反応がなくても
    「内在意識」や「内面感覚」があるかも知れないと言う
    同じような刺激に対して信頼関係があることで違う反応を起こし得る
    不安による緊張で呼吸の乱れるのとトキメキによって活性するのとでは
    見た目に同じような反応でも本質的に違うだろう
    通じた者にだけ分かる反応がある
    五感以外にも不安安心や苛立つとか癒されるというような印象や雰囲気がある

    著者は例える
    古事記に骨のない水蛭子(ひるこ)を葦舟で海に流すという話があり
    それが後に「恵比寿」となって大漁をもたらす福の神となると
    日本では古くから障害者を福の子として大事にしてきた事例を示している
    つまり体験することでしか得られないその人だけの気付きがあるということである

    反応ではなく人間関係だということ
    不安を醸しだしてしまえば不安定になり緊張が起こって反作用が現れる
    信頼関係や納得があれば反応がおこらず協力体制の中で楽しくことが運ぶ
    人間的な意識は協力・分配・共感によって自己の存在を確認できる

    器官的には能が、そして機能的には自意識や理性が働いて人間となるのでなく
    能は各器官が総合的に有機的に働けるように「統合する」という役目を分担している
    すべての部分が協力分配共感している実体が人間なのだとしている

    人間は弱い生命体だったからこそお互いに一体感を持って
    協力分配共感を大事にしてきた
    そのことが逆に能の成長を促して
    反射的に反応することから統合的な判断を手に入れた
    それを過剰に意識した人間は結果として能を「中枢」として捉えてしまう
    中枢には情緒・感情・知能・意識が発達し意識を意識するようになって
    自意識・自我が生まれ損得感から欲望に走り共生と異なる依存心が生まれる
    依存心を持った人間は虎の威を借りるように強くなり
    邪魔になった協力と分配と共感を捨ててしまいう
    依存による支配と従属によって搾取し合う競争がおこり
    孤独な恐怖社会を作り出したのだろう

    小林提樹と島田療育園=多摩市に医療と福祉の二重の性格を持つ施設を建設
    1961年その当時すでに社会は変わりつつあったらしい
    福祉も医療も社会復帰して見返りが得られる者が対象であると
    公然と言われていた状態が揺れ動き出していたという

    天野熊吉と秋津療育園=西武線秋津駅
    自らも捻挫と骨折によって「不具」となり
    その負い目を母に追わせることを避けるために宛もなく家を出る
    その後の生活の悲惨さの中でキリスト教と出合い洗礼を受ける
    障害者が差別社会の中で見世物にされたり貧しくひがみを強くしていることに気付き
    施設をつくることに人生を注いだ
    戦後は調停委員の嘱託のなり多くの障害児故の離婚に出合う
    そうした中で身投げの子を引き取りスラム街に住み着き捨て子たちの面倒を見る
    当時の施設は訓練によって社会に貢献できる者を対象としていた
    訳書も相手にしてくれずどうにも生活できなくなり
    寄付を募っている時にNHKの「日本の素顔」で取り上げられて評判となり
    寄付金が集まり秋津駅のそばに空き家になっている養護ホームを借りることになる
    水上勉が中央公論に書いた「拝啓池田総理大臣度」の記事によって世論が揺れ
    あゆみの箱やオギャー献金運動で政府に影響を与えた

    糸賀一雄とびわこ学園=
    池田太郎と田村一二の二人に求められ
    三人で敗戦の中、近江学園を1946年に創設する
    恐怖心と憎悪に満ちた引揚者に戦災孤児など激増する入園児を抱えて
    職員のモットーとなる「近江学園三条件」をつくる
    それは四六時中勤務・耐乏の生活・不断の研究である
    行こ場のない知的障害児が増える一方で
    児童養護施設から精神薄弱施設となった
    大見学園の研究部では
    一、発達について当時の学説と異なる考え方を打ち出した
    発達は社会性の量的拡大でなく認識の仕方が質的変化することであり
    社会に適応する過程より獲得と自己変革の過程である
    二、発達には認識の高次化という「たて」の筋道がある
    これは早い遅いにかかわらず人間にとって普遍である
    また、「よこ」へ広がる個別性がある
    三、教育は人格を保証し発達状態に沿った個別の対応が必用である
    これらをまとめて「発達権」と位置づける

    障害も個性の一つと認識できればそれだけ豊かな環境で
    学びながら暮らすことができる
    分かっていながら今持っている不当でわずかな権利を
    潔く捨てられずに
    後出しジャンケンをしようともたついているのが
    私達アサハカな人間である

    0
    2012年10月08日

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