今村核弁護士(1962~2022年)は、日本の刑事弁護界で「冤罪弁護士」と呼ばれた伝説的弁護士。東大法学部卒業後、1992年に弁護士登録(第二東京弁護士会所属)。刑事弁護を専門とし、証拠の矛盾を突き崩す徹底した姿勢により、有罪率99.9%とされる日本の刑事裁判において、14件の無罪判決を勝ち取るという実績を残した。2016年と2018年に放映されたNHKドキュメンタリー「ブレイブ 勇敢なる者」でも広く注目された。
本書は、前半で、過去20年ほどの冤罪事件の典型事例を、主な虚偽の証拠ごとに分析し、後半で、冤罪を生む制度的背景の考察と、今後冤罪を減らすための具体的な提案(裁判員裁判制度に関する提案を含む)をまとめたもので、2012年に出版された。
私はノンフィクション作品が好きで、日本の刑事事件を扱ったものについても、清水潔『殺人犯はそこにいる』、福田ますみ『でっちあげ』等、これまでにいくつか読んできた。また、上記のNHKドキュメンタリーの取材内容を書籍化した『雪ぐ人』(2018年出版、2021年文庫化)も暫く前に読み、今村弁護士が書いた本をぜひ読みたいと思っていた。
読後の印象としては、まずとにかく、(『雪ぐ人』のときに感じたのと同様)底知れぬ恐ろしさである。
取り上げられた多数の事例を見ると、虚偽自白、目撃者の証言、偽証、物証と科学鑑定、情況証拠等、あらゆるところに冤罪のリスクが潜んでいることがわかるのだが、最も質が悪いのは、繰り返し書かれている、「代用監獄制度」と呼ばれる逮捕・長期拘留(23日間)による虚偽自白・自白調書作成のプロセスである。
そして、こうした冤罪リスクの多くの背景が、警察の「捜査のあり方」と、裁判所の「審理のあり方」と、それらと実質一体化している検察という、日本の刑事司法制度の運用そのものにあることも、詳しく書かれている。(また、裁判所についての問題は、瀬木比呂志『ニッポンの裁判』に詳しかった)
一方で、裁判員裁判制度が導入され、国民の刑事裁判に対する関心が高まった2009年頃から、死刑・無期懲役などの大事件のいくつかが再審無罪となったり、再審開始決定が出たりして(足利事件は無罪確定。福井女子中学生殺人事件は2012年時点で再審開始決定が出ており、その後無罪確定。袴田事件は2012年時点で再審開始決定に至る可能性が高く、その後無罪確定。)、専門家の間で「事実認定適正化の第二の波」などと呼ばれていることも書かれているが、それらはおそらく冤罪が明らかになったほんの一部のはずだ。
私は、若い頃、仮に自分が弁護士か検察官になるなら、間違いなく検察官になると考えていたが、年齢を重ねるに連れて、犯人を罰することは言うまでもなく大事なことだが、無実の人を罰しないことはもっと大事なことだと考えるようになっている。袴田巌さんのような人を知ると、「疑わしきは被告人の利益に」、「たとえ10人の犯人を逃がすとも、1人の無辜を処罰するなかれ」は、絶対に守られなければならない刑事裁判の鉄則だと、強く思うのだ。
では、冤罪をなくす第一歩として、どうしたらいいのか。。。これについては、著者が詳しく書いているが、一言でいえば、「捜査のあり方」を見直すこと、即ち、捜査の全過程の「記録化」と「証拠開示」を行うことである。こんな簡単で、当たり前のことがなぜできないのか? 警察や検察が反対するのであれば、その理由が何なのか? 明確に説明してもらいたいものである。そして、私がさらに提案したいことは、冤罪事件を送検した警察、起訴した検察は、組織としては当然のことながら、個人レベルでも、一定の責任を負うルールを作ることである。袴田事件では、袴田さんの衣類とされるものを味噌樽に隠した人間が必ずどこかにいるのに、その人間も属する組織も何の責任を取らないのは、どうしても許せないのだ。
加えて思ったことだが、万が一自分が何かの事件に巻き込まれて、被疑者(あるいは目撃者でも)とされるようなことがあった場合は、この本を読み直して、冷静に対応したいものである。相手(警察・検察・裁判所)の手の内を知らずして、対等に戦うことはできないのだから。そういう意味で、一般市民必読の一冊とさえ言えるのかもしれない。
(2025年11月了)